信じた祈りは報われた、かもしれない。

世の中には偶然しかないので、実際はただ自分が都合よく解釈したいだけなのだろうけど。

2週連続で週末に親の実家まで北上ドライブしていたり、そもそも3/5に一ノ関から仙台までの新幹線で泣いていたりした理由の案件を、もう話してもいいような気がしたので、何があっていまどうなのかを、記録としてここに書き置きます。こんなもの読んでだれが楽しいんだと思うんですが、わたしは自分のためにnoteを書いているところが大きいので、許してください。

3/5、母方の祖母が危ないと、母から家族のグループLINEに連絡が来ました。

祖母は昨年夏に子宮頸がんが見つかり入院し、手術では切除しきれなかったので、放射線治療をするなどもしていました。ただその放射線治療の影響でかなり身体には負荷がかかっていて、5日はそれが間接的な原因となって十二指腸から出血していたらしく、親戚を呼んだ方がいいと医者から言われるほどに容態が悪化。

泣きながらやまびこに乗車し仙台に戻ったのは、こういうことがあったからです(みちのく。参照)。

そして週末、7日と8日に家族みんなで会いに行きました。5日よりは容態が安定していると、6日から病院にいて様子をみていた母に言われ、でももうあと何日、を覚悟した方がいいのかな、とわたしはうっすら思っていました。だって安定したって言ってももう絶飲食を指示されている容態だし、喋る体力すらなさそうだし、酸素つながってるし。だから、もしかして最後にちょっと安定する時期なんじゃないの、と。なんかそういうのあるじゃないですか。最後にちょっと楽になるやつ。

うちの母も喪服(和装)を父の実家や自分ちで探してまとめて、なにか連絡があったらいつでもそれを持っていけるように準備していました。だからもう余計にそういうことなのかなって思って。

ところがどっこい、9日くらいになると容態がかなり安定したとの連絡が。

それに伴い大学病院からの転院も決定。転院先も大きな病院だし終末医療もやっている感じのところだから、100%前向きなことだけ考えていればいいというものでもないのだけど、大学病院から民間病院に移転OKが出ただけでもなんかこう、ちょっとは嬉しいじゃないですか。ね。

14日と15日に会いに行ったときには、テレビを見て「食べ物や観光地が映るけど行けんし食べれんしつまらん」と言えるほどに快復していて、祖母と同居していた叔父さんも驚きの快復具合だ、と言っていました。(普段様子を見て母に連絡を入れているのは叔父さんです)

この状況を受けて、わたしは祈りが通じたのかもな、と勝手に自分のいいように都合よく考えているのですね。

3/5に仙台に戻ったわたしは、その足で仙台ロフトに出向き、便箋を購入しました。そして、ホテルで泣きながら、祖母に向けて手紙を書きました。

予定では次の日、6日に愛知に帰ることになっていたわたしですが、どうせ新幹線で大宮を通るので、それならもうそこから金沢に向かった方がいいのかと悩んでいて。母が現地にいるし、と最終的には愛知に帰ると決めたんですけど、この2日の間に何が起こる可能性はけして低くない状況だったので、「今のうちに言っておきたいこと」が溢れて止まらなくなってしまって。

だから、手紙を書くことにした。

自分が金沢に行けるのは2日後だし、あんな状況だし、手紙をしたためたところで、祖母に届く確証はこれっぽっちもなかった。だけど、未来が不確定な今のうちにしか言えない言葉があるような気がした。もし未来が寂しい方向に舵をきってしまったら、わたしは今持っている言葉を永遠に外に出せなくなる気がした。だからそれを全部書いた。3/5のわたしから、3/7の祖母に宛てて、7日にも彼女は生きていると、これが届く未来が来ると信じて。

いつかの未来で、その手紙の内容を、手紙の存在そのものを、彼女と「こんなこともあったね」と笑いたくて、そう祈りながら、書いた。

そして、祖母の容態は快復した。

実際はただの偶然で、祖母の身体が、精神が頑張れたから今がある。それは分かってるつもりでいるけど、それでもわたしはあの祈りが通じたのかな、と都合よく解釈してしまいたい。

いつかの記事で書いたけれども、わたしは言葉の力を強く信じていて、信ずるがあまりに社会に適合できなくて、ここ1年ほどはさんざっぱら苦しんだ。なんなら今でも苦しんだまま。

だけど、その苦しみを代償に手紙に綴った祈りが届いたなら、信じたものが報われたなら、この先も苦しんだっていいや、って思った。

わたしが信じたものはこれっぽっちも優しくないけど、それでも。

これを書いているのは、3月5日午後10時28分です。
できれば杞憂であってほしいし、あとでこの手紙を見て笑いとばせる未来であってほしい。そう願いをこめて、これを書きます。どうか、笑いとばせる未来が来てくれますように。

手紙の冒頭。祈りの具現化。このテンションで5枚かけて手紙書いた上に、便箋調達時から祖母のことを考えまくっていたので、この手紙、呪詛道具としてはそれなりの力を発揮する気がする。(中二病的思考回路)

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