【第4章】彼は誰時、明けぬ帳の常夜京 (5/19)【荒廃】
【怪異】←
ミナズキは、背後に気配を感じて振り返る。そこには、侍女装束に身を包んだ女性の姿があった。
彼女もまた、ミナズキの式神だ。炊事洗濯、身の回りの世話を任している。侍女の式神は、ミナズキの前に盆を置く。
盆には、粥の入った椀、香の物が載った小皿、漆塗りの箸が置かれている。
「いただきます」
ミナズキは誰に言うともなく頭を下げると、箸と椀を手に取り、簡単な食事を取り始める。
「此方が小食でよかった」
一つの都市、一つの国を養うために、一人くらいが食事を控えたところでどうなるものでもないが、ミナズキは自分の体質に感謝する。
「ごちそうさま」
さほど時間をかけずに、ミナズキの夕餉は終わる。箸と椀を盆のうえに戻すと、ミナズキは侍女に目配せをする。
女の姿の式神は、委細を承知したようにうなずくと、空の食器を下げる。すぐに侍女は、ミナズキのもとに戻ってくる。
式神は、両手で持った水の張られた占盤を床に置く。用を終えた侍女は、影に消えるように退室していく。
「シジズさまに知られたら、なにを無駄なことを、と笑われるかしら」
ミナズキは水盤に向き合うと、口元を手でおおい、呪言を唱える。円形の盤に薄く満ちた水に、波紋が広がる。
「……往け!」
庭に向かって、ミナズキは四枚の呪符を投げる。空中で呪符は三羽の鷹へと姿を変じ、闇夜に向かって舞い上がる。
ミナズキは、あらためて水盤の表面に視線を落とす。水面には、三羽の式神の視界が入り交じって映し出される。
「わずかでもいい。怪異の手がかりになるものが見つかれば」
ミナズキの思念の応じて、三羽の鷹は、それぞれ東西南に進路を取る。鷹の式神は、山を、森を、川を越え、都から離れた土地を飛翔する。
「ひどい……」
水盤に映る式神の視界を見て、ミナズキは思わずつぶやく。都周辺もまっとうな状態とは言い難いが、さらに離れれば目に余る荒廃が広がっている。
田や畑といった耕作地は、とうに放棄され荒れるままとなっている。
陽光を失った寒さのなかで暖をとろうと、薪を求めて樹々は切り倒され、禿げ山となった峰が目立つ。
「……人の気配すら、ろくにない」
南方を飛ぶ鷹の瞳が、山麓にたたずむ村の姿を捉える。集落の様子を確かめようと、ミナズキの意思が式神を降下させる。
鷹は、朽ちかけた家屋の上に止まり、周囲を睥睨する。
「う……ッ」
ミナズキは、思わず口を抑える。飢えて死んだ躯が、いくつも埋葬されることなく転がっていた。家畜の肉を喰らい、それでも食糧は尽きたのだろう。
静寂に満ちた村のなかで突然、がたん、と音が響く。ミナズキの思念に応じて、鷹は音の方向に顔を向ける。
「あ……ぁ、あ……」
無人かと思ったあばら屋から、一人の男が這い出てくる。飢餓の果てに枯れ枝のように萎れた肉体は、まともな声を発することもできない。
「おいおい、待て。どうせ、死ぬんだ。遅いか、早いかの違いだろぉ?」
這い逃げようとする男を追って、もう一人の男が姿を現す。手には太刀。盗賊のたぐいだろうか。
「こんな村から奪うものなんて、ないでしょうに」
ミナズキの口から、率直な感想がこぼれでる。狼藉者が舌なめずりをする様が水盤に映されて、ミナズキはおぞましい答に思い当たる。
「人を、食べる気だ……!」
反射的に、ミナズキは鷹の式神を盗賊へ向かってけしかける。
「な、なんだ。こいつは!? 鳥畜生は……屍肉でもつまんでやがれッ!!」
狼藉者が、力任せに太刀を振り回す。ミナズキの霊力がこめられた式神は機敏に旋回してかわしつつ、顔面に爪を突き立てる。
「痛え! やめろ、やめろォ!!」
盗賊は、顔を手でおおいながら走り去る。その背後で、飢えた村人はこときれていた。
ミナズキは深いため息をつくと、三方それぞれの式神を星の輝きも弱々しい上天へ飛び上がらせる。
「ひどい荒れ果てよう……世界が、死に絶えていくみたい……」
だが、その元凶となるものは見つけられない。術者の迷いを反映するように三羽の鷹は、空高くを旋回し続ける。
「やはり、あの場所を調べるしかないかしら」
ミナズキは、意を決して北方の山麓──『禁足地』へと式神を飛翔させる。
『禁足地』は、足を踏み入れることはもとより、占卜や符術による観測も禁じられている。露見すれば、ミナズキも厳罰をまぬがれないだろう。
「だとしても」
ミナズキは、都の上空を南から北へ向けて三羽の式神を滑空させる。陽麗京を越えて、北の霊山が鷹の目に映る。
水盤に映しだされる光景のなかで、山麓がぐんぐんと近づいてくる。ミナズキは、山間の渓谷の狭間から、わずかに光がもれている場所を見つける。
「きゃあッ!?」
式神の視界が突如かき乱れたかと思うと、水盤のうえにバチバチと電光がほとばしる。ミナズキは反射的に、袖で顔をおおう。
ふたたび水盤に視線を落とせば、そこには天井とミナズキの顔を映し出すばかりとなっていた。
→【宮仕】
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