色々誤解だった挙げ句、明日普通に飯食いに行くことになった

単なる誤解だったようだ。あとは俺の被害妄想。言葉尻を曲解し、自分に都合の良い解釈をし、一方的に言いたいことを伝えるだけ伝えてブロック。メンヘラと言わずしてなんと言おうか。
当初の計画を無情に上書きされた、心理的負債の返済が叶わない、言いたいことがうまく言えないといった、ネガティブな感情に支配されていたのは間違いない。それ故、途中から話の流れをフラットに判断する能力が落ちていた。

あぁ、とりとめもない考えが頭の中でぐるぐるする。街なかの何気ない看板広告を見ただけでも、そこに映っている人物について考えたり、キャッチフレーズについて考えてみたり、そうこうしている内に目的地を通り過ぎたりということがよくある。この前、友達と飯を食いに行ったときもそうだ。俺が運転していたとき、何かしらの会話が始まって、そっちに集中するあまり青信号を見逃したり、逆に赤信号を見ていなかったり。一人の時であれば、自分はそういう危うさがあることを承知しているため、それ相応に運転には気をつけているが、集中する対象が変われば、自ずと他が疎かになる。これはなにも自分だけでなく大半の人はそうだとは思うが。にしても、ふと我に返り、”おいおい何をやってるんだ俺は”となるのはとても恥ずかしい

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