意味があるのか無いのか、結果が出るか出ないか、もっかいやっても無駄か

全部やって確かめりゃいいだろうという精神で、お食事に誘ってみた。未だに既読はつかない。というか多分脈無しだろう。

強がりに見えるかもしれないが、内心ホッとしている。あの対応はマイナスだったかもなぁと思い当たる部分は何個もあったし、逆にこれでまだ脈があるとするならば女性心理は本当に分からない。そもそも自分自身が乗り気だったかというと微妙だ。実際に食事に行きたかったというより、食事に誘うのが礼儀というか、避けては通れない儀式のようなものに思えたから誘ってみた、というのが本音に近い。
ぶっちゃけ散歩とかでいい。食事に行くのはあまりにも格式が高い。服装もかっちりしないとだし、送迎もこなさなきゃだし、話題を絶やさないために会話をしないとだし。心の底から自発的に沸き起こったものではなく、なにもかも親密度を高めるための機械的なタスクに思える。それは向こう側も同じように思えた。わざわざ会話が途切れないように質問を織り交ぜて会話をしてくれていた風に感じたが、結局それは、本当に訊きたいから訊いたのではなくて、あくまでも会話を途切れさせないため、交際発展を一応視野に入れてますという意思表示に過ぎなかったのかもしれない。それに合格しなかったらしい。明らかに、会話がめんどうになって先に俺が投げ出した。それ以降は消化試合だ
そもそも、どこに惹かれたのかも釈然としない。なんとなくマッチしたから、なんとなく会話を始めて、寝る前に返信が来るから、朝仕事に行く前に返信する、俺の新しい日課になっていただけだ。やることが決まっていると、非常にストレスフリーだ。
盛大なイベントごとは苦手だ。何日も前から準備して、あれがあったほうがいいかここはこうしたほうがいいかとか、考えだしたらきりがない。ふらっとコンビニに行くとか、当日参加OKのちょっとした催し物とか、そういうのでいい。普段なら、仕事終わったーとか、晩御飯はこれ食べたーとか、どうでもいい報告をし合うとか、そういうのでいい。将来を見据えてとか大層な考えのもとで一緒にはいられない

もしかしたら、俺自身まだ子供のまま成長していないのかもしれない。今日、借りていた本を返しに図書館へ寄った。その帰り、二人乗りをしていた中高生のカップルのようなのが横切った。いいなと思った。それぞれがその状況に対してどう感じていたかは知る由もないが、もし俺があの時の男の子側の立場で、後ろに女の子を乗せて自転車を漕いでいたとしたら、その瞬間はどんなときよりも楽しいと感じていただろう。同性の友達でもなく、他の男でもなく、自分と一緒にいることを選んでくれたという事実がたまらなく嬉しいと感じただろう。
そういや、図書館内でもカップルに遭遇していた。女の人の姿は先に外で見かけていて、中にいた男の人を見つけると足早に近づいていった。視界の端で薄っすら捉えただけに過ぎないが、男の人を見つけた瞬間の女の人の表情は、安心感からか、笑顔になっていたような気がする。
離れる心配がない、身を預けてもいい、そういう信頼が必要なのだと思う

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