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生存証明

生きている。舞台の上は、その事実のみ。

伝説の夜を君と@名古屋BOTTOM LINE

ということで、行ってきましたこのツアー。アルバムを買い、聴いているうちに「これはライブへ行かないと後悔する!!!!」と神のお告げまで聞こえ始め、その勢いのままチケットを買ったこのツアー。

あの日のわたし、ありがとうな!

そして以下に続く文字の概要を述べますと、“今回のツアーの核になるのは当然アルバム【伝説の夜を君と】であるので、このアルバムが輝くようなセトリを組んで来られるとは思っていたが、それが想像のはるか上だった”です。

では、いざ。

アルバムが輝く話をするためには、そもそもわたしがこのアルバムでいちばん心を奪われたポイントが何であったか、という部分に触れる必要があるんですけど、それはM10『白状』→M11『R.A.D.I.O』でした。

【伝説の夜を君と】は、始まりの曲である『伝説の夜を君と』から、割と明るい感じだったり強い感じだったり、ポップでとっつきやすくて「俺たちって最高だぜ〜!」って具合の曲が続く、とわたしは感じています。それは都合悪いことや嫌な事を全部無視した強がりの「最高だぜ〜!」ではなくて、現実にも折り合いをつけた無理のない「最高だぜ〜!」だから、描く風景としても夏の昼間みたいな感じ。

でも、『白状』で突然、その景色が夜の闇の中になる。スポットライト全部消えて、暗転した舞台の中に取り残されたような。ただその景色は、佐々木さんのインタビューにもMVにも表れているし、そういう役目の曲って大体アルバムのこういうとこに配置されるから、それ自体についてはそんなにそんなだった。まあ、楽曲単体には情緒ボコられてるんですけど、それはいつも通りでもあるので割愛。

問題は(※問題ではない)その後に来るのが『R.A.D.I.O』だったことと、このラジオは夜のラジオだと分かる始まりだったこと。

わたしは今、これまでの人生比でラジオをたくさん聴く日々を送っていて、それを分析すると夜〜深夜の番組率が高い。たまに聴くお昼の番組も、パーソナリティさんが深夜ラジオの住人だと公言してらっしゃる方なので、個人的には半分夜だと思ってる。

で。夜とか深夜のラジオって、人を救う力があるんですよ。わたしも過去に何度も救われてるから、自信持って言うんだけど。

たとえば2021年2月の星野源さんANN。『創造』リリース直後に、曲の感想として紹介されたあるリスナーのメールや、それを受けて源さんが話した感想とか、悩みを相談したメールを文面からプロファイルした時の視点とか。

2021年8月の機材車ラジオで、リクエストとして流れた『おまめ戦隊ビビンビーン』とか。

リスナー大感謝パーティーの企画でリスナーから寄せられた、歌詞候補の言葉の断片のすべてとか。

これは舞台になるけど、あの夜を覚えてるとか。

最近なら、フワちゃんANN0のコミュ力の話とか、乃木坂46ANNでの久保さんの堕落した生活の話とか、田植えをしたことがある人生の話とかもそう。

それぞれはなんてことない話、でも確かにそれは自分を救ってくれて、ぎりぎりの夜を支えてくれた。沈みがちな夜を、というか沈んでいる夜をサーチライトで照らしてくれてる感じ。浮上するのは自分の力でやらなきゃいけないんだけど、照らしてくれる存在があるかって結構大きくて、サーチライトに見つけてもらえると、あんまりがんばらなくても浮上できちゃったりするんですよね。

そんな風に、ラジオに宿る不思議な力を身をもって実感した今のわたしがこの2曲をこう聴かされたら、そりゃもう陥落するしかなかった。感情の起伏が、多分向こうの思う通りに巻き起こってしまったのだから、残された手は白旗上げて降参することのみ、みたいな。

で、【伝説の夜を君と】ってアルバムは、つまりそういうものなんだ、と納得した。「最高だぜ〜!」って言うための裏側に抱えた荷物も何一つ捨てずに、後ろ向きも全部ひっくるめて「最高だ」と言い切る材料にする強かさとしなやかさ、それがこのアルバムの大黒柱なんだ、と。

ただ肩肘張ってるだけの、硬いが故に砕けるダイヤモンドとは違う、研磨してやれば美しい刃紋を見せる刀剣にだってなれる、鋭さも備えている、しかし粘りが効いてなかなか折れない鋼鉄。それがこのアルバムで、そしてa flood of circleの生き様であるような。

そんなクソデカ感情を抱えてライブに行ったものだから、正直「まあ、うん、あとは察してください」と言いたい。特に『伝説の夜を君と』『世界が変わる日』『白状』の使い方がとても好きで。まさに解釈の一致でした。

どんな人にもどんなグループにも生きてりゃ大なり小なり壁はあって、みんなぶち当たって苦しんでは乗り越えて今に至ってると思うんですけど、a flood of circleというバンドは、外から見ても、それこそwikiとか読むだけでも「めちゃくちゃ大変な道のりを歩んでここまで来たんだな」と分かるくらい、色々と波瀾万丈なバンド人生を生きている、と思う。ギター(初代)失踪とか、サポートオーディションとか、レーベル移籍とか、事務所独立とか。そんな彼らが経験した壁って、多分わたしが想像できる範囲にあるはずもないし、そうやって紆余曲折転がり続けてると知った上で聴く彼らの『月に吠える』は本当にしんどかった。あれは、帰る場所がない迷子で、時には見窄らしいと避けられる存在で、「こんなはずじゃなかった」「ああはなりたくない」と思われる彼は自分だと思うような、限界の夜の歌だから。

このライブの始まりの『A』から『月に吠える』に至るまでの曲は、ロックバンドの精神、言い換えれば強がりの側面が表に出てる曲だと思っていて、でも大変だったこれまでの旅路も強がりの裏に混ぜながら丁寧に紡がれていたので、わたしは「こんなはずじゃなかった」にすごく辛くなった。一言も歌詞にそんな事は書かれてないけど、あの犬は負け犬で、その犬に似た自分もまた……、って感情にさせられて、苦しくて泣きそうになった。

でもその次は『世界が変わる日』が配置される。それは文字通り世界を変える瞬間になっていて、この後ってもう「こんなはずじゃなかった」って言わないんだよ。下を向いたら一緒に下を向くし、どれだけ沈んでも「沈みきって気が済んだか? じゃあ行くぞ」って、それすらも受け入れてるの。困難を面白がって笑い飛ばす強ささえも身につけて、いつかの少年に背を押されて、「俺たち無敵さ」って高らかに宣言して、舞台を明日へ移していく。

それはアルバムでもらったあの感情のうねりと全く同じで、その生き様はサーチライトに照らされたいつかの誰かのようで、いつか自分を見つけてくれたサーチライトの光そのものでもあった。

「悪いことしようぜ」。それに両手を挙げて飛びつける大人は多分そんなに多くないし、その場所を作る大人なら、数はもっと減る。それでも、逆風すら抱きしめて「悪いことしようぜ」と投げかけてくれるのがa flood of circleで、【伝説の夜を君と】で、それはどうしようもなくロックバンドである証だった。一生かけても忘れられない夜が人生の中にいくつかあるなら、この夜は、確かにその夜になった。

それ以外のどうでもいい思い出としては、今池駅の3番出口の案内表示がツボだったのと、『白状』絵を地下駅にしたおかげでMCと今池駅と心象風景がオーバーラップして「心を……読まれていた……!?」ってなった(※絵のネタ降ってくる前に会場は決まってました)のがまずひとつ。

↓白状絵


で、あとはライブ用の耳栓! すごく良かったのでぜひ!

今回も結構スピーカーのすぐそばにいたけど、2時間後にも全然耳痛くならなかったし、ハウリングがカットされたのか、耳栓なしで聴くよりも音がちゃんと拾えて、耳は普通に音源を聴いてるような感覚で、でも目の前で繰り広げられるライブを聴けてしまった。最高体験を更新してしまいましたので、ぜひ一度体験してみてクレメンス。

↓これ使った

そして最後にひとつだけ。

アコギ弾き語り is 何????????

ボーナスステージが過ぎました。オーバーキルです。








餃子おいしかった。

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味仙にも行かねば(実はまだ人生ノー味仙)。

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