見出し画像

実家の台所が汚れすぎでつらい

スッキリした家が好きです

はい。タイトルそのまんまです。

バナー画像に拝借したお写真のシンクは新品みたいにピカピカで美しいですね!すごい。素敵♪  憧れるわー。

シンクを「磨いてピカピカにする」というムーブは、昔々にガチのお料理教室に通っていた頃にはじめて教わりました。へえええーーー!すごい!古いキッチンでもこんなにピカピカになるのか!すてき!カッコいい!と、毎回のレッスンが終わって日付が変わって、新宿駅を0時とっくに過ぎた終電で帰るくらいハマっていたのが懐かしいです。いやはや。あんなに一生懸命通ったのに、結局わたしの人生はお料理は全然しないままで、つくづくもったいないことです。

それ以降はぜんぜん徹底できていないけど、基本的にはスペースはできるだけスッキリさせるのが好きです。

捨てるのが大変そうなモノや、捨てるときにきっと躊躇するようなモノは最初から買わない。ひとつ何かを買ったら、その分なにかを処分する。いちおうそれは心がけています。

とはいえ、他人のお家やお部屋は別にどうなっていても構いません。みんな好きなようにしたらいいし、人によって居心地の良さは違うでしょうから。

それなのに。それなのに。それなのに。人生は非情。

その台所で三食準備する苦行

前回は「実家の事情で、三食の食事を出すことになった。それが辛くて耐えられない」という話をしました。

その理由は、単に労働量とか気持ちの問題だけではないのです。実家の台所が(いいえ。正確には実家全体が)モノが多すぎて溢れかえっています。特に台所や水回りのお掃除がゆるゆるで、全体的にとても汚い状態でバトンタッチされました。気が狂いそう。毎日毎日「無理無理。こんなところにいたらすぐに病気になる。こんなところで料理なんか無理。わたしの方が先に死ぬ」とぶつぶつ呪いつづけていました。

家そのものはもう築20年くらいになりますが、もともと結構凝った作りになってて、お金もかけたみたいだし、オシャレ系だったはずなのです。とはいえ、ずっとイヌがいるので、イヌのせいであちこち汚い。それは仕方ないんですが、モノが多いのはイヌのせいじゃないですよね。うん。

台所の主である母は、料理は好きでいろいろ作っていましたし、料理自体は上手だとおもいます。しかし、片付けや掃除がまったくできません。しません。なんでもひたすら増やして、たまーに並べ直して、どんどん棚とか冷蔵庫とか冷凍庫の奥に詰め込みます。

それは片付けって言わないよね。

母は、世間で言ういわゆる「美的センス」みたいなのは結構ある人です。若い頃は服飾デザイナーになろうとしていたくらいなので、手先がものすごく器用で、ゼロからなにかを「創造する」のが大好きです。なんでも作ります。歳をとってからはガーデニングにハマり、それはもう常軌を逸するくらいやってます。それはすごいことです。でもそういうセンスと、家を片付けるような脳の機能とは、まるっきりぜんぜん違う働きなんだなーと、眺めているとよくわかります。

特に取捨選択が苦手で、古くなったあれこれを「捨てる」ことができないのです。(いちおう生ゴミだけは捨ててますが、それ以外は……)「溜め込み」というやつだとおもいます。

さすがに外からゴミを拾ってくるほどではありませんが「ご自由にお持ちください」系のモノは嬉々としてもらってきます。「どこに置くんだよ!」とキレるわたし。

いやほんと。あれは病気ですね。

ときどきど正論で怒ると「自分でもわかってるのよ。捨てられないのよ」と半泣きで逆ギレしてつっかかってきます。だめだ。

もうだいぶまえにあきらめて「あの人は職人なので。自分が熱中したことしか頭にないので。はい。アーティストの家族はほんと大変です」と言ってます。それについてはもう何も考えたくないレベルに達しているわけですが、いざ自分がその台所に立つとなれば、それは別の話ですよ。わたしには拷問レベルです。

このまえ二重マスクと二重手袋して、決死の覚悟で台所を片付けました。あまりにつらいのでついにキレてしまって「台所をこんなに汚くしているから、消化器の病気になったんだよ!」と暴言も吐きました。うん。本当にそうだとおもっているので、後悔はしていない。

だいぶがんばったけどものすごい徒労感に襲われて、途中でやめました。いまは「ものすごくモノが多くて散らかっている」けれど、汚くはないです。

↓  以下、不潔なセンシティブ形容あり

+++ +++ +++



あまりにも古くなった紙袋が大量に堆積し(そしてその下にはGの死骸たちが)、膨らんで変形した缶詰の底を恐る恐るみると賞味期限が2000年代初頭(!)だったり、袋が破れたきなこに大量に虫がいるとか、人間が入れるくらい巨大な業務用冷凍庫(なんでそんなもんが家庭にあるのだ)の中には賞味期限切れの冷凍食品(それも結構いいやつばっかり)が大量に堆積してるとか、冷蔵庫の奥底に詰め込まれたタッパの中身は原型がわからないくらいカビがびっしり生えているとか、野菜庫の奥底には茶色く溶けた液体(もとはなんだったんだろう?)がどろどろしているとか、ゴミ箱はどれも変色してベトベトになってるとか、炊飯器もグリルもねえ?これいったいいつ洗ったの?みたいな色になってるとか、すべてがなんかそういうかんじです。


↑  以上、不潔なセンシティブ形容おわり

+++ +++ +++

「死んだら捨てる」と唱え続けてきた

もともと何を言っても無駄なので、わたしはもう諦めの境地で「死んだら捨てる。死んだら捨てる」と何十年も唱えながら生きてまいりました。はい。

ふだんはできるかぎり関わらず、なるべく汚い部分を見ないで済むように、最大限の努力をしてきました。それでも、母が入院したときなどはどうしようもなくて、決死の覚悟で介入してあれこれ捨てるわけなんですが、それをやるとまぁ怒ること怒ること。定期購入の品とかも開封しないままじゃんじゃんたまるたまる。わたしは死にそう。

さらに実家の実家、それ以外の親戚(死んじゃった)からわざわざたくさん引き取ってきた食器が大量に溢れていて、どの引き出しも戸棚も開かない。なんでもかんでも棚に詰め込んで開かないくらいぎっちり詰め込んで、入り切らなくなると次の棚を買ってくる人たちの習性を「棚地獄」と言うらしいです。わかる。わかる。わかりすぎる。やってるやってる。なんでそんなことをしなきゃならないのか、わたしには意味が一ミリもわからないですが。

溢れすぎた食器は、もうだいぶまえから収納する場所がないので洗面台とかお風呂用品の引き出しにも詰め込まれています。意味わかんない。台所の狭い通路はご丁寧に小さいワゴンが三台も置かれていて、そもそも人が通るどころか居る隙間がない。そうそう。あの家にはなんと!納戸が!三部屋!あるんですよ。天井までびっちりモノが詰まっています。洋服もすごいよ。結局いつも同じものしか着ないのに。どんだけ持ってるのか知りません。

今後わたしがあれをぜんぶ処分するんですけど、ちょっと考えるだけで鬱になって死にそうです。めまいがします。

「ためこみ症」は病名になったの?

実はですね、母の実家もそういうかんじでした。祖母(大正生まれ)はまぁ仕方ないとして、その娘たち(三人姉妹)が全員揃いも揃って筋金入りの「ためこみ」です/でした。すごいです。思い出すだけでめまいがする。

さすがに生ゴミはないんですが、それ以外のモノがすごい。タンスの引き出しに何段分も、ぜんぶいっぱいにびっちり書き込まれた手帳がぎっしり詰め込まれてたりしてました。全部捨てました。そういうときは、絶対に読まない。読んだら負けだ。読みませんとも。

なんであの人たちは、引き出しにモノを詰め込むんだろう?こどものころから激しく謎でした。いまだに謎です。わからない。

引き出しがいっぱいになると、次の棚とかスチールラックを嬉々として買ってくるのです。なんなんだ。詰め込んだら、その存在を忘れてしまうみたいなんです。まったく意味がわからない。「棚地獄」そう。まさにそのとおりです。ひたすら棚とか百均のボックスが増殖していくのです。気持ち悪い。

大正生まれの祖母の世代くらいだと「もったいない」「なにかのときのために」ためておく習慣があったのは自然かもしれないと思うのですが、親世代はそこまでじゃないですよね。それにいまはすでに令和ですよ。

精神力動のことは詳しくないんですが、愛着の問題なのでしょうか?いやほんとわからないです。片付けたいけれど「勝手に捨ててはいけない」ってだいたい言われますよね。仕方ないので「腐ったものや、期限切れのものは捨てた」と今回もそこで線引きをしました。つらい。

つづく。

占い世界でのあなたの探検が、よりよい旅路となりますように!