空區地車の力学その87.「伝統vs費用」の狭間で
私の父は70歳の引退まで、主に1戸建ての注文建築と、その改築・改装(リフォーム)で生業を立てる工務店を営んでいました。
「大工殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の3日も降ればよい」とはよく言ったもので、雨の日は臨時休業。朝からカンナやノミの刃を研いて午前中を過ごし、午後からは呑んでいたものです。
地車をつくる大工は父のような「町大工」ではなく、神社仏閣をつくる「宮大工」や、木造船をつくる「船大工」が行なっていました。
ただし、淡路島から兵庫、大阪には地車が約1000台あるといわれており、新調なら3~5年、改装でも最短1年はかかります。最近は祭りブームということもあり、地車の大工仕事は充分にあるようで、地車専門の大工集団(会社組織や工務店)も存在しています。
彼らの師匠も元は「宮大工」や「船大工」でしたが、建築だけでなく歴史や宗教にまで造詣の深い名工がチームリーダー(棟梁)となり地車は建造されています。
しかし、時代の移り変わりでその数は非常に少なくなり、今では地車がスタートという大工さんも珍しくなく、地車の名工を目指し皆さん切磋琢磨されています。
地車の大工仕事は、寺社仏閣の建築様式や木造構造物の知識、材木や金具の知識、彫り物や飾り、鳴り物の知識、さらには宗教や歴史など幅広い知識が求められ、建築学の範疇を超越しています。
法隆寺の宮大工棟梁であった西岡常一(故人)棟梁は生前「文字にして伝えるんではなく、口伝です。百人の大工の中から、この人こそ棟梁になれる人、腕前といい、人柄といい、この人こそが棟梁の資格があるという人にだけ、口を持って伝えます」(「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」抜粋)と語っているように基本的には口伝で技は伝えられます。ただでさえ宮大工の数は少ないのに棟梁になるにはその中の一握り。本当に大変な仕事です。
この人たちのお陰で私たちは年2日間、地車を曳けるのです。もちろんメンテナンスは行ないますが、翌年の宮入で大勢屋根に乗っても壊れもせず、軸コマのみで旋回を続けられるのです。
人は屋根から落ちても、地車の屋根が崩れ落ちたという話を聞いたことはありません。
現在の木造の1戸建ては大工自らが加工することが少なくなり、材木も1本物ではなく集成材を使うようになり、あらかじめ工場で裁断された材木を組む「プレカット工法」が主流になりつつあります。プレカット工法は工期短縮やコスト削減などのメリットがありますが、精度が落ちることや技術承継が難しいことなどのデメリットもあります。
地車はボルトや釘、ボンドなどは使わず、「木組み」と呼ばれる伝統工法を駆使し、木材だけで組み立てます。しかし最近では強度の関係でボルトや鉄製のプレートを使っています。発注側にこだわりがなくなったことと、屋根に人が乗った状態で四方から力が掛けられるので、柱の接号部分にはボルトやプレートが使われるようになりました。
また彫り物も1本の木をノミで削るのではなく、パーツに分けて作りボンドで接着することもあります。製作時間の短縮には役立ちますし、見た目は素人にはわかりません。
西岡棟梁が手掛けた法隆寺と町場の地車では金額も事情も違うのでしょうが、地車が好きな人から見ると味気の無いものです。
地車の改築では、費用面で推すグループと伝統から推すグループがたいてい対立します。
年配者や博学者が多数派の場合は費用無視になりがちで「こんなにお金をかけなくても・・・」と囁かれ、費用に重きを置く人が多い場合は「あいつらは伝統の重みがわかっていない」と囁かれます。
どちらが優勢になるかはその時の人数で決まりますが、双方共に「次の祭りに地車が出せないのは恥だ」と考えているので、何だかだもめても折り合いをつけて着地します。
地域社会は基本的には横社会です。会社のようなルールがありません。いわば言った者勝ちのようなところがあり、役員の多数派の声が通ります。
会社で使われる常套句である「費用対効果」という言葉は地車には存在しません。しかしながら、費用については不思議と工面できるもので、もめても最終的には費用よりも工期で着地します。
ただし、横社会では「遺恨」が残ることもしばしばで「アイツらとはやっとられん!」ということもままあります。
これは私見ですが、どこの県のどこの地区にも存在するだんじりの保存に命をかけた方々で構成される「○○だんじり保存会」は、歴史にも、伝統にも重きを置くので、わりかし豪儀にお金をつぎ込むようです。
「あったりめ~よ、魂がこもっているからよ!」と江戸っ子なら啖呵を切るところでしょうか(笑)
こうした地區内での「伝統vs費用」の狭間で、地車の大工さんたちも毎回四苦八苦しておられることでしょう。
先の西岡常一棟梁は「木というやつはえらいですがな、泰然として台風が来るなら来い、雷落ちるなら落ちよ。(一部略)そういうこと考えると神様ですがな」と語っておられます。この語りの「木」の部分を地車に置き換えると「地車は神様ですがな」となります。
地車大工の皆さんの協力を得ながら、曳き手である我々が一緒になって、伝統と費用の狭間で、地車を後世に伝えていかねばなりません。