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61、朝には紅顔ありて夕には白骨/長命のリスク

蓮如上人の「御文」には、「朝には紅顔ありて・・・」のとおり命の儚さが説かれ、いまだに葬儀の際には度々読まれる。
生産力も低く、天変地異・飢饉飢餓・流行り病等に見舞われる時代であれば、短命が当たり前で、命は儚いものであった。そこには、南無阿弥陀仏とひたすら念仏を唱え、「ほとけの御はからい」のままに「他力本願」「短命」を生きる浄土真宗の教えがあり得た。現世のご利益(りやく)を説かない親鸞には原論的な真摯さがあり、なおさら今なお人の心を捉える。
ただ、現代社会において、百年一日のごとく命は儚い儚いといくらお題目を唱えられても、もう、宗教的言辞として私たちの心の奥にはまでは届かない。
実際上は、むしろ「長生き・長命」の方がはるかにリスクであり、長命による経済負担・体力低下・疾病・認知症発症等の方が恐怖の対象である。
浄土真宗のキャッチコピーも、末永く信者を引き留めるためにも、変更を余儀なくされているように思えて仕方ないのだが・・・。
(生真面目な東本願寺さん、ちょっと考えてみられませんか)

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