幕府の終わり、各々の矜持【麒麟がくる ~38話】

~前回までの(私の)あらすじ~

36回段階で、終わりが近づいてきた室町幕府に対して「今後の放送が楽しみ」とか何とか言ってたんですが、終わってしまったのでちゃんとまとめようと思います。

と、その前に、最近読んだあるいはつまみ食いした書籍など。……ここに突っ込むモンじゃない気もしますが、手短に。 (歴史的に真面目な話しは別の機会にしてみたい)

○金子 拓(2002) 「室町幕府最後の奉公衆三淵藤英」 東京大学史料編纂所研究紀要:12
・義輝公激おこの将軍梯子外し永禄改元の、幕府側連絡係を務めたのが三淵
・通称は弥四郎
・弟藤孝には12代将軍義晴落胤説がある
・永禄の変直前の活動はさっぱり謎

あと、「戦国武将年表帖(上巻)」などなどによると、13代将軍義輝(初名・義藤)の元服&将軍宣下は近江・坂本で行ったそうです。マジか、坂本か。今年の大河で印象的な人たち、何かと坂本に縁があるのね。

最後の奉公衆の死

前回記事であんなに三淵さんについて色々言っていたから言及せざるを得ない。そして谷原さんのインタビューについてもなんか色々言っていたのでコメントしなければならない。

生き残ったとしても、死んだも同然。
 (中略)
どう生きるかということは、どう死ぬのかということなのかもしれません。
 (中略)
藤孝の生き方は、人間としては正しいと思います。
ですが、三淵の生き方は幕臣として正しいものであったと思います。(谷原章介さん, 麒麟がくるHP「三淵藤英 役 谷原章介さんインタビュー」)

ふと「人は一代名は末代」という言葉を思い出しました。
再三ではあるのですが、私の麒麟がくる視聴熱は「義輝さまに引き込まれ三淵さんに立ちすくむ」みたいな感じで、発端は放送再開後散ったどこぞの剣豪将軍だったのですが、よく考えたらあの方の胸の内もわかるようでわからないし、三淵さんが死の直前の主人~横死を一体どう受け止めたのかもようわからん。わからんのに谷原さんがめちゃくちゃ義輝さまの話していたので動揺していたのが前回記事だったわけですが……。

乱世の中で死にゆく兄/その先を生きる弟、という構図が義輝・義昭の足利将軍家兄弟と藤英・藤孝の幕臣兄弟でダブり、その筋から攻めてみようと思いました。……何と戦っているんですかね?

兄の誇り、弟の意地

○永禄の変・義輝再考
 あくまで演出に対する印象という点での話なのですが、「誰かある」で誰も出てきてくれないような状態で、本人も自分を取り巻くキナ臭さは感じていたであろう中あえてその状況のまま留まり、いざ攻め手に囲まれるといくら腕に覚えがあろうと不利は悟っているだろうに極めて落ち着き払って打って出ているあたり、麒麟がくるにおける義輝はここを死に場所と思い定めて振る舞っていた……ともとれなくはない
 永禄の変に突入する前の流れをさらってみたのですが、松永さんが三好方と義輝との間の調整をはかることに対して匙を投げた発言をするところがあるんですよね。大体要約すると、

ものの価値も将軍の価値も決めるのは人で、今の義輝公の将軍としてのありようは評価されていない。だが十兵衛が義輝公に酔心しているのはわかっているし、美しいものは美しいことは認めるところである。出来る限り穏便にことに対処するために将軍位は退いていただき京からは出ていただくが命を取る気はないし取らせないようつとめている。

みたいな話で、これがこのまま義輝本人に伝わっていたことはまずあり得ないとは思うのですが、……今回大河の義輝、権威を剥奪され無力で美しい存在として生き長らえることを受け入れられる人格だっただろうか?
役者のインタビューで深みに嵌り続けるこの傾向の良し悪しはこの際さておき、放送再開結構直後に死ぬことになった義輝を演じた向井さんが、放送再開を前に語っていた言葉として、

があるのですけど、嫡子として生を受け将軍という立場と己の人格がいまさらもはや剥離不可能だった義輝が、自分の価値を「他人からの評価」ではなく最初で最後の己が意思のみによって決するための手段があの死に様だったのかなあ……とか考えてみたりしています。
上手くいったかいかなかったかはさておき、一挙一動に「将軍としての評価」がつきまとい、それゆえの使命感と同時に思うようにならなかったときの鬱屈があったと思うのですが、それを脱して我を通す手段としてはお見事というか。将軍という器に殉じて死んだで片付けるのは表現がかわいらしい感じがして、さりとて好き勝手やって散ったというには公人としての色が見えるなあ……というめちゃくちゃ主観的な印象があるんですが、そのへんのバランスをとっていまのところしっくり来てるのが上記の感じです。

……永禄の変放送からもう3ヶ月経ってますけど!!?

○家臣の器、捨てられる花の誇り
三淵さんが坂本城預かりになった後に十兵衛と繰り広げたやりとりに、

十兵衛「信長さまのお考え、ときに測りかねることがあります」
三淵「主とはそういうもの、そういうときにこそどう付き従うか、それが家臣の器」(第38回)

というのがあるのですが、三淵さんが「お考えを測りかねた」主、義輝か義昭かどちらを指すかといえば、義輝の方な気がするんですよね。視聴者目線からしても、義昭の方が不安・焦燥・空回り等々がわかりやすかったですし、周りに居た人間からしてもそれは同じだったんじゃないかな、と思いますし。で、そうなると、対義輝の場合において、三淵は己の思うところの「家臣の器」を十分に示せたのか? という。
個人的には、永禄の変の顛末はここに後悔が残るようなものだったんじゃないかと思うのです。兄を意識して剣の腕を磨き始めた義昭に対して嬉しそう(嬉しそうで片付けて良いのかわかりませんが)だったあたり、義輝に対し失望して見捨て切って義昭時代に突入したとは到底思えませんし、その後二条城に立てこもって降伏後、藤孝・光秀を前に真っ先に問うたのが「義昭の無事」で、それさえわかれば自分の身にまるでこだわりなさそうだったの、義輝の横死はずっと忸怩たる思いで引き摺っていたのではという気にさせられる。
でも義輝は結構どことなく自分の末路薄々悟ってそうな発言を生前にしていたので(あの「また会おう」は実現しないことを知っている人間の言い方ではないかと思ってしまう)、義輝・藤英の主従関係で一番最後に「お心を測りかねた」点は死の前~死のあたりにあって、主に死なれてしまって取り返しがつかなくなったような……そんな感じが、どことなく。

そして、義昭には義輝と同じような目には遭ってほしくない、自分も義輝のときのような思いはもう二度としたくない、己の命運は主が足掻きながら守ろうとした幕府と共にある、というような決意を抱いたのかなあ、と。まあもちろん重代の家臣としての本人のプライドも大いにあると思うんですけど。

義昭が信頼していた相手は本人の弁いわく三淵と十兵衛で、十兵衛は義昭が信長に敵することを決めた時点で手元を離れてしまったので、最終的に最後まで残ったのは三淵のみということになるのですが、切腹を言い渡された三淵は自分の死がその主を置いていくことになるにも関わらずスッキリ後腐れない表情なの、例え義昭が将軍位にはいまだ在ったとしても幕府は事実上滅びてしまったという自覚と、自分が居なくても義昭は生きていけるという思いがどこかしらあるのでしょうか。義昭、家康をして「あれでなかなか食えぬお方」と言わせしめていてなんのかんのしぶとい印象は確かに受けるけど。

三淵さんが幕臣としてしか生きられない人なら、義輝さまも将軍としてしか生きられない人な気がする。本人がそれ以外の道を拒むという点まで含めて。「捨てられる花にも一度は咲いたという誇りがあるように見える」という言葉、自分だけではなく前の主、そして終わりゆく幕府そのもの、それに何かを賭した人々全てに対して向けられたのではないだろうか。時代の流れに破れた自覚はあったとしても、咲いた花には散る機会だけは残されている。

○弟たち
……それで括られても困るみたいな顔で藤孝さんがこっち見てるよ! どうするのッ!
茶番から入ってすみません。散り際で己の生き様を見せつけてきた兄たちに対し、弟たちはその後を兄と同じ血を引く者として、ときに決して綺麗な言葉で片付けきれないやり方で生きていく。兄たちの生き方も綺麗な言葉で片付けきれないところ多々ありますが、恐らく死で帳尻合わせしてきたので……。誇りに散った兄のぶんまで泥を啜ってでも生を繋ぐかの感じ、ある種の「兄という生き物のズルさ」と「弟という生き物の逞しさ」みたいなものを感じるし、なんなら兄たちが誇りに散れたのは後を託せる弟の存在ゆえかもしれない。

前回noteで周りが義輝の生き様死に様を引き摺っているからこそ、義昭を真っ直ぐ見てそして肯定してくれる人が物語のバランス上必要だと思うしそれを担っているのが駒なのだろうということを言っていたのですが、完全に勢力としては追われてしまった状態の義昭に対して「じゃあもう将軍をやめてしまえばよいのでは」というようなことが言える人、必要だよなあ……と改めて思いました。十兵衛や三淵、藤孝には絶対口にできない言葉ですから。例え心のなかでそう思うところがあったにしても。義昭を将軍としていただき、ここに至るまでの道筋をつけるのに程度に差はあれ責任がある彼らには。例え勝ち目がないことがわかっていても、我が身を危うくする行為だと自覚していても、それでも三淵が義昭の足掻きに同調を示したの、主がここまで追い詰められる要因を作った責任の一端を感じての部分もあるのだろうし、いまさらほかに主を見つける気もさらさらないことの証左でもあるのでしょうね……。
駒と義昭の交流にあれだけ尺を割いて、そして主人公の死後も恐らくしばらくは生きていく人たちなので、なんというかこう……義昭のその後に多少はホッとできる形でもう一度この2人が言葉を交わすシーンがあることを願う。

兄と弟の対比というもの、このドラマで何組も出てきていて、1つのサビだとは思うので思索を深めたいところです。
ところで兄・藤英にシンパシーを感じてしまうタイプであるところの十兵衛が”盟友”になる藤孝さんのお気持ちやいかに。

泣いても笑ってもあと1ヶ月!! 残りの放送が楽しみです!!!

すみません、相変わらず感覚で書きなぐっているので「そもそも事実誤認しているよ!」という点があったら指摘してください……

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