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66、NHKに触発されて/「零度の性」「ゼロ地点からの性」

2024年6月23日放送の「 NHKスペシャル・ヒューマンエイジ」が取り上げる「AIに伴う性欲の異次元化」の問題に触発され、フランスのLGBTQの先駆者?で今は亡きミッシェル・フーコー(哲学者)とローラン・バルト(評論家)の2名ならどう考えただろうか、としきりに考えてしまった。
AIの不可逆の様々なムーブメントにより、昨今流行のある意味平板な「LGBTQ性的マイノリティ」の問題など吹っ飛び、AI等科学技術全般と人間の想像世界まで巻き込んだ「人間哲学」の問題にまで一気に飛び火してしまったようである。
生殖に始まった性は、快楽の世界を分枝し、今や「AIによるホモサピエンス特有の性」にまで開拓の枝を伸ばしている。私は、これを「零度の性」「ゼロ地点からの性」と名付けたい。生殖と快楽を思念上解体して、座標軸のゼロ地点に立った性は一体どこへ向かうというのか?
2名が生きていたなら考えそうなことを私なりに想像すると、次のような三つの姿や途が見えてくる。
①宗教的原理主義をも包含する生殖への回帰主義
左に振り子が大きく揺れると必ず右への揺り戻し現象が起き、例え少数派であろうと回帰衝動も起きる。
②快楽への依存度・隷属度を深める更なる快楽主義へ
一旦分枝した動きは、大脳の性的ファンタジーを広げ、行き着くところまで止まらない。目的と手段の入れ替わりすら起きてしまう。オンラインポルノ
様にひれ伏す哀れな人間のザマだけは見たくない。
③AIを使い手段としての性を追求する「第3の道」=性多目的主義の展開
恐らくこの進化の分野で、性欲は「個人的に」「多目的に」「多方面に」想像すら難しいような暴走をするであろう。
AIの多面的能力は、快楽主義の亜種としてではなく、あらゆる分野で不
可能を可能にする。性の分野の「パンドラの函」が開けられたのである。
性欲一般ではなく、「AIと結び付く個別化性欲」の問題になると、全てが際限なく個別化し、おそらく収拾がつかなくなるであろう。
人間関係が希薄になり一方ストレスが増大する中、自分を全肯定してくれるAIの言動はおそらく心地いい、そんなあらゆる要望に応じる多目的な疑似セックス・セックスロボットは男女とも「必須アイテム」になり兼ねない危険性を持つ。
個人のみならず、社会もそれを要望するかも知れない。
フーコーとバルトは、この第3の分野をどこまで多様に突き詰めて想像しただろうか、聞けないのが残念であるが、性欲の個別化の「第3の道」で目の覚めるような知見を披露してくれたはずである。
さて、かくして新たに「社会的負荷ゼロ地点に立った性」「零度の性」はどちらへどう向かうのか、将来は地獄なのか極楽なのか、倫理はどこまで介在できるのか。全て自己責任という集団無責任に帰着するのか。
どこかで、間違いなく「種の破滅の道」に足を踏み入れた、のかも知れな
いし、私にも分からない。
ただ、庶民レベルで考えても、物理的な性的パートナー不在でも一向に構わず、いつでもどこでもだれでも、AIと技術による自分好みの「疑似性的パートナー」との付き合いで充足できる時代が到来したことは、間違いない。


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