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100%シリアスに選ぶ忍殺名セリフ9選【ニンジャ読書感想文】

はじめに(初心者向け)

ニンジャスレイヤーといえば、どういう作品でしょうか。一般的には「フジヤマゲイシャを飛び越えたトンチキ日本描写」「アイエエエなどパワのある忍殺語」「前衛アニメ」などがおなじみの評価で、総じて「笑えるエンタテイメント」という認知をされています。

実際、ニンジャスレイヤーは笑える・面白い・驚きのある・トチ狂った作品です。しかしニンジャスレイヤーのファン(いわゆるニンジャヘッズ)がTwitterでガチで感動し、泣いたりしている姿を見たことがあるでしょう。彼らは狂っているのでしょうか? それもありますが、それだけでは説明がつかない、シリアスさがニンジャスレイヤーという作品にはあるからだと私も思っています。今日は巨編連載10周年記念ということで…

はじめに(真の)

とか初心者向けの配慮は一切せず100%(ファッキン)シリアスに、ニンジャスレイヤー三部作(フジキド・トリロジー)の中で、自分が何も参照せずに思い出せた名ゼリフを紹介し、いかに俺がそのセリフに感動したのかを整理しました。

「ニンポだ!ニンポを使うぞ!」

【出典】 アトロシティ・イン・ネオサイタマシティ
【セリフ】 タロ・マズダ

神々の使者・ヤクザ天狗の初出エピソードとしても名高い「アトロシティ」のクライマックスで、タロ・マズダが本エピソードにおけるデウス・エクス・ニンジャ担当のニンジャスレイヤーに立ちはだかった際のセリフ。

タロは冒頭で弟二人とともにニンジャほっかむりをして「ニンポだ!ニンポを使うぞ!」と叫びながら強盗する(結果完全に発狂マニアックだと思われることで上手くいく)という馬鹿をやっていた。そして弟二人は警察からの逃走の過程でビルから転落。その後ニンジャとして蘇生したが、その二人からも瞬く間にナメられ、奴隷のような扱いを受けるに至り、ニンジャの暴虐性にも怯えきっている。

弟たちが完全に「変わって」しまったという事実にさらされながら受け容れることもできない中、強盗先に乱入したヤクザ天狗によって次男が殺され、さらに乱入したニンジャスレイヤーによって三男もいま殺されようとしている。
「弟たちはもう、あの時死んでしまった」「今いる邪悪なニンジャは死んでしかるべきだ」といった道理が、タロの脳裏をよぎる。だが、"弟"の死の恐怖に絶望する姿に、彼はとっさに立ち上がり、ニンジャスレイヤーの前に立ちはだかる。

タロは子どものまま成長せず、ただ流され、選ばないまま生きて、大人なら考えつかないほど幼稚な犯罪行為をしていた。
幼稚なタロは、極限状態において「お兄ちゃんは弟を守るものだ」という子どものときに母親から得た良心を見出し、それを選んで、立ち上がった。

生まれてはじめて、タロが尊厳をかけて選んだものは、弟のために身を投げだすという選択だった。彼が子どもをやめ大人(自ら選ぶ存在)になった瞬間のセリフが、冒頭の「ニンポだ!ニンポを使うぞ!」という稚気じみたセリフと一致する。

なんたる構成だろうか。ニンジャスレイヤーという作品では、いつかと同じ行為の繰り返しなのに、やる側の内面や文脈が違うことで、真逆の意味に転じるというシーンが、これだけでなく何度も出てくる。ファッキンシリアスに凄い。

「ふざけるな!三度呪われろ!!」

【出典】 カース・オブ・エンシェント・カンジ、オア・ザ・シークレット・オブ・ダークニンジャ・ソウル
【セリフ】 ダークニンジャ(フジオ・カタクラ)

フジキド・ケンジの宿敵であり、彼の平和な人生を破壊したダークニンジャだが、第一部では大ボスであるラオモト・カンの腹心の寡黙なエージェントにすぎず、実際見せ場が刀を折られて「バカナー!」という面白い叫び声を上げるくらいで、人気投票で36位を獲得してダーク36位=サンと呼ばれていた。

彼の背景が描かれるのは第二部のキョート編からで、「漢字の痣が刻まれた呪われた身体」「人身売買の末、孤児として苦闘するが、芯の強さで人望を集めた少年時代」「持ち前の知性と好奇心で、マレニミル社所属の考古学者として各地を旅しながら、自身のルーツを探る青春時代」などが、抑制の効いた描写で示唆されていく。

フジオは利発で気高く、健康的な優しさのある青年であり、自分を捨てた親への憎悪に囚われることもなかったし、孤児院時代の理不尽な境遇にグレることもなかった。彼には「自分に連なる血族の宿命を解き明かしたい」という強い意志があり、「真実の先にある自由」に向かっていく勇気があった。

有能で聡明な彼はエジプトにおいて、自身の血族の宿命を知った。それは「太古に狂王として弑されたハガネ・ニンジャが、自身の復活のためにかけた呪い」であり、エジプトのピラミッドにおいてハガネの真実に到達した彼は、現世に復活する狂王の"肉"となる。そして儀式は成った――

が、ハガネの人格はすでにソウルに残っていなかった。計画は失敗したのだ。残されたフジオ、もはや宿命を持たない彼には空虚が残った。そして彼はこの時に、幸福を求めることをやめ、一本の刀、「ダークニンジャ」となった。

だが、解放と幸福を夢見たフジオ・カタクラの「自由を求める旅」は、ダークニンジャになっても終わらなかった。ニンジャの呪いの籠に囚われたモータルという器を脱却しても、ニンジャという存在もまたヌンジャの作った籠の中にいる。ダークニンジャはこの世全ての籠を壊そうとしており、現世という枠すらも壊してオヒガンに拠点を移すことになって、AoMでは現世に出るのに随分手間が掛かる身の上になっている。

彼を突き動かしているのは何か? 野心ではない。傲慢でもない。幸福や快楽を求めてのことでもない。ただ意地であり、彼という生命の尊厳として、何に縛られるでもない自由に向かっている。
彼の道行きの過程には数え切れないほどの闘争と、未知なるクエストが待っている。それの与える興奮と超克自体が、AoMで最も求道的な戦闘集団と化した新生ザイバツの求心力となっている。

そして「ふざけるな!三度呪われろ!!」は、古代から生きるサンダーフォージ(カジヤ・ニンジャ)が語る"リアルニンジャの人間恋模様真実"を聞かされたフジオが憤激し、安楽な死(呪いからの解放)を一度約束したサンダーフォージを裏切るシーンのセリフだ。

「自分を苦しめ続けている事件があるなら、それの原因はせめて納得できるものであってほしい」と、人間はどうしてもそう思ってしまう。(そういう心情が大いなる陰謀論への盲信に繋がることもあると思う)

だが、悪の真実というのは、どうしようもなくつまらない、「その場に自分がいたなら簡単に止められたのに」と思えるような、下らないものだったりもする。不器用でナイーヴなカジヤ・ニンジャのような”悪”でさえないようなことが原因となり、責任を取ろうとする者は、もはやいない。

理不尽、不条理、釣り合わなさ、それに対する怒りが、ダークニンジャを「人間」たらしめている。彼の刃はいつか、責任者(ヌンジャ)に届き、ビガー・ケージズ・ロンガー・チェインズを破れるのだろうか。個人的には、それが見てみたい。

「で、何から始める?」

【出典】 フー・キルド・ニンジャスレイヤー?
【セリフ】 ナンシー・リー

フー・キルド・ニンジャスレイヤー?』は、時系列的には第三部の最初のエピソードであり、復讐を果たして目標を見失ったフジキド・ケンジの再起の物語だ。

ニンジャスレイヤーの相棒は色々いるが、ナンシーとフジキドは最も相互補完的だ。カラテはあるが情報戦ができないフジキドと、情報戦が出来るがカラテが足りないナンシーは、利益と目的を共有する最高のタッグであり、二人で「ベイン・オブ・ソウカイヤ」となった。

そしてそこからの二人は親友だった。ソウカイヤへの復讐を果たしたナンシーは、キョートの戦いに付き合う必要は必ずしもなかった(実際付き合える状態でもなかったのでガンドーを紹介することになったが)のだが、心身を使い果たして"眠り姫"状態になっていたナンシーをフジキドが救って以来、彼を助けること自体が、ナンシーの目的になっていった。

ザイバツへの復讐を終えて燃え尽きたフジキドを、ナンシーは決して見放すことはなかった。再起を期待していたり、心配していたわけではないんだと思う。「フジキドは必ず蘇る」という確信があり、彼と一緒にもう一度ブチかますことをずっと楽しみにしていたことが、タイムラグなしに送られたこの端的なこの返信から伝わる。

フジキドとナンシーの間には、何か精算されれば終わる貸し借りもないし、「信じている」などと言った水臭い確認も要らない。それは友情とか愛とか名付けることも意味がない関係性だ。

「……だから?」

【出典】 シージ・トゥ・ザ・スリーピング・ビューティー
【セリフ】 モスキート

モスキートというニンジャは、ニンジャヘッズから「師父」と呼ばれ畏敬されるド変態だ。

モスキートがハッシュタグ(ニンジャヘッズ・コミュニティ)に与えた影響は大きい。登場するたびに伝説を残す一貫した変態であり、「蚊柱」「フィヒる」「そのう…◯◯が✕✕で?」(彼はここでまず達した)など数多くのテンプレを残している。

実際、このシーンに至るまでも、コーカソイド女性との血液相互循環チャンスということで「いけないぞナンシー=サン、そんなことでは!」などの名言を数多く発しながらノリノリで拠点に潜入している。シャワーの音に釣られてフジキドにギタギタにされるところまで含め、彼は"ハードな物語の笑える清涼剤"だった。自分も笑ってネタにしていた。

ただ、この一言で、モスキートは面白おかしいメタ的変態存在などではなく、読者(モータル)との共感の余地がない、フジキドが殺すべき邪悪なニンジャの一人である、という地点にものすごい速度で戻り、そして死んだ。

自分は衝撃を受け、恥じ入った。モスキートは冗談などではなく、ファッキン・シリアスな存在だったのだ。
そして、それはモスキートに限らない。笑うのは勝手だ、だがニンジャスレイヤーに出てくるキャラクターは全てシリアスだと理解させられた。

「このクソ野郎は、三千万より、医者の名誉に目が眩んだ!」

【出典】 アンエクスペクテッド・ゲスト
【セリフ】 カブセ・ソウヤマ

ラッキー・ジェイクは第三部の狂言回しの一人であり、作者からも”FPSの主人公”みたいな視点として作られたキャラクターだ。ジェイクの出るエピソード(特にマグロブッダスガモ)は「ニンジャスレイヤーが主役にならない群像劇」「ダメなモータルが作中で覚醒する」「フェイクだった奴がホンモノになる」という共通点があり、どれもメチャクチャ出来が良い。(ヤクザ天狗エピソードにも共通する特徴)

その中でも、スガモ(アンエクスペクテッド・ゲスト)はラッキー・ジェイクとヤクザ天狗の狂気(ユメ)の共演という、”モータル回”の総決算となっており、文脈が多くて楽しむハードルは高いものの、ドチャクソに面白い。

で、カブセ・ソウヤマはシケきった負け犬の中年だ。刑務所の医薬品を横流しして捕まりかけ、ドサクサで高跳びする流れで、高潔な医師のように振る舞って周囲をごまかそうとした。隠している才能なんかもなく、健康診断程度しか出来ないヤブ医者である。

ただ、「狂人の真似して大路を走ればすなわち狂人」というのと同じように、「王の真似して王道を歩めば、実際王者」になりうる時がある。彼は人生最後の数時間でホンモノになった。

そして、この話は「他人からは行動によってしか判断されない」という表面的な話ではなくて、カブセ医師が48年の生涯の中で、発揮させることは無くて、ずっと自分で目をそらせてきた医者としての内なる火種は、彼自身が「弱い自分」を忘れる瞬間を待っていたからこそ、あの鉄火場で開く花があったのだろうと思う。

「人は一瞬で男になれる。変われるンだ」というのは、一貫した物語のテーマとして、ニンジャスレイヤーという作品の中で繰り返されている。

「…すまんな、本当にすまん」

【出典】 アトロシティ・イン・ネオサイタマシティ ほか
【セリフ】 ヤクザ天狗

天狗とは日本に古来から存在するフェアリーの一種で、赤く長い鼻を持ち、空を飛ぶという。
しかしあの男は天狗ではなく、ヤクザでもなく、ヤクザ天狗であった。

ヤクザ天狗は狂っている。地の文でハッキリ「彼は狂っていた」と言われているのは彼ぐらいのものだ。

狂っているのだが、彼はよく謝罪する。ニンジャを殺しては謝り、暴力でドネートを強請っては相手に謝っている。「贖罪の天使」を自称するヤクザ天狗の罪が何なのか、何をもとに自分がニンジャを解き放ったと言っているのかは長らく想像の範囲でしかなかった。(フジオとエジプトに同行した用心棒のデグチがヤクザ天狗である、という説はほのめかされていたが)

だが2019年の「ザ・リデンプション」において、デグチがヤクザ天狗であったどころか、デグチがフジオ・カタクラが親に売られる場に居合わせていたことが明らかになった。デグチはマレニミル社とはエジプト以前にも何度か仕事をしており、彼は成長したフジオをそうとは知られぬよう守っていたのだ。

彼の「すまんな、本当にすまん」は、単なる誇大妄想狂(メガロマニア)の妄言ではなかった。贖罪はフジオに対する個人的なものとして、ずっとデグチの胸にあったのだ。自分がニンジャを生み出したという認識は狂気であっても、その核には子どもの人生を壊したことに対する罪悪感が確かにあったのだろうと思う。それはフジオに対する罪の意識ではなく、自身のソンケイ(矜持)にかかるものなのだろう。

ヤクザ天狗の物語と、ダークニンジャの物語は今となっては重なることすら想像しづらい。そもそもデグチが生きているのかすら、現時点では不明なのだ。しかし、この5年以上も跨いでヤクザ天狗の「贖罪」の意味が更新された時の衝撃はヤバかった。

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「私はニンジャだ、やってみる価値はある」

【出典】 キョート・ヘル・オン・アース
【セリフ】 ニンジャスレイヤー(フジキド・ケンジ)

キョート・ヘル・オン・アースの戦いを終え、消滅しつつあるキョート城から脱出せねばならない。最後の力でポータルを作り仲間たちを逃したディプロマットは死をもはや覚悟していたが、フジキドは彼を救うことを決意する。

フジキドがニンジャ(超人種)であることは当然の前提だ。だが、彼のアイデンティティは、ニンジャスレイヤー(ニンジャを殺す者)という"ニンジャ"と、復讐する"人間"のあいだで揺れ動き続けていた。彼にとって「ニンジャの力(=ナラク・ニンジャ)」は、復讐を果たすための力であると同時に、人間性を見失わせる危険なものだった。

だからこそ、このときに彼がふっと自然に吐いた「私はニンジャだ。やってみる価値はある」という言葉は、フジキドが彼自身の力を、彼の善意を実現するために、崩壊する空中城から瀕死の仲間を抱えて飛び降りるというような人の身ではできない離れ業を成し遂げるために、自由に使えるようになったこと――つまり、復讐が終わり、フジキド・ケンジが自分の人生を取り戻したことの静かな解放感に満ちている。

これは最初と最後で全く意味が変わる「ニンポを使うぞ!」と同じようなことが、一番大きな振れ幅で、それこそ「フジキド・ケンジはニンジャである」という物語のあらすじからこのセリフまでというスパンで、起こされていると言えるのだろう。物語の一つの結末として、これほどのものはないセリフだ。

「ククク、これだから」

【出典】 ニンジャスレイヤー:ネヴァーダイズ【8:オヒガン・シナプシス】
【セリフ】 フィルギア

フィルギアはうさんくさいヒッピーで、いきなり「汝に啓示を授けん」とか言い出すスカした奴だが、長い長い時を生きている。彼は音楽やアート、そういうのを生み出せるソウルメイトを愛している。もちろん不老不死のニンジャであることは隠しているので、毎度偽名を使いながらコミュニティを転々としていく。そのつど寂しいが、彼は千年にわたって、その寂しさとかに慣れもせず、諦めずに生きている。

そんな孤独な隣人のフィルギアにとって、現代のネオサイタマで出会った仲間たち、サークル・シマナガシの三人はきっと居心地の良いものだったのだろう。大いに笑い、大いに暴れ、ナメる奴にファックサインして、自由でいた。壊れることを恐れて繕えば繕うほど、不自然に壊れていくような関係ではない、互いに背中を預けられる「友達」だったからだ。

それを全て灰色に塗り固めようとするアマクダリ支配に対して、フィルギアは「最後の変身」をする。生まれて初めて「ここで死んでいい」と思えたのだろう。そして狂乱に身を任せた末に、フィルギアは当人にも意外なことに元に戻ってしまう。

運命の皮肉に苦笑いしながら、通りに出た彼は心底の驚きに出くわす。戦い始めるオイランドロイドたち、そして大量の市民の波だ。

「ククク、これだから」という言葉の続きが何かは語られない。何を続けるかは読者に委ねられている。野暮を承知で強いて繋ぐなら、「人生はやめられない」ということだろう。

いつの世にだって新しいことが起き、人は動き、世界は変わっていく。フィルギアはずっと、その波を感じていたくて、だからこそ人の世界の味方なのだろう。

「ソウカイヤが望みか!?力か!?金か!?何があれば、お前の復讐心を鎮められる!?何だ!?」

【出典】 ネオサイタマ・イン・フレイム4:ダークダスク・ダーカードーン
【セリフ】 ラオモト・カン

ラオモト・カンはデカく、強く、ワルく、ワガママな典型的「悪の帝王」だ。極めてシンプルで、プリミティブなキャラ造形で、ともすれば単純すぎるようにも見えるが、何かスゴい魅力がある悪役だ。

ラオモトの"内面"が描かれることは一切ない。アガメムノンやロードにあるような陰影やギャップといったものはラオモト・カンには無い。「内面」と「外面」なんて区別は要らないのだ。面白い時は笑うし、腹が立つ時は怒る。それが許される「強さ」をカラテと政治で成し遂げているし、そもそもラオモト自体が他人に許されようとか一切ない。

そういった暴君でも、ヒーローに敗れる時には、何か回想シーンが入ったり、思わぬ弱さを見せたり、情けなかったりする。
が、ラオモトの命乞いは全力だ。自分が得たもの、求めるものを全て勢いよく差し出して、命を永らえようとしている。命さえあれば、ラオモト・カンがラオモト・カンである限り、全てはまた戻ってくると、本気で確信しているからこその、ある種の潔さがある。

それに対するフジキドの答えも、またあまりにも美しい。というかもうこの辺は無印版を読んでください

まとめ

以上です。ニンジャスレイヤーは100%、シリアスな意味で、名作であるということを、少しでも思い出す助けになると良いなと思いました。(※ニンジャスレイヤーを直接読んでいなくても、ニンジャへの畏怖はモータルの心に刻まれているので、名作であることを思い出すことが可能です)

なお10周年にちなんで10選にしようとか一瞬思いましたが、心の中のタイクーンが「惰弱」と言ったので、潔く何も見ずに思い出せた数にしました。

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