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占いのお仕事、どうやってスタートしましたか?しますか?(その1)

いまはまだ「コロナ後」を総括するには早すぎますが、きっと「コロナ前」と「コロナ後」では、さまざまなことが変わるのでしょう。

いまから私が書くのは「コロナ前に、どうやって占い師になったか(私の場合)」の話です。それぞれにいろんなルートやきっかけがあることでしょう。ですから、これはあくまで「わたしのばあい」の話です。

むかしむかし(といっても、2008年〜2014年ですね)、中野ブロードウェイという不思議なビルの4Fの長い長い廊下の奥に「中野トナカイ」という不思議な占いのお店がありました。

いま検索してみたらこんなページが発掘されました。おお!

店長まつい先生の過去ブログです。(まつい先生は、2020年1月にご逝去なさいました)

2008年10月20日 仮営業は23日スタート(続・まついさんの連絡帳

「中野トナカイ」は、いろんな意味で、奇跡のような場所でした。

ふつうの小さい事務所みたいなそっけない店構えでしたが、毎日日替わりで占い師さんが座っている占いのお店でした。でも、いわゆる「占いの館」のシステムとは違いました。

なんといいますか、占い師のレンタルスペース、のようなかんじ。受付の人はいないので、占い師は場所代をお店に納めて、あとは自分の担当時間にお店に来て、自分でお店を開けて看板出して、占いの営業をして、自分でお客さんとお金のやりとりもして、片付けして帰る、ような営業形態でした。

ぜんぜん怪しくない。ぜんぜん神秘的でもない。そんなお店でした。

わたしはこのお店に、占いのお客として、占い教室の生徒として、足繁く通っておりました。そうです。お金を使う側です。

そのうち、いっしょに勉強している人たちと顔見知りになって仲良くなったり、先輩後輩ができたりするようになりました。占いという共通言語を介して仲良くなるので、お互いに本名もふだん何をしているかもぜんぜん知らないけど、どういう人かってことは結構よく知ってる、そんな不思議なつながりがどんどん増えていきました。

自分の過去ブログに残っているいちばん古い記録はこちら。占い師の先輩のご紹介でイベントについて行って、そこで初対面の知らない人をたくさん占った時の記録です。

ワンコイン手相観☆in 青山イベント御礼(2011年3月5日)

これが3月5日ですよね。この月末に「はじめて中野トナカイに座る!」というイベントが予定されていましたが、東日本大震災が起こったので、それどころではなくなって、すべて吹き飛びました。

そのあとは、先達の先生方にお誘いいただいてイベントに参上したり、占い師の同期同士でイベントを自主開催したり、いろいろなことがありました。

6月19日イベント鑑定@中野トナカイ☆

2011年10月代々木公園のアースガーデンに出展

懐かしすぎて、泣く。えーーーん。
年が明けてからはこんな感じですね。

「占い師」を名乗ってみて、すぐに予想とはぜんぜん違う!とおもいました。薄暗いお店にじっと座っている、という何となく抱いていた占い師のイメージとはぜんぜんちがいました。(もちろんお店によってはそういうところもたくさんあるのでしょうけど、私の場合はぜんぜんそうじゃなかった!)

なんといいますか、ひたすらずーーーっと「文化祭実行委員」をやってる気分でした。段取り!事務!お金の計算!連絡係!日程調整!スケジュール!メンバー確保!お知らせ作り!ブログ!宣伝!宣伝!宣伝!ひたすらそうやって自転車操業!でございました。(それはいまもおなじ)

つづく。

いま、イチオシはこちら!渾身のご案内文、是非ご覧ください。

振り返れば、強い願望や欲求が、自分の進む道を作ってくれたように思います。

「なんかこれ、絶対面白いと思うの。みんなにみてもらおう!来てもらおう!」そう思って、思いつきを現実化するためにがむしゃらに突っ走ってた10年以上前。いまでもやってることはぜんぜん変わってませんね。

前例を踏襲するだけでなく「誰もみたことのない面白いものを作りたい」という意志だけは溢れています。一緒に乗っかってみたい人、ぜひぜひお待ちしております。

占い世界でのあなたの探検が、よりよい旅路となりますように!