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ちいさきものたち

彼らの生きる世界は、一体。

わたしは猫が好きだ。しかし、猫アレルギーだ。

父方の祖母の家に、黒猫がいた。とにかく人を寄せつけない猫だった(一部除く)。初めて会った時のわたしは小学3年生とかで、初対面のマナーがまるでなっていなかった。おかげで敵認定をされたのか、以降威嚇されっぱなしで、わたしは10年以上ビビり散らかした。

風呂から出たら通路にちょうど猫がいて、一歩でも動いたら攻撃されると思って5分ほどそこで固まっていて、親に心配されたことがある。いわゆる猫パンチがわかっておらず、手を出す=バリバリに引っ掻く=流血、痛い、と思っていた頃がある。機嫌の悪い猫がとにかく怖くて近づけなかった。暗闇に綺麗に紛れる黒猫だから、夜はトイレに行くのが別の意味で怖かった。

晩年、年齢を重ねて丸くなった猫に、ようやく恐怖心が薄れた。すでにわたしは大学生だった。不躾な人間だったと思う。ごめん。

黒猫は2年ほど前、虹の橋を渡った。

大学で出会った友人宅にも猫がいた。初対面の人間にも擦り寄る猫でびっくりしたのを憶えている。野良猫上がりだから人に媚びるのが得意だ、と飼い主は言っていた。

猫と遊ばせてもらったのは初めてだった。猫ってこんなに人間に興味を持ってくれるのかとびっくりした。この時すでにわたしは猫アレルギーを発症していたけれど、大丈夫な範囲内で頻繁に会わせていただいた。触れさせてもいただいた。幸せだった。

友人の家族も昨年、虹の向こうに行ったそうだ。向こうで元気でいるといい。

小さな命に触れて、いつも思うことがある。それは鼓動の速さと温かさについて。

当たり前だが、人間たるわたしは人間以外の感覚を知ることはできない。というか、自分の平常しか自分は知り得ない。計測したら同じ脈拍数だったとしても、その感覚が同じとは限らない。

ちいさないのちは、鼓動が速い。人間なら、走り回って息が切れている時のような速さなのに、それが平常とまるくなって眠っている。呼吸数にしてもそう。身体の大きさから何もかもが違う。

彼らは、どんな時間の速さの中を生きているんだろう、と、そのバイタルの違いからよく考えてしまう。

わたしが昔、インフルエンザで寝込んでいた時。あの時、全ての時間の進み方が遅くなったように思えた。全てが0.8倍速になっていた気がして、聴き慣れた5分の曲のテンポが記憶と全然変わっていて、全然終わらなくて、ともすれば永遠にも思えて、訳がわからなかった。

呼吸や脈がいつもと違う時、しばしばそういう感覚に襲われる。医学的根拠はおそらくないけど、時間という感覚を、人間は脈や呼吸といったものと組み合わせて覚えるのだろう、とその体験から思っている。

SI単位系でいうところの1秒という間隔は、とある物質のとある性質に基づいてはいるけれど、結局は人間が定めたものでしかない。彼ら、ちいさないきものたちがどんな感覚で生きているかを、人間は知り得ない。

たとえば、人間の平均的な脈拍などで感じる1分が1分ならば、猫の平均の脈拍は人間の2倍の速度であるから、1分で2分を生きている感覚なのではないだろうか。人間という基準を持っているわたしたちは彼らの成長を速いと思うが、彼らから見た我々が、遅すぎるだけなんじゃないか。

基準は常に曖昧だ。

猫が時計を作ったら、水晶が何回振動した時を1秒にするのだろうか。

猫が好きだ。

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1年と1ヶ月前によせて。

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