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新人らしく 中原道夫句集『九竅』を読む(3)

「銀化」主宰・中原道夫の最新句集『九竅』(2023年9月発行)を毎月一句ずつ、12回に亘って鑑賞していきます。今回はその第3回です。

春炬燵からも新人らしく立つ
             中原 道夫

中原道夫句集『九竅』所収

 五十代も半ばを過ぎ、日頃妻から姿勢のことで咎められることが多くなった。超高齢社会の日本であるから、ひとたび外出すれば、老人が背を丸め、冴えない姿で歩いているところを其処彼処で目にする。そのたび妻は「将来あなたがあんなふうになったら、ポイ(ポアではない)しちゃうからね」と脅してくる。私としてもそう簡単にポイもポアもされたくないので、否応なく姿勢には気をつけざるを得ない。

 病的なものを除けば、不良姿勢の原因は凡そはっきりしている。老化による伸筋力の低下だ。骨格筋は、関節を曲げる屈筋と、伸ばす伸筋とに大別され、加齢とともにまず伸筋から衰えていく。これを生理的屈筋優位という。体を起こし、姿勢を正す働きをする背筋群もまた伸筋の一つにほかならない。要するに、年をとると背が曲がり姿勢が悪くなるのは、この生理的屈筋優位によって体が小さく小さく、縮こまろう縮こまろうとしている証なのだ。

 ところが、老化とは無縁であるはずの十代・二十代の若者たちの間にも、猫背や円背が珍しくなくなってきた。これは近年のスマホ依存文化が、高齢者のみならず若者の伸筋力低下をも急速に進行させた結果とみるべきだろう。スマートフォンはその便利さと引換えに、多くの大事なものを私たちから奪ってしまったように思えてならない。その一つが「若者らしさ」だと考えるのは、単なる中高年おやじのセンチメンタリズムだろうか。

 言うまでもなく、春炬燵は温かく気持ちのいいものだ。だが本来、炬燵は冬のもの。気持ちがいいからといって、いつまでもぬくぬくと浸っていてはいけない。若者は若者らしく、新人は新人らしく、いつかは炬燵を出て、自ら立って歩いていかなければならない。そのときは、老人のように背を丸めながらのそのそと這い出ていくのではなく、背すじを伸ばし、十本の足の指で大地を鷲摑みするように立ち上がってほしい。
「新人らしく立つ」の裡には、そうであれと希う気持ちが籠められているのではないか。どうしてもそう斟酌してしまう。こんな私の老婆心も、やはり老化の一種なのだろうか。(了)

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