盾と誇り

あの時、それが運を分けた。

実家のある地域は、名古屋のベッドタウンとか呼ばれるような地域である。ゆえに、見た目は「田舎っぽい」わけではない。車社会といえども公共交通機関もまあまああるので、車がなくてもがんばれば生きていける。物価も言うほど安くはないし、ローカルすぎて他の地域のひとに伝わらないような文化もない。上田や松本と比べたときにどっちが田舎ですかと問われたら、松本や上田の方が田舎だとわたしでも言う。主に電車やバスの本数とその運賃から見て。あと生鮮食品の物価的にも。

でも、人間関係や地域のコミュニティに流れる空気はまさに田舎のそれであり、その地域における社会の縮図と言われがちな公立の小中学校も、例に漏れずその通りだった。

いわゆるスクールカーストの最上位にいた人と同じ部活で、しかし人間として合わなかった中学時代は、それなりに地獄だった。しかしそれでもなんとか不登校にもならず、いじめやそれに準じる扱いを受けることもなく卒業しきれたのは、あの時の自分に、学力というステータスがあったから、だったのだろうと思う。

といっても、必死こいて勉強したわけでもなく、なんとなく授業を受けて、給食のお代わり権のために宿題を必死になってやってたら、先生から真面目だねとほめそやされ、テストもまあいい具合に点が取れたという程度。それでも、テスト総合点の学年順位は大体一桁だったし、そのおかげか学校生徒会にも入れて、生徒会ではめちゃくちゃ楽しく活動していた。生徒会は部活の時間に活動することもあったので、正当な理由で部活参加を少なくできて実はホッとしていた。学年全体で百人もいない小規模な学校で一桁順位を取れたところで大したものでもないのだが、その数字は確かに自分の盾となってくれていたのは、最近になって気がついたことだった。

いつかに、中学が同じだった地元の友人と話をした。その友人もカースト上位層の方(わたしが部活でうまくいかなかった方とは別)に目をつけられたことにより、辛い境遇に置かれていた。わたしよりも過酷な状況だった。なんとなく、そこに不調和があるのは見えていたが、当時はそこまで過酷な状況だったとは知らなかったものだから、昔話を聞いてびっくりしてしまったほどに。

そして、その根源となった上位層の方に、わたしもたぶん、目をつけられていたのかもな、と、後から振り返ってみて思うところがあった。

その方とはお互いの立場上、色々と共同作業をすることが多かったので、ある程度のコミュニケーションはとっていた。しかし、そこに棘がなかったわけでもなかったな、と。きっと向こうは無自覚で、わたしも「よくわかんないけどあの時は傷ついたな」ということに気がついたのがずいぶん後になってからだったので、ここについてはいまさらどうという話でもないし、呪いになるだけのエネルギーもなかったが。

じゃあどうしてわたしはあの時、友人のような被害を受けずに済んだのか。

それを考えてみたら、学力と先生からの評判という盾に行き着いた。

わたしは、学校という場で輝けるような能力を持っていなかった。たとえばピアノが弾けるとか、たとえばリーダー気質があるとか、たとえば舞台映えするだとか、そういう、カリスマ性のある類の。わたしは、教室の隅っこで細々と絵を描いたり、めちゃくちゃ真面目に掃除をしたり、大道具系の仕事や裏方作業が大好きだったり、なんというか「そういう子」だった。それは今もやっぱりそうで、真ん中にはなれないタイプであることを自覚している。

スクールカーストにおいて、カリスマ性のある才能は間違いなく盾である。しかし自分にはそれがなかった。

テストでは、その上位層の方(勉強ができる優等生)を学年順位で上回ったことも割とある(何回かいちばんを取ったので)。その方は塾に通っていたが、わたしは塾などに全く世話になっていなかった。

受験校を決める時、わたしは家から近いという理由で志望校を決めた。上位層の方は学力で選んでいたが、そこはわたしが志望した高校よりランクの高いところだった。わたしは家から近い、姉がそこの生徒だから色々と楽、制服代が浮く、などというおよそしょうもない理由で志望校を決めた。その人からしてみれば、わたしの志望校選定基準が不思議だったのだろう、「多分もっと高ランクでも受かるでしょ、なんで?」と聞かれたこともあった。わたしはただ単純に通いやすいから、とだけ答えた。

公立の滑り止めとして、私立高校を受験した。頭の程度が同じだから、同じ高校を受験したし、テスト直後にはあの問題はこうだったよねみたいな答え合わせもしていて、向こうが間違えた問題を自分が正解していたり、その逆もあったりした。

受験した私立の学校は、成績によって、特待生合格がありうるところも含まれていた。わたしもその方も特待生で受かった。

その「結果」が、わたしを守ってくれた盾だった。

おそらく、目の上のたんこぶに映った時もあったのだろうと思う。しかし、わたしが持っているカードが、確実な盾ではなくともそれなりに有効だったから、ここには仕掛けない方が得策だと判断されたのだろう。推測だけど。だって、その方は頭がいいから。結果としてわたしより偏差値高い高校に行ったから。

当時は、それが盾になっていたとは気が付かなかった。だけど、ふと振り返って、そして友人と話して思ったのは、その盾があったから自分は誇りを捨てずにいられた、ということだった。

今でこそ無職ニートをしているけど、いちおう学歴は大学院卒なので、それなりに勉強はしてきたんだと思う。大学からさらに先で勉強するなんて、と院進する気がなかった人やそもそも大学に行かなかった人からはよく言われたのだけど、それはそんなにしんどいことだと、振り返ってみると思わないのだ(そりゃ当時はしんどくて、もう英語読みたくねえ!!と論文をぶん投げて寝たことも、実験データの解析が嫌になって突然学生室でタイピングゲームしだしたことも、数え切れないほどあった)。

経済的に進学を諦めざるを得なかった方々からは院進を羨ましがられていたし、自分以外の環境に恵まれていたのも自覚しています

院への進学を決めた時、もちろん就活が嫌で逃げたい気持ちも大きかったけど、ただなんとなくその先を見てみたかった、そんな具合の理由でもって面接を受けたのを覚えている。結果、まあどうにか2年なら持ち堪えられた。そこには、自分は馬鹿だけど、ほんとに何にもできない馬鹿じゃない、っていう無自覚の何かがあったように思う。

件の友人は、その話をした時「自分は馬鹿だから」と自らを卑下する言葉をよく使っていた。そしてそれに続くのは「だから駄目なんだよ」「だから無駄」といった、自分に対する否定の文言。

やればできる、が全てにおいて有効だとは思っていない。大抵の努力は報われない。何度裏切られても、それでも努力を続けるには、相当の胆力が必要だ。そんな脅威的なことを人類が全員できるなら、今頃地球上はスーパースターで溢れている。そこかしこがドリームマッチ。しかし現実はそうじゃない。がんばれない人もいる。がんばらない人もいる。

それでも、自分だけは自分の味方でいてあげないと、何にも始まらない。始められない。友人と話した後、そんな気持ちになった。

そのために、自分の味方でいるために必要なのが、誇りなんだと。

自分で言えば、学力という盾に守られ続けた「現状では社会から転がり落ちてるけど、本当にどうしようもない馬鹿ではない気がする」という気持ちとか、そのおかげで細々と続けてきたいろんな創作活動とかが当てはまると思う。

勉強すれば、練習すれば何でもできるようになるとは到底思えないが(事実、数学物理は勉強してもさっぱりわかんないまんまだし、裁縫はどれだけ練習しても立体を平面に落とし込めなくて、縫ってみてから「これ違う!」がよく起きる)、興味を持ったら調べてやってみる、へのハードルが低いのは、やってみてできてた過去がそれなりにあったから。プロレベルで成果が出なくても、仕組みが分かるだけでも「やってみる」には価値があると思えるのも、大学まで進んで研究というものを体験させてもらえたから。だって実験なんて失敗の連続。同じ失敗をしないためには失敗の原因を探る必要があって、それを探るには、成功と失敗を分ける場所が何処か、いわゆる仕組みを知る必要がある。その仕組みは、想像力で補完するものでもあるのだけど(想像できないことは実践できない)、想像のように上手くいくこともないので、結局やってみないとわかんないことだらけだったりする。想像と現実のギャップを埋めるだけでも、「やってみる」には価値があると、わたしは確かに研究から教わった。

どうせ出来ないから、なんて言って挑戦することを諦めてちっぽけな見栄を守ることより、何度でも失敗して転んで「やっぱりだめかあ」なんて笑いながら、でもやめられないで生きてる方が、「生きてる」ような気がする。その「生きてる」に必要なのは、自分の中に揺らがないものとして存在する、芯のような何かなんだろうと。それはきっと、誇りとか英語では“dignity”と表現する方が近い気がする方の「プライド」とか、そうやって呼ばれるものの類なんだと。

誇りは、盾。

ここ2ヶ月ほどメンタルが不安定で常にぺしゃんこでどうしようもないので、自分を守るためにこれを書きました。が。

……あああああああああ!!(やっぱダメっぽい)

スキを押すと何かが出ます。サポートを押しても何かが出ます。あとわたしが大変喜びます。