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おじいちゃんのこと

うちのおじいちゃんは牧師をやっていた。
戦争には行かず、東京で過ごした。大空襲のときは咄嗟に川に飛び込んで凌いで、無事に生き延びたとのことだった。
焼け野原だった東京、といっても青梅の方に、教会を建てて、80歳をすぎても現役で礼拝に立ち、毎日礼拝の講話をしていた。

おじいちゃんの話は、十代だった僕には面白いものではなかった。
毎週の礼拝でおじいちゃんが人前でするお話しは独りよがりな感じがして、中学生のころを境に一切教会には行かなくなった。

7月の終わりに急遽用事があって、僕は久しぶりに東京に帰った。おじいちゃんは口内炎ができて入れ歯が口に入らなくなり、流動食を食べさせられていた。自慢だった90年代のキムタクみたいな長さの真っ白な髪は、安そうなネットみたいな帽子みたいなものに収まって、水色のパジャマと合わせてなんだか剽軽な見た目をしていた。

おじいちゃんは、あらゆる言葉の前に「本当に」をつける癖がある。
本当にありがとう。
本当においしいね。
本当にいいね。
本当に、本当に、本当に。

なんでもかんでも「本当に」をつけて話すので、言葉が薄っぺらくて、「本当か?」と疑いたくなることがよくあった。

僕も仕事でパソコンのキーボードを叩いていると、無意識のうちに「本当に」という言葉をよく使ってしまう。自分が急いで書いたメールを読み返すと「本当に」という言葉が本当に多くて、慌てて不必要な部分を削ることがよくある。

その度に、おじいちゃんを思い出す。教会で聞いたつまらないお話の中で、「本当に」という言葉が何回もこだましていた。でも、おじいちゃんは何十年も毎週欠かさず日曜日の午前中に、そのお話を、そのやり方で、続けてきたんだな。

次東京に帰るときに、またおじいちゃんに会えるだろうか。会えたらいいなと思う。僕は去り際、おじいちゃんの寝室に行き、「またくるからね」と言った。

おじいちゃんはもう言葉がうまく出てこない。入れ歯も入らない。
おじいちゃんはこう言った。

「本当に」

それだけ伝えて、口を閉じた。そして、目を見て握手をしてくれた。

僕はおかしくて笑ってしまった。

本当におかしい人だ。握ってくれた手は本当に力強くて、安心した。

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