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どうしてスピリチュアルを全く信じてなかった私が信じるようになったか:前編

今回はタイトルの通りの記事でございます。信じる理由をすぐお話してもいいのですが、多分唐突すぎて理解できないかと思うのでまず恐縮ですが私の過去、ここでは産まれてから~中学校入学頃までをお話させて頂こうかと思います。かなり長編となります(それくらい私の人生は濃いのだと実感しましたw)。文章がおかしいかもしれませんがそこはご了承ください。

【ハンデと出会い】

まず私は5歳の頃にアスペルガー症候群の診断を受けました。正確には軽度のアスペルガー症候群、グレーゾーンというものでしょうか。母いわく私が1歳の頃から奇怪な行動を取っていたらしく違和感に気づいていたそうです。例えばクマ柄の壁紙を見てずっとニコニコしていたり、どのおしゃぶりも断固拒否等いろいろあったらしいです。主な症状は、話すのが本当に苦手、冗談が通じない、こそあど言葉が通じない、笑い声が大嫌い(後に聴覚過敏だと診断されました。けど私は音嫌悪症だと思っております)等です。

話は少し過去に戻りまして3歳の頃から私は英会話を習い始めました。自分で言うのもアレですが発音も良く、単語や文法の覚えも早く優秀そのものだったのですが前述したアスペルガー症候群が祟って問題児でしたw授業が嫌だと感じれば退室、脱走。空き教室で本を読む感じでした。

そして小学校入学後も変わらず嫌なら出ていく、脱走を繰り返し先生が追いかけてきて怒られる...そんな毎日でした。怒られる度に言われていたのが「今どんな気持ち?」「心は今どんな感じ?」でした。思えばこれがスピリチュアルや内観への第1歩でした。しかし当時6歳の私には当然難しく逆ギレしておりました...

【絶望の始まりと光】

そんなことが毎日ですから、親が学校に呼び出されたり電話で報告を受けたり(着メロが童謡の森のくまさんでしたので今でもトラウマ曲です)で母の精神は荒んでいきました。当時(2010年前後)やっと日本で発達障害という言葉が医学界で普及してきたのでまだ世間の認知は皆無です。相談できる相手もいなく、私に殴る蹴るの暴行、罵詈雑言が日常になりました。私自身も病んで「普通に産まれたかった」が口癖になりました。

時は流れ小学5年生になるとイジメが始まりました。お世話になった先生は育休でいませんでした。相談もできず結果、別室登校となりそれで母をさらに病ませ家では暴力...という日常でした。ネットで調べた黒魔術を実行したり、自殺も考え何度も行動に移そうかと考えるほどでした。

そんな中出会ったのがボカロでした。(出会いの詳細、魅力などはまた別の投稿で書きますね)暗闇の中一筋の光が見えたようで生きようと思えたのです。それでどうにか小学校卒業まで漕ぎ付き中学校という新しい道へ行くのでした...

かなり長くなってしまいました。次回は中学校入学後~現在予定しております。ここまで読んでくださりありがとうございました!

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