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微笑んでしまう、という病

怒るほどのことではない、けれど、心がチクっとする言葉。
本当は声に出して注意したいけど、勇気が出なくて流してしまうひとの言動。
流してしまった方が、「オトナな対応」なんだ、「めんどくさいひと」にならなくて済む。そんな言い訳をして、自分の大切にしたい価値をほんの少し大切にできなかった自分を、ごまかそうと笑ってしまう。そして、密かに心は沈んでいる。

あるいは

「あなたなら大丈夫」
「期待してるよ」
「さすが〇〇さんだね。」
そんな期待に応えようと、期待に応えられなかった時が怖くて
心は「もう無理だ」と叫んでいるのに、笑顔でごまかして頑張ってしまう。


心の声を無視して日々生きている人は多い、と思う。
かく言うわたしが典型的なそれだから。

毎日のちょっとした心と行動の「ズレ」の積み重ねが、
どうしようもなく大きくなってしまった時に人は壊れてしまうのかもしれない。

「人に頼ればいいんだよ」
「辛い時は立ち止まっていいんだよ」

そんな言葉をかけるのは簡単だけれど、どうしようもなく苦しい時に「弱音を吐いていいんだ、恥ずかしい自分を人に見せていいんだ」と気づくことはとても難しい。

最近は、わたしなりに、この「難病」をゆっくり治していくために色々と実践している。

ひとの感情に振り回されすぎないために、
相手が怒っていたら、恐怖で頭と体が動かなくなってしまう前に「どうして怒っているんだろう?」と考えるようにしている。
相手の感情は、相手のもの。と割り切るようにしている。

自分の大切にしたい価値を大切に守りたい気持ちが強いゆえに、誰かの「(わたしにとって)嫌な言動」を見過ごしてしまうことは、山ほどある。
相手の立場上何も言えなくて、とても悔しかったことがたくさんある。
それでも、相手の感情と自分の感情をきちんと分けて考えるだけで、心が救われることってたくさんある。
「どうして?」を聞くだけで、「わたしの大切」と「誰かの大切」の違いに気づけることもたくさんある。

もう一歩進んで、「わたしはそれは違うと思う」と声に出せるようになるまで、もう少し時間が必要で、もう少し勇気も必要なんだと思う。

誰か(それは「社会」かもしれない)に期待された通りに生きることはやめたいし、
誰かの感情を忖度して行動してしまうことも、もうそろそろ終わりにしたい。

The fact that we are different doesn't mean that one of us is wrong. It just means that there are different kinds of right. -Faith Jegede



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