アイドルとしてのあり方を吐露してくれた三宅健くん

【四半世紀のアイドルファンが想うこと★V6★ vol.238】:土曜更新


今週のブログはどんなことを書こうなと日々ネタをメモしてるが、そんな時、X(旧ツイッター)でこんな記事が飛び込んできた。

【GQ JAPANのサイト】
”三宅健がアイドルにこだわる理由──「アイドル・三宅健は人生をかけたコンセプト」”

インタビュー記事だが、30年近くファンとして健くんに寄り添ってきた身(←ファンの世迷言と笑い飛ばしてください)としては、とてもしみるものだった。

健くんの以下の話が載っている。

辞書で改めて『アイドル』という意味を引いたら『偶像』『幻想』と書かれていました。僕はその言葉を、何にでもなれる存在と捉えました。そこで、自分をカテゴライズするのであればアーティストや表現者ではなく、アイドルという表記だと改めて定めました。アイドルが持つ潜在的な可能性をもっと見出し、追求したいという想いが1人で活動するにあたって生まれました

上記記事

私の世代だと、アイドルって、若い時の輝きが消費されるイメージだった。
ただ、健くんに寄り添っていると、健くんが、ただ自分のルックスの良さだけで芸能界を生きていこうとはしてないことは随分前から感じていた。

この記事の前にも、自分を「プロのアイドル」と言っていた。
時代が変わってアイドルの寿命が長くなってきたとは言っても、若い時にデビューし、ファンからすればたとえ疑似にしたって恋愛感情の対象、惹きつけるものがなくなったら生き残るのは難しい。

だから、「プロのアイドル」とはとても難しい言葉だ。一瞬で消える仕事をプロということはまずないだろう。プロとは、高水準の仕事を長年に渡って提供し続ける印象だ。油断すれば花火のように若い時の輝きだけで終わってしまうアイドルという仕事、「プロ」と表現するのは並大抵の覚悟では出てこない。

そして、このインタビュー記事だ。胸が震えた。健くんの哲学が吐露されているようだ。

健くんはこの記事の中でこうも言ってる。

自身をアイドル・三宅健という“作品”の作家と捉えるならば、この先どこまで作り続けられるかは、人生をかけたコンセプチュアル作品になりうるのではないかと。グループ活動を終えた当初、もうアイドル活動をしないという選択肢もありましたが、そうした想いで“続けていこう”と決めました。そして続けていくからには、アイドルの概念を長期的にアップデートしたいと考えています

上記記事

ここでは、V6のグループ活動を終えた後、自分を人生をかけたコンセプチュアル作品としてアイドル活動を続けていこうと決めたとある。

ただ、私は、健くんがアイドル・三宅健という作品の作家として自分を考えていたのは、V6時代からと感じている。アイドルとしてファンにワーキャー言われて喜ぶだけでなく、ファンとのいい距離の取り方を模索しているなと感じてきた。
ファンと言っても色んな人がいる。数も多い。それを個人個人と捉えるのか、総体としてのファンと捉えるのか。
そして他のアイドルのファンと自分のファンとの違いは何か。
ファンをどこまで信頼して突っ込んでいいのか。
こういったことが、V6解散前から、健くんの中でだいぶ出来上がっていたように感じる。最近ではコンサートやYouTubeライブなどで、我々ファンと推しとの間でいい感じのやり取りができているように思う。

そして、デビューしたての時ももちろん頑張ってたが、更に貪欲さが増し、ダンスも健くんが尊敬する一流のYOSHIEさんたちに師事するようになった。そんな健くんのストイックさに応えてか、YOSHIEさんたちが、健くんのソロコンサートで一緒に踊ってくれるようになった。
アイドルとしての自分の表現には色々あるとわかっている健くん、その中でもダンスの大切さ、その妖艶さがファンを惹き付けてやまないことをよくわかっているのだと思う。ダンスって不思議だ、それが推しの個性を表現すればするほど、どんどんファンとしては惹き込まれていく。

それに、そんなには言わないが、年齢との闘いは相当なものだろう。V6のメンバー全員がそうなので頭が下がるが、ルックスと体型を維持し続けている。約30年前にファンになった時は、健くんが40代ってどんな風になっているんだろうって想像がつかなかった。
それがどうだろう、テレビ番組では健くんの様々な年齢ごとの顔写真がシャッフルされて年代順に並び替えるようなクイズも出たり、先日のソロコンサート@有明アリーナでは、TOBEの小学生中心グループ(wink first)と一緒に踊っても全く違和感がなかったり。

体型の維持もそうだ。

そして、経験を重ねた様子が、顔に現れ、妖艶な美しさとして私には伝わってくる。

見られる職業、それもただ見られるだけではなく、人を惹き付けなければならない。
それを私生活から課しているように思う。
部屋の写真はサボテン絡みで壁が映る以外は見せないが、相当に整えられている様子が見て取れる。もちろん生活空間だが、生活空間のみにせず、健くんの美意識として整えることで、日々アイドルとしてのあり方を模索しているように見える。

健くんは現代アートに傾倒しているが、基本は自分が好きだからだろうが、結果的にはパット見答えの見えない現代アートの表現の中に身を置くことで、人に作品を提供するとはどういうことかを考えてるようにも思える。

現代アートは複雑だ。一つの答えがあるわけではない。
アイドルにも、芸能界に残り続けていくための正解もない。
そんな中で健くんは日々葛藤し格闘しているように思える。本人はほぼ見せないが。

自分が消費されるアイドルという存在だということもわかっている。
でも人生かけて応援してくれてるファンがたくさんいることもわかっている。
しかしただ義務感からだけではない。
健くんも一人の人間だ。生身の人間というあやふやな存在だ。年齢も変わるし社会も変わる。そんな中で自分を自分という”作品”の作家として模索しながらも高みにいこうとしているのであろう。

時が経つごとに妖艶さが増し、美しさが増していく健くん、私がファンになったのはたまたま見た雑誌の表紙がきっかけだったが、ここまでの高みにつれてきてくれた推し、そして更に進んで行くであろう推しに出会えた強運に感謝である。

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