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いつのまにか占い師になるまで

はじめまして。占い師の天海玉紀と申します。

趣味で勉強していた占いを本業の裏メニューとして提供していましたが、2011年から天海玉紀と名乗って、プロ活動を始めました。自分の治療院での活動と並行してお店(旧・中野トナカイ→ウラナイトナカイ/2019年に閉店)に所属して、個人鑑定と少人数の講座を中心に活動しています。

はじめて占いの世界に触れたのは、小学校3年生のときにタロットカードを手にしたときでした。高校生までは我流でタロットをしていましたが、大人になってからは「オカルトじみたことはやめるの」と、いったん完全退却しました。街で占ってもらったことなども全くありませんでした。

はじめてのウラナイ
https://lady-joker.com/20150904/

本格的に占いの勉強を始めたのは2006年頃からです。もともと平和や平穏とは縁遠い人生ですが、この頃はまさに文字通りに「死ぬほど」いろんなことがありました。もともと厭世的なニンゲンではありましたが、ますますなにもかもどうでもよくなっていて、そのころたまたま通りがかりの(あれは渋谷だった。よく覚えています)本屋に積まれていた「サターン: 土星の心理占星学西洋占星術」を読んで目からウロコボロボロでございました。

西洋占星術は子どもの頃になにかで計算して「わたしは12ハウス、というなんかめっちゃ怖くてよくわかんないところにたくさん星があって、なんかこう不運!みたいな角度がいっぱいある」のだけ知っていましたが、なんかぱっとしないことだけはわかったのでそのまま放置していましたが、俄然興味が湧いてきました。

最初はとにかく「テクニカルな知識はとにかく、どうやって読んでいるだろう?」と、西洋占星術の本をかたっぱしから読みまくりました。そのうち、松村潔先生の事務所での公開リーディングに応募したら運良く採用してもらって読んでもらったり、まついなつき先生の研究会のサンプルにしてもらったり、体験することからスタートしました。

このあたりをひたすらごりごりっと徹底的に何度も何度も読み込んで、いろんなサンプルを自力であれこれ読み解いて自分なりに言語化する練習を重ねてから、実際の会には「初心者です」と参加しておりました。

当時、中野ブロードウェイ4Fにあった占いのお店「中野トナカイ」には、講座にも鑑定にもずいぶん通い詰めて、なにからなにまでたいへんお世話になりました。2020年に亡くなられましたが、店長のまついなつき先生にはとにかく感謝ばかりです。といっても、まさかそのうち自分がそのお店のスタッフになるとは夢にも思いませんでした。

そして、西洋占星術とタロットから勉強をスタートしたのに、いつのまにか東洋系占術(主に算命学)に方向転換したのも不思議なものです。現在では、算命学をメインに据えた活動をしています。

わたしはもともと鍼灸師なので分野違いではありますが、東洋系の徒弟制度的な文化や、本当にだいじなことは表に出さないんだ、秘伝スゲエ!みたいなやり方と、現代の科学的な思考や研究、インフォームドコンセントのようなやり方とのはざまで、さまざまな摩擦や葛藤があることをそれなりに見聞きしてきました。めちゃくちゃ面倒だ!そんな世界に関わるのは無理ー。

「昔ながらの囲い込みや徒弟制度的なやり方は、イマドキの風潮やこれからの時代にはそぐわないでしょ?」わたしが東洋系の占いを注意深くできるだけ避けてきたのは、それがいちばんの理由だったようにおもいます。

これからわたしは、自分が「趣味は占い→占いを仕事としてお金をいただく」ようになって、10年くらいかけて辿ってきたプロセスのなかで、なにがどうなってどうやってこうなったのか、少しずつ振り返っていきます。

もちろん表で語れる範疇のことしか言えませんし、そもそも「どうやって占い師になったのか」はあまりにも人それぞれで、他人の話を聞いても自分自身に役立てられることはほとんどありません。

しかし「どうやって勉強をしてきたのか」だったら、少しは参考になることがあるかもしれません。

これからわたしの過去ノートや、勉強に用いた本などをレビューしながら、なにをどうやって疑問に思い、どこにぶつかり、どうやって解決したりできなかったりしてきたかをお話ししていきます。

この旅の行く先がどこにつながっていて、どこにたどり着くのかわたしにも全くわかりませんが、とりあえず旅立ってみましょう。

合言葉は「ぶんだばー」それでは参りましょう。

2021年1月29日追記(最新の記事はこちらです)

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