感情的に話す人。

*睡眠薬飲んでるので絶対文章めちゃくちゃです。また明日読み直して修正します。どうしても暇すぎて何か書きたくなりましたすいません。

日本文化を否定している訳では無いのだが、日本人は圧倒的に「議論」というものが出来ないらしい。

ある質問アプリで見た秀逸だと思った回答なのですが、以下のようなものです。

日本人は「議論」をしている訳では無い。ただのポエムの言い合いである。

というものです。
非常に納得しました。
ポエムの言い合いで「勝ち負け」を決めようとする文化があると思うのです。
つまり、難しい問題をシンプルに小分けし、それぞれの問題点の核心をお互いに「議論」しながら対話をしていくのではなく、言葉巧みに様々な表現をすることで話を余計に複雑化させ、その表現の秀逸さで「勝ち負け」が存在するという点です。

本来議論とは「勝ち負け」の世界ではありません。Aさんだけでは解決できない、Bさんだけでも解決できない。そんな問題に対してAさんが抱えている問題点をBさんにぶつける。BさんはAさんが気づいていなかった思考の問題点を指摘し別な観点の提示によって相互に補完し合い問題解決を導く、というのが「議論」というものであるべきです。

どうしても日本人は「感情」や「自分」を「議論」から切り離すことが出来ない人種であると言えるでしょう。自分の意見に批判的なものがあると自分自身を攻撃されていると考える人が多いように感じます。「議論」という土台が未だできていないのです。

もう1つは、自分は「議論」出来ている。私は客観的なことを言っているのだ!だって私客観的だよ?ちゃんと相手の立場にもなれるよ?という人の存在も厄介なものになってきます。
そもそも客観的でない人はさておき、本当に客観的な人が自分のことを客観的だと思うでしょうか?
答えはノーだと考えます。
客観的な思考ができる人は原理的に、「自分は間違っていて、もっと客観的に見れるのではないか」という意識を常に持ち続けるからです。だから自分が絶対的に正しいと信じる訳ではなく、「あくまでも自分ができる限りの客観性を持った上で出た結論であって、あくまで仮説である。もしこれに矛盾する理論があり、それに正当性が認められればそれに従う。」という科学の世界ではごく基本的な考えを持っているはずです。

これは私が客観的だから言っているのではありません。「客観的」であるとはどういうことかと考えた時に原理的に必然に出てくる解だと思うのです。

感情的に話す人は、そもそも自分が感情的だと言うことも理解できないし、なんなら客観的だとさえ思っている。誰もがみんなに適応できる「正しさ」なんてものは知らないのです。ならばそうは思わないことでも相手の話も聞き、「本当にそうかもしれない」「自分はまだ浅かったのかもしれない」「1度考えてみようか」と常に思考し吟味していかなければならないのではないでしょうか。

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