義輝の影と、将軍家の麒麟と、【麒麟がくる36話「訣別」より】

~前回までの(私の)あらすじ~

いや、あらすじも何もこれ1本しかないんですが。しかも導入は「麒麟がくる」なのにどんどん話が逸れて……まあ元々そういう話をするための記事だったので意図的なんですけども。
今回はわりとふんわり楽しんでいた「麒麟がくる」に前回の通りの理由で急にグッとひきつけられ、各種制作側のインタビュー等々意識的に見るようになったところ、ちょっと呆然としていた部分がようやく一応日本語に出来そうになったので書き留めておきます。

まず何に呆然としていたかと言えば、だいたい三淵藤英役・谷原章介さんのインタビューです。なんで呆然としてかと言えば、作中の三淵さんの様子から察せられる以上にめちゃくちゃ露骨に義輝さまの死を引き摺っておられたからです。(例:「上洛する義昭を見て、もう支えるのは義輝ではないことを思って寂しくなった」「義輝の死に立ち会えずみすみす死なせてしまったことがつらい」)

永禄の変からこちら、三淵さん自身はまあ覚悟キマりすぎてる感じはあるものの、義昭公を擁立し義輝亡き後の幕府のために邁進していたので、谷原さんのなんかすごいとらわれたご様子に、「この後三淵さんの亡き主君への押し殺されてきた思いが、この熱量で怒涛の回収される伏線なのか……?(ヤバ……楽しみではあるが怖い……)」「それともワンチャン三淵さんを置き去りに谷原さんが死者に引き摺られているのか……?(エライコッチャ……)」という2つの可能性を想定し勝手に悩んでいたのですが、36話「訣別」を見る限り前者でしたね、という話です。

谷原さんにとにかく惑わされていたことを滔々と語ってしまいましたが、書き留めておきたいことは ~義輝の影と残された者たち(36話現在)~ です。

勢いだけで書いてるし過去の放送の記憶が正直に白状するとだいぶフワッフワなのでそもそも勘違いしてるかもしれない、そんな感じのところ見つけたらツッコんでいただけると嬉しいです……

正当な後継者・兄義輝と、急造の将軍・弟義昭

「兄上の轍は踏まぬ」(足利義昭, 第31回)
「兄君は兄君、公方様は公方様なのだが……」(明智十兵衛, 第36回)
「私は良いと思う。公方様は武家の棟梁(後略)」(三淵藤英, 第36回)

そもそも、既に上に継嗣である兄を持って生まれた義昭は、本来将軍になるはずのない立場であったわけなのです。何なら跡目争いで血が流れる(一族としては前科アリ)のを未然に防ぐために仏門に入れられ、むしろ意図的に将軍の座からは遠ざけられていたはずであって(このへんの足利氏/室町幕府の歴史学べる本ってなんかありますかね……?)。
あと今回ほんとうに関係ない話なんですが、足利氏の祖(義康さん)、ちょうど鎌倉幕府将軍家の父(義朝さん)が望む望まざるはさておき、弟たちを次々に手に掛けるところを見ていたのだな……。

そんな中、兄以来の家臣たちに囲まれ、将軍としての振る舞いを求められる義昭の立場たるや。将軍たれと育てられた兄ですらままならぬこと多く、一度は失意に沈み、苦悩の中誅殺されてしまった事実の後にその座に就いたのです。兄をなぞれば殺される、けれど義昭は「死にとうない」――手本となる光としても、死者の影としても、死してなお幕府の中枢にちらちらしていた義輝の存在でしたが、なんかもう兄の轍を踏み抜くみたいな形で表出し、結果十兵衛との関係に完全にヒビが入ってしまいました。

「頭を冷やしてよう考えた。武家の鑑でなければならぬ将軍が、己の意に沿わぬからとその者の闇討ちを企てては、ますます将軍の権威は落ちる一方じゃ」(足利義輝, 第22回)

将軍が、武家の棟梁とはもはや名ばかりの無力な存在であると知ってしまった十兵衛が、それでも義輝に心動かされたのは、彼が自分の無力を嘆きながらも紛れもなく誇り高き武家の棟梁だったからであり、義輝が己の矜持で踏みとどまった一線を義昭が越えてしまったという点でも、十兵衛にとってはショックだったのかなあ……と思いました。三淵に距離を取られ、十兵衛も別に自分の家臣ではなかった義輝が「将軍としてはやってはならぬこと」と思いとどまったポイントを、三淵が寄り添い、十兵衛も幕臣として支えてくれていた義昭が越えてくるの、残酷な対比だな。

そして前回だったか、義昭は「頼りに出来るのは三淵と十兵衛だけ」と漏らすのですが、この二人が義昭のそばに居たのも、元はと言えば義輝の末路の反動ですよね(たぶん)。義昭が「兄の轍」を踏みたくなかったのと同時に、彼らも「踏ませたくなかった」し、彼ら自身としても「義輝公のときの轍」は踏みたくなかった。

十兵衛は「麒麟がくる世」を現実に出来る力を将軍の手に与えたかった(今度こそ)

のだといまのところ解釈しているのですが(前半の放送の記憶が曖昧なので読み違ってるかもしれない……)、さて、三淵は?

己の無力を呪い、荒んで「三好を討て」と言い始めた義輝を諌め、やがて距離を置き、最終的にみすみす死なせてしまったわけなのですが、戴くのが足利家の誰であれ、幕府のために尽くすことを第一にほかを割り切ってるのかなあ……と思っていたのですが、どうも結構"義輝という個"を引き摺っている……!? と36回を受けて思ったのがこの人です。いや、あるいは、実際義輝の死という結果を受けるまでは割り切っていたのが、あの死で崩れたのかもしれないな、と(わからん)。

「義昭らしさ」を失っていく義昭に複雑な表情をしている十兵衛に対し、あまりにも場違い(主観)に明るい笑顔なんですよ、兄を意識して剣術の稽古に励んでいることを説明する三淵さん。

十兵衛が義昭を「義輝が目指した麒麟がくる世」を目指す人ではないと、「今度こそ」の失敗を悟って離れたとすれば、三淵さんは今度こそ主に殉ずる気なのか……。今まで「幕府のため」と色々やってきたこの人が、もはやこれまでとなった(まだなってないけどゆくゆくは!)幕府に殉ずるの、俗世に引きずり出し壊れてしまった義昭に対してという点でも、責任のとり方としては普通に正しいと思うんですけど、そう片付けるにはあまりにも秘めたものがありすぎる気がしたんですよね、あの笑顔。

そしてなんのかんの義昭はしぶとく当分くたばらないわけ(ネタバレ……ではなく史実)ですが、三淵さんはまあ、うん、全然寿命じゃない理由で先立つわけだが。何を思って死ぬんだろうか……今後の放送が楽しみだな……

うん? あれ? 結局三淵さんに惑わされたところに戻ってきてしまった!

※第37回視聴後追記※
三淵さん、義輝と義昭で兄弟とはいえその性質は違うことは承知のうえで、どちらも「公方様」として大切で、その上で義輝の死はすごく悔いていて、義昭には何としてでも生き永らえて欲しかったのは確かなんだろうな。前回の場違いスマイル、「主」に義輝・義昭・将軍家そのもの・幕府を全部ひっくるめたうえでのものだったのかもしれない(考え中)

カウンターとしての駒

十兵衛、藤英、(なんか最近段々親しい人にバンバン先立たれる人の気配が漂ってきた)藤孝、等々、兄由縁の家臣団に囲まれている義昭ですが、今回ドラマ上では恐らく意図的に、兄を知らない、シンプルに義昭とのつながりでそばにいる人が居ます。そう、駒さん。

まさか公方様の弟君とはつゆ知らず、市井の貧しい人々に「生き仏」とまで崇められる覚慶であった頃の義昭に出会い、その理想に共感し、義昭が還俗し将軍となってからも理想を共有していたはず……の彼女ですが、35回では追い詰められ限界を超えてしまった義昭にその切迫した胸の内を吐露され言葉を失い、36回では傷ついた人々を癒すための元手であった財を軍資金にしたいと一方的に告げられます。義昭がいかに理想が破れ血に塗れたか、あまりにも象徴的なシーンだなあと思いました。

そしてついでに、演者の滝藤賢一さんのインタビュー(義昭は武士として育った父や兄とは違う、お坊さんのまま居た方が良かったのかもしれない)を読んで思ったのは、義昭の「麒麟がくる世」へのアプローチはこれじゃなかったんだろうな、ということです。本人の望む望まざるに関わらず将軍になるほかなかったのでもうどうしようもないのですが、義昭の美徳は麒麟を呼び得たかもしれないが、将軍になってしまった時点で永遠に潰えたのではないか、と。彼ら兄弟の父・義晴が語った「麒麟」の話は、あるいは、兄義輝が将軍として君臨し、弟覚慶が兄の手から溢れてしまうものをすくい上げる形であれば、麒麟はこの世に舞い降りたのかもしれないな……と、少なくともこのドラマに関してはしみじみ考えてしまいました。

うん? あれ? 結局私、永禄の変から立ち直ってないぞ……

以下、取り留めのない諸々

細川藤孝さん、義輝から貰った"藤"の字を冠しつつ、幕府に殉じた兄の息子と、本能寺った(言葉を尽くせ)盟友の娘を身内に抱えて戦国時代終盤から江戸時代に向かっていくのかぁ。

「籠の中の鳥」を解き放ったのはさて誰であったのか。いよいよちゃんと最初から見返さないとなんとも言えない。

三条西邸~内裏ではまるで服に着られるようで、帝の高貴さに触れる姿があまりにも初々しかったのに、織田家中では従来の家臣団に一目置かれていることに相応しい貫禄を見せ、妻を前には1人の夫の顔(デートで坂本城に行ける身だが)をする長谷川博己さんすごい。

久秀に「信長を信長たらしめたのはお前だぞ(意訳)」と言われ、佐久間信盛に「信長さまに忌憚なくものを言えるのはもはや明智殿のみ」と言われてしまった十兵衛だけど、これは引責の形の本能寺になるんだろうか。

畿内のゴタゴタがメインなので出てきてないけど物語の裏で明らかに大変なことになってる家康さん頑張れ……

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