時が経つということ。

これまでに3回、霊柩車のあとを追いかけた。すべて、行き先は同じ場所。

わたしは2003年に母方の祖父と、2007年に父方の祖父と、そしてつい最近、2020年に母方の祖母とお別れをしました。

父の実家も母の実家も、石川県金沢市の割とすぐそば、(旧)河北郡に含まれる地域にあるので、火葬は河北郡の火葬を一手に担う、河北斎場というところで行いました。

祖父の時のことは、ほんとうに断片的にしか覚えていない。だから、今年祖母を見送ったことで、河北斎場という場所での記憶が鮮明に得られたことが、不謹慎だけどちょっとだけ新鮮に思えたので、断片的な記憶と照らし合わせながら、書き出してみたくなりました。なので、これはそういうお話です。

最初にお世話になった、2003年。わたしは小学2年生。このときのことは本当に全然覚えていなくて、あるのは、歳をとると焼けるのに時間がかかる、と誰かが話していたことと、骨上げをするときに身長が足りず父親に俵みたいに担がれながらやったこと、身長も足りなければ腕の長さも足りないので、拾うときにかなり台と近づいてしまって、結果、台の輻射熱で暑いを通り越して火傷する!と感じて、拾い終えてすぐ収骨室の壁(冷たい)に顔を埋めに走り、父に小声で怒られたことくらいです。読経のタイミングや、何度それがあったかとか、そういうことは思い出せません。まったく。

次にお世話になった2007年は、小学6年生でした。父が喪主だったので、喪主家族ということで骨壺を斎場から持って帰る役目をしたことや、斎場に着いてからのほんとに最後の告別式に、骨上げ後の読経、焼香があることなど、そのあたりを覚えています。逆に、骨上げのときのことは覚えていなかったり、火葬待ちのときに誰とどういう話をしていたかとかの記憶が全然なかったりします。

そして今年は、さすがにこの年齢にもなりましたので、わりときちんと覚えていて、それこそ今までの記憶では保持されなかった建物の外観や内観とか、どうやって霊柩車から棺がおろされて告別室や火葬炉に向かうのか、とか、そういうのまで記憶として得られました。今までの2回で得ていた記憶が果たして正しい形だったのか、という答え合わせも勝手にしてました。

そして今回は、どうでもいいところばっかりよく見ていた。棺を運搬する台(電動)に「テクノロジーすごーい!」とか思っていましたしね。これだから理系をこじらせるとよくない。

けどさ、仮にも操作ミスで暴走させるなんてあってはならないことじゃないですか。そういう操作ミスがこれなら起きにくい設計なのかな、とか思ったんですよ、職員さんの操作を見ていて。安全設計、大事。

あと、火葬炉に入れられていくのを見守るときに、炉の内部が少し見えるんだけど、それがまたすごくきれいに掃除されていて真っ白で、「これお掃除大変だよね……」とかいらんところに気が向いたりとか。理系をこじらせると、有機物を高温で焼いた後の炉がどんなもんか、なんとなく察してしまえる気がする。わたしはNCアナライザとか使ったことないし、シルク活性炭作ったこともないけど(※ご近所研究室で持っている装置や研究テーマの話)。

必要以上にめそめそしたくなくて、笑顔でお見送りするんだって決めていたから、泣かないでいたくてわざとそういう変なところに気を向けていたところもあるんだけど、なんか、3度目はいろんな発見をしたような気がします。

何より、こういうセレモニーも、ひとの仕事でできているんだなって感じました、今回は。世の中にはほんとうにいろいろなお仕事があるなって思いました。

わたしは婚の場所で働いたことはあるけど、葬の場所では働いたことがなかったし、小学生の頃は自分たちの悲しみで手一杯で、働いている人がいるから今この時間が形成されている、とは実感してなかったから。今回は本当に色々と感じたことがありました。だから忘れないうちに書いておきたかった。

同じ場所で、同じことをしただけなのに、感じるものが変化していく。不思議ですね、時が経つって。

スキを押すと何かが出ます。サポートを押しても何かが出ます。あとわたしが大変喜びます。