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死に対しての向き合い方

前の記事の「天国と地獄の真実」で、あの世はないと書きました。昔から、あの世という極楽浄土をつくることによって、死への恐怖を和らげていたのだと思います。確かに、あの世があることによって救われる人がいるのかもしれませんが、私は神から教わった真実を書くと決めているので、あの世があるとは言えません。このことについて神と話し合い、死に対しての向き合い方を変える必要があるという結論に至りました。死の話はタブーとされていますが、この事で苦しむ方が多くいると知り、今回はそのことについて書こうと思います。

最初に、あの世があることによって救われる人がいると書きましたが、良い面ばかりではありません。あの世がつくられたことによって、あの世で死んだ人が待っている、死んだ後はあの世でまた会えるという考えが生まれました。この考えが浸透したため、心の整理をつけ、亡くなった人とお別れすることが出来なくなってしまったのです。その結果、死んだ人を追って死を選んだり、死んだ後もそばにいてほしい、ずっとそばにいて見守ってくれていると思う人が増えていきました。

死んだ後もそばで見守ってくれているということは、良いことで、感動する話だと思うかもしれません。しかし、神と話をして、果たしてそれは本当に良いことなのだろうかと考えるようになりました。「人は死んだらどうなるのか」の記事にも書きましたが、心配な気持ち(未練)を持って守護霊として、そばで見守られるより、見守らなくても大丈夫だから安心して成仏してほしいと願い、亡くなった人の分まで生きることの方が、良いのではないかと思いました。霊と人間、互いに大事な人だからこそ未練や執着を捨て、幸せを願うのであれば、区切りをつけ、お別れすることが一番良い形なのではないかと思います。あの世がつくられる前は、この形がしっかり出来ていたそうです。つまり、心の整理をつけ、成仏を願い、亡くなった人とお別れすることが出来ていたのです。だから、この頃は守護霊という存在はなかったそうです。神も、亡くなったすべての人がこの世に残ることなく、成仏することを願っているのです。

心の整理をつけ、お別れすることは簡単なことではないと思います。しかし、互いの幸せのためには必要なのです。生前の思い出は決してなくなりません。ずっと心の中にあり続けるのです。日本にはこんな風習があります。それはお盆です。神によると、成仏した霊は消えてなくなってしまうのですが、お盆にはこんな意味があるそうです。

「お盆は故人に思いを馳せる時」

一年に一回あるこのお盆の期間は、必ず故人を思い出し、あの時は楽しかった、あんな事やこんな事があったと懐かしみ、温かい気持ちになると思います。あの世がなくても、成仏してそばにいなくても、このようにいつまでも心で繋がっているのです。だから、忘れ去られることもありません。これが互いにとっての幸せなのではないかと思います。

さらに死への恐怖や悲しみを和らげるために、死を次のように捉えてほしいのです。人はいずれ必ず死を迎えます。死が訪れない人はこの世にいません。そして、その死はすべて神が決めています。神が、一人一人に必要なタイミングで死を迎えるよう決めているのです。これを運命とも言います。死を迎える時というのは、神が決めたその時が訪れたということなのです。そう考えると、死を避けることは出来ないので、運命だと受け入れることが最善なのではないかと思います。だから、死ぬことに対して恐怖を抱く必要はないのです。

また、死を悲しいもの、悪いものと捉える必要もありません。なぜなら、

死=神が決めた死まで生きることが出来た=良いこと

だからです。確かに亡くなった人とお別れすることは悲しいかもしれませんが、死は悲しいことではありません。死を卒業で例えると、神から卒業証書を受け取り、今世卒業することが出来たということになります。「今世卒業おめでとう」と考えると悲しいことではないのです。でも、いつ卒業のタイミングが来るのかは分かりません。また、自分の体を大切にしないと卒業を早めてしまうこともあります。だから、一日一日自分を大切にしながら過ごすことと、やりたい事をやって、人生を全うすることが大事だと思います。

ただし、自殺に関しては別です。自殺は神が決めた死ではなく、自分で決めた死です。従って、自殺は良いことではありません。だから、決して自殺してはいけません。苦しみから解放されたいと思って自殺しても、来世またその苦しみを味わうことになります。この苦しみは神から与えられた、乗り越えなければいけない試練なのです。試練を試験で例えると、神から与えられた試験に合格していないので、もう一度その試験を受けることになるのです。そして、合格するまで、試験を受け続けるのです。しかし、神は乗り越えられない試練を与えません。なぜなら、乗り越えられない試練を与えても意味がないからです。だから、どんなに苦しい試練でも、必ず乗り越えられるのです。

自殺は自殺した人の魂の問題です。残念ですが、今世、試練を乗り越えられず、魂を成長させることが出来なかったということになるのです。残された人の問題ではありません。どんなに辛く苦しくても、死を選ばず、試練を乗り越えなければいけないのです。だから、残された人に出来ることは、来世こそ、その試練を乗り越え、魂が成長しますようにと願い、エールを送ることだと思います。

このように死に対しての向き合い方はさまざまだと思います。しかし、全てに共通して言えることは、死は恐怖や悲しいことではないということです。死に対しての見方を変えることによって、少しでも苦しむ方がいなくなる事を願っています。


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