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大学時代の中国における教育支援ボランティア活動経歴

大学時代に一番楽しかったことといえば、思い浮かぶのは教育支援ボランティア活動を参加したことです。
なぜこれは最初に頭に浮かんだのか、私にも驚きました。

2016年1月21日、大学生二年生の時、私と11人のチームメートは、100キロ以上の教育物資を持って、四川省銀鉄郷中心小学校に到着しました。ここで三週間の教育支援ボランティア活動を行っていました。
冬の最も寒い日、私たちは毎日4時に起きて、山道を一時間ぐらい歩いて学生たちを迎えて学校に行きました。午後2時学校が終わった後、山を越えて、学生の家へ家庭訪問をしに行きました。この村の子どもほどんとは「留守児童」(両親とも出稼ぎに行っていって、農村に残されている子ども)ですので、私たちは彼らの状況を調査して、政府からの支援金を申請するのを手伝いたいと思っていました。その時、少なくとも毎日スマホの歩数計で5万歩を記録されました。夜8時学校に戻ってから、みんなはそれぞれ宿題のチェックや授業の準備などしなければなりませんでした。そして最後、一緒に会議をして、当日の授業の進度と起こした問題を記録して解決策を考えました。
12時に帰ってきたら、私たちはもうくたくたになりました。寮にはお湯もなかったし、小さいジャーポットも一つしかなかったです。このジャーポットが十分なお湯を沸かすのを待つ余裕も当然なかったです。やむなく水で顔と足を洗って、沸かした貴重なお湯を、一人ずつ一口だけ飲んで寝ました。布団もなく、ダウンジャケットを着たまま寝袋に寝てもすごく寒かったです。毎日寝苦しくて、お互いに面白い話を言って、寒い夜を過ごしました。
その三週間の生活が本当に大変だったので、何が大学時代に一番楽しかったかというと、このことを思い出して、自分でも驚いたのです。

でも、環境がどんなに厳しくても、その時の私は非常な熱意を持っていました。毎日、山の子どもたちが良い教育を受けて、外の世界を見て、良い都市や大学に行けることを願って、彼らを助けたいと思っていました。それで、私は困難を乗り越えて成長したんです。それだけでなく、同じ志の友達もできました。

これは私の貴重な経歴です。


しかし実は、活動後の振り返りで、私は教育支援ボランティア活動にいくつかの問題を気づきました。特に、参加した大学生全員が授業の準備を十分に完了しているわけではないことです。山の子供たちにとって、都市からの「先生」は多くの新しいことを知っていって、「先生」が言ったことは正しいことです。それに対して、私たちの言葉や行動は本当に彼らを適切に導けるでしょうか? この問題に悩まされたため、それ以来この活動には参加しませんでした。
教育問題については、政府が子どもたちの教育支援の取り組みを行うべきだと思います。

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