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パワハラからの鬱病を乗り越えた方法

今回の記事では、私のことについて書いてみようと思います。過去の記事で、離婚したことについては書いたのですが、続きがありました。

離婚した時は、まだ子供が保育園に入れるかどうかも決まっていなかったので、仕事を探すことが出来ず、無職の新生活スタートとなってしまいました。保育園が決まり、仕事を探せるようになったのですが、苦戦しました。それは、保育園が2次入所申込だったこともあり、希望の保育園には入れず、家から自転車で15分の遠い保育園になってしまったからです。必然的に、仕事を探すのは、保育園の近くになりました。そして、ある仕事を見つけ、働くことになったのです。

私は長らく専業主婦だったこともあり、ブランクがあるため、人よりも努力しないといけないと思い、一生懸命働きました。しかし、仕事場は新人に教える時間もない程忙しく、まるで戦場のようでした。そんな中でも、必死で働いていたのですが、入って間もない時から、上司の厳しいパワハラが始まりました。でも、私は、最初パワハラだと思っていませんでした。なぜなら、私はまだ入ったばかりの新人で、仕事が出来ず、それが原因で怒られていると思ったからです。つまり、自分のせいだと思ったのです。

私は、一生懸命勉強し、仕事を覚え、働きました。そして、一緒に働く同僚からは「まだ入ったばかりなのに、たくさん仕事を覚えて、すごい!時給上げてもらってもいいくらい!」と言ってもらえるほどになりました。しかし、上司からのきつい当たりはなくなりませんでした。そこで、これは私の力量の問題ではないことに気がついたのです。そんな私に、神がこんなメッセージを送りました。

私はいつものように職場にいると、ふっと目線を、ある1枚のポスターに向けさせられました。そのポスターに書いてあったのが「パワハラ」でした。そのポスターをよく読んで見ると、私の置かれている状況が当てはまっていることに気づき、初めて自分がパワハラにあっていることを知りました。神はこれを教えたかったのです。

パワハラをする人が2人、その他にも高圧的な人が数人いたりと、私の心はボロボロになりました。私は仕事に行くのが地獄で、嫌になりました。そして、仕事が始まると急に息が出来なくなって、苦しくなる症状(神から後で、それは過呼吸だと教えてもらいました)も出始め、あまりに辛く、仕事を辞めたくなりました。でも、そんな苦しんでいる私に神が言ったことは、こうでした。

「耐えろ。今は耐えろ。いつかきっと報われる時がくる。だから、耐えろ」

神は、「今仕事を辞めても、次の仕事は見つからない。だから、耐えるしかない」と言うのです。確かに、この仕事もやっと見つけ、コロナウイルスの影響で、仕事の求人が少なかったのです。私には、保育園に通う子供がいて、次の仕事が決まらないと困るので、辞めることが出来ませんでした。私は、耐えて、耐えて仕事を続けました。そして、その結果、鬱病になってしまいました。これも神から「あなたは今、鬱病だよ」と言われ、初めて自分が鬱病であることを知ったのです。

生きているようで、死んでいるような、そんな感覚でした。それでも、子供がいるので、休む訳にはいかず、必要最低限のことはやって、後はずっと寝る、そんな毎日を過ごしていました。そして、何もやる気が起きないので、自分のことは疎かになり、体重は激減しました。

そんな中でも私は、このパワハラから気づきと学びを得ていました。それは、上の立場だから強いとか、下の立場だから弱いということはなく、全ての人間は平等であり、相手に慈しみの心を持って接することが大事だということです。自分を傷つけないのと同じで、相手も自分だと思い傷つけてはいけないのです。わざとではなく、なかなか仕事がうまく出来ない人もいると思います。そんな人に対して、上の立場の人がすることは、相手を責め、萎縮させるのではなく、自分に出来ることは何かを考え、助け合うことだと思います。そうすることで、その人本来の力を最大限に引き出すことが出来るのだと思います。そして、それが会社の功績にも繋がるのです。パワハラをして、良いことは一つもありません。

パワハラをする人が本当に、この世の中にいることがわかりました。でも、そういう人と私の考え方は全く違い、一緒にいるべきではないという結論に至った数日後、神から「辞める」という言葉が入ってきました。学びが終了し、辞めても良いと言うのです。そして、それは現実にもあらわれました。子供の保育園の転園が決まったのです。それにより、わざわざ遠い職場まで通い、働く理由がなくなり、辞めることになりました。

私は、この厳しい現実を身を持って経験することで、成長することが出来たと思います。そして、鬱病になり、辛い感情や痛みを知ることが出来ました。このパワハラは、そのために必要な経験で、出会わされたのです。この経験を、ただ辛かった経験で終わらせるのではなく、気づきと学びを得るための良い経験だったと考えることが大事だと思います。こうして、私は新たな環境で、少しづつ鬱病を克服し、前に進むことが出来たのでした。


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