音楽体験において『CDを買う』という行為は淘汰されてしまうのか。

不便は便利に負ける。それは自然の摂理だから、勝とうとするのは無謀なだけ。

では負けたものは退場を余儀なくされてしまうの?
勝者だけが世界を構成する権利を与えられるの?

そうだとしたら、それが世界の理だというのなら、合理化された世界に残るものは、この世界に果たしていくつあるのだろう。

この世界にはロッキン・ライフという、邦ロック好きなら誰でも楽しめるんじゃないかとすら思える、とてもすごいブログがある。これが日本語で読める世界よありがとう。いやマジで。

わたしのような偏った聴曲歴を持つひとも、満遍なく広く聴いている人も、きっと何かひとつはこれはすげえや! と思える記事に出会えるんじゃないかとわたしは勝手に思っているのだけど、それくらい著者さんの音楽に対する造詣が深い。もうめちゃすごい。中の人さんありがとうございます!(著者さんはロッキン・ライフの中の人、という名前でTwitterやってらっしゃるので、中の人さんとしか言いようがない件)

そんなすごいブログから、先日この記事を拝読させていただきました。

(わたしはTwitterをきっかけにしてこの方の記事を読むことが多く、最近この記事のツイートをなさっていたから読んだという経緯のために、記事の更新日自体はそれなりに前というあれ)

CDの購入動機について。

前説にも書かれていますが、このご時世、CDで音楽を聴くという体験は不便of不便。

だって、まずCDを買いに行かなきゃいけないし、買った後も、ただ家や車のプレーヤーで再生するだけで満足するとかならまだしも、持ち運びたければひと手間加えないとポータブルにはならないし。

わたしはポータブルしたい派ではあるものの、メイン環境がXDP-30Rだから、如何なる手段を用いてもこの端末ひとつで新しい音楽を買って聴く、ということがほぼ不可能です。
さらにわたしはポータブルにするためにかかる不便も手間として愛してしまっているので、CDは不便で淘汰されゆくものだということを忘れがちになってしまうのだけど、不便であることには変わりがない。意識ひとつで不便が手間として愛おしく感じられるようになったところで、便利になることはない。そこには月と鼈並の隔たりがある。

そして現代は、便利な選択肢の側であった配信販売すらも置き去りにする、サブスクが登場し、浸透した。ので、便利さやコスパみたいなものだけを指標にするのなら、サブスク>配信>CD購入っていう順番になるでしょう。それぞれの間に地球がひっくり返っても越えられない分厚い壁が聳え立つおまけ付きで。

こんな状態になった世の中で、それでもユーザーがCDを買うという場合には、何が動機になり得るのだろう。と、そんなことを考えながら、この記事を拝読させていただきました。


まず前説にもある「クレジットが読みたいから買う」動機。これについては中の人さんが仰っているように、配信サブスクサービスでもそのあたりの情報が読めるようになったら? と思う。というかそもそも、一部楽曲においては制作に関わる側からSNS媒体や公式YouTubeのキャプションなどでその辺りが公開されているものもあるので、時間の問題なんじゃね? 感がある。

「歌詞カードが読みたい」動機についても、別で代用が効くので、動機としては弱そうに思える。新曲が出た当日とかだと流石にないけど、1週間も経てばネットのどこかに上がっている。そのタイムラグすら嫌だというひとは確かにCDを買うだろうけど、その場合、発売日当日〜3日後くらいまでの購入にしか適用できないし。

あとはよく言われる「CDの方が音質がいい」。これは、正直そうとは限らないよな、と思います。というのも、今どうやって音楽を聴くのが主流なのかを考えると、それなりにオーディオに凝る人間ではない限り、CDを買っても、そのポテンシャルを引き出し切ることができない気がするのです。

おそらく現代は、スマホなり音楽プレーヤーなりにデータとして曲を入れて、それを持ち歩いて聴く人が過半数だと思う。それらにたくさん音楽を入れて持ち歩くには、データ圧縮が不可欠であり、一般的な圧縮音源は、サブスクや配信購入音源と品質は変わらないような気がする。
たとえば、iTunesでCDを読み込む時は、圧縮音源のひとつの形式であるAACで読み込むのがデフォルト設定だけれど、iTunesの配信買い切りで手に入る楽曲データもAACなので、モノとしては全く同じになる。わたしはサブスクを利用したことがないので、データ形式のことはあまりわからないけれども、少なくともApple MusicだったらAACなんじゃないかなと思う。

じゃあこれを非圧縮にしたらどうなるか。

簡単です、端末ストレージが死にます。

わたしがiTunes管理マンだからその前提で話すけど、iTunes管理マンがCDの音質を最大限引き出せるであろう非圧縮データ形式、アップルロスレスエンコーダことALACでは、データサイズがびっくりするほど大きくなる。4分程度の1曲で30MBほどを食っていく。(AAC音源はせいぜい10MBです)

1曲単位で話をしてもあれなので、アルバム単位で考えてみます。アルバム1枚分の楽曲データのサイズ比較が以下です。
(CIDER  ROADがAAC、CITSがALACです)

画像1


画像2

AACならアルバム2枚入れてもまだ余りそうなストレージを、ALACは1枚で食べてしまう。それこそたくさんいろんな音楽を聴きたいからサブスク課金してるよ! なんて人からしたらこのバカでかい容量はストレスでしかなかろう、と思うわけです。

それに、それぞれが持っている音楽再生環境がそれを表現し切るポテンシャルがなければ、圧縮だとか非圧縮だとかを気にしたところでやっぱり意味がないわけで。
世の中のスマホや音楽プレーヤーの中には高音質を売りにしているものもあるので一概には言えないけれども、ポータブルで音楽を聴く人の大半の再生環境では、一般的な圧縮音源できっと必要十分なのだと思う。それ以上のスペックがあっても、無駄にストレージを食うだけだ。

しかもさらに追加すると、Bluetoothイヤホン問題がある。
手軽に聴きたい人はスマホを使うだろう、と勝手に仮定して話を進めているけれども、近年はiPhoneや一部Android機種の薄型化によるイヤホンジャック廃止を受けて、Bluetoothイヤホンが世間を賑わせまくって、低価格化がとても進んだ。電車に乗っても周りを見ても、Bluetoothを見かけない日がない。特に完全ワイヤレスのものが本当に瞬く間に世間に浸透した。

ただ、Bluetoothイヤホンの対応コーデックによくあるのはAACとSBC。aptX HDやLDACに対応するイヤホン、いわゆるハイレゾもいけるほどの高音質で聴けるものは、あったとしても諭吉1人では足りない、オーディオ沼に落ちていない人からすれば「意味がわからない」と思える高価格帯の製品になることがほとんど。
便利に手軽に聴きたい人が、そこまでのお金をかけてまでBluetoothイヤホンを買うとは正直そんなに思わないし、そこまで金をかける人間はもはやCD配信サブスク論争をすっ飛ばしてハイレゾに行くかCD音源を勝手にアップサンプリングし始める。

……盛大に話が脱線したけれども、要は手軽に聴きたい人は、そこまでの音もたぶん望んではいないのだ。CDを買わなくちゃ音が悪い、というのはもはや昔の話であって、CDを買うことで音質が良くなると信じて行動するタイプの人間は、もう道楽の域であり、世間の平均からしたら「頭おかしい」のだ。


たぶん今、便利を求める相手にCDを買わせる力をいちばん強く持っているのは、特典なのだと思う。

リリースイベントの整理券だとか、特典グッズだとか、映像特典だとか、音源特典だとか、そういうもの。

わたしだって、通常盤と初回限定盤(特典付き)を選択肢に出されたら、値段が高かろうとなんだろうと迷わず後者を選びますし。

音楽は便利にネットで手に入るけれども、サブスクならもっと安く聴けるけれども、それでもCDという時代遅れなものを買いたいと思わせるもの。それが、買わせる力が、音楽そのものではないところにある、というのがなんとも皮肉な話だけれども、人間は便利には勝てないのかなって。

とまぁさんざっぱら述べてきたけれども、じゃあわたしはなんでCDを買うんだろう? ということに帰ってきます。実はこの記事の本題これ。前置きが長すぎますねごめんなさい。

わたしがCDを買う理由。

それは単純明快に、CDを買うという体験が好きだから。

まあ確かにALACで取り込む悪あがきもしているし特典もほしいけど、CD屋に足を運んで、たくさんのCDが並んでいて、ポップがあって、音楽が流れている店内をうろついて探して買って、持ち帰って外装フィルム剥いて、データ取り込んで端末に移して、歌詞カード見ながら聴くその一連の流れに幸せを感じるからです。便利とか不便とかどうでもいい。ただそれが好きだってだけ。

わたしがCD買う理由をもう少し因数分解すると「CD屋に行くのが好き」「トータルパッケージとして買いたくなる」となる気もする。

「CD屋に行くのが好き」は、本屋に行くのが好き、と同じベクトル。

確かに配信もサブスクも便利だよ。いいことだし、その便利さを享受してるよ。でも、そこでは絶対に見つけられないものと偶然出会える場所がアナログ的な、前時代的なものにあると思っていて。

たとえばインターネットで何かを探すと、さいきんのインターネットはかしこいので、「たぶんきみはこれがすきだよ」と提示してくる。そのレコメンドの的確さには、多分もう、人間は敵わない。だってネットの裏側にいる機械たちが蓄積できるデータ量は、人間と比べてはならないくらい圧倒的だから。

ただ、そういう「これがすきならこれもすきでしょう」というおすすめだけでは出会えないものって絶対にある。

本屋行くの好きな気持ちとベクトルが近い、と言ったけど、本でもそういう体験を今までにたくさんしてきていて、たとえば今すごく好きで新刊を欠かさず買うほどのファンをしている作家さんの作品との出会いは、本屋だった。表紙とタイトルに一目ぼれしてそれを読みだしたのがきっかけだったけど、インターネットのレコメンド広告でその方の作品が出てきたことは、それまではただの一度もなかった。

わたしが今大好きな音楽だって、そういうおすすめ機能で提示されるものとはかけ離れたところで出会ってこんなにハマった。

アナログ的な出会いに限定すると、今は大型フェスで聴いて出会って知るのが一般的なのかもしれない。ただ、田舎暮らしの学生には、そもそもフェスに行く金と時間を捻出しきれなかった。交通費がいかほどのものになるか、確実に宿泊しなければならなくなるけど、学業やバイトとの兼ね合いはどうだとか、そのあたりの不安点がいくらでも出てきて、二の足を踏む。その点、CD屋なら新幹線に飛び乗らずに済むくらい近くにあったし、好きな時にふらっと行けた。アナログ的な場所だから、田舎あるあること「電波が悪い」にも負けなかった。

CD屋が出会いの場としてきちんと機能する限り、CDそのものにもまだやれることがある気がする。


「トータルパッケージが好き」。これはたぶん、自分もなにかを作ることが好きだという者の端くれだからこう思う気がしなくもないのだけど、すごくいろんなものが詰まっているんですよ、CDって物体には。それこそクレジット情報や歌詞カードもあるけど、それだけじゃない。

使用フォント、パッケージ裏、歌詞カードのデザイン、スペースの割振り方、ページ数、などなど、そんなところどうでもいいだろうが、と下手したら作り手側にすら思われていそうなところまで、余すところなく眺めたい。楽しみたい。だからCDを買う。

消費者はいつも身勝手でわがままなので、便利を知ったらもうそれを手放さない。そうなってしまえば不便なものは廃れていくのはある意味で仕方ないこと。

でも、CD買うっていう体験もやっぱりいいものだとわたしは思うから、できれば廃れていって欲しくはないなと思うんです。

まんがの単行本に、表紙カバー剥くとおまけまんがやイラスト出てくるタイプのやつあるじゃないですか。あれが好きな人は多分CD買うのも好きだと思うんですよね!(例に漏れず剥くの好きなタイプ)




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