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アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所 中谷剛さんツアー

ポーランドに行くと決まる前から、いつかは行ってみたいと思ってた場所。

2ヶ月前から、中谷さんのガイド予約をとって

ついに行ってきました。

なかなか読んでもらえるような文章ではないですが、やはり自分の中だけで留めるのではなく、他の人に発信すること、と他の人の目を通すことでまたよりよく考えられる機会にもなると思って、初、note投稿にしてみました。

2019 年 12 月 21 日(土) 9:00〜12:30 

中谷剛さんガイド
Auschwitz(Oświęcim)
参加者数:日本人 28 名うち(学生 8 名程度)、親子連れ 2 組、ツアー参加者 8 名、その他


項目


1.はじめに-歴史を学ぶこと          

2.ユダヤ人とは

3.民主主義の課題

4.人間とは                                                                 

5.強制収容所はなくなっていない? 


1.はじめに- 歴史を学ぶこと


「ダークツーリズム」というものが流行っている今日、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所を訪れ る観光客の数は年々増加している。ポーランドに来て三か月が経ったが、これまで出会ったポーランド人の 中ではアウシュヴィッツへ行ったことのある人は少ない。大半の留学生がポーランドに来たら外せない場所 として訪れるのだが、一部のポーランド人にとってはそうとも言えないよう。何人かのポーランド人に、 「どうしてそんなに悲しい場所にいくの?」、「ポーランドにとってはつらい過去で感情的になってしまう から、行きたくない。」そんなことを言われた。ワルシャワ大学のとある女性教員は留学生に対して、「あ そこはいかなくてよい、私ならつらくて泣いてしまう」と言っていたそうだ。(中谷さんに尋ねると、来場 者のうちの 30%強はポーランド人であり、日本のヒロシマ・ナガサキ同様、多くの小中学校の修学旅行先 にもなっているようなので、実際は多くのポーランド人が訪れているが、少なくないポーランド人が上記の ように思っていることも事実である。)みなさんなら、どう答えますか。
アウシュヴィッツ収容所Iの展示室入り口にある言葉が一つの回答であろう。「Those who do not remember the past are condemned to repeat it」、ヒロシマ・ナガサキでも「二度と同じ過ちを繰り返さな いため」に語り継ぐというのがメインテーマである。時代は変わって、もうヒトラーもいないのだから、そ んなことはない、という人はいないであろう。現に戦後まもなくしての東西冷戦、今日まで続くテロリズム とその報復戦争、ミサイルや核兵器をめぐる競争は、人間が歴史を繰り返す存在ということを示す。と同時 に、国家の枠を超えた人権運動や平和維持活動などは、人間が歴史から学び、反省して修正できる存在でも あることを示しているともいえる。加えて、戦後 74 年もの月日が経った今日、当時を生き抜いた時代の証 人たちが著しく減っていることと、高齢化のためその継承も容易でなくなってきていることも、戦後世代が 急いてでも歴史を学ぶ理由だといえる。アウシュヴィッツでも、はじめは全員が当時を生き抜いたガイドで 構成されていたのが、今では全員が戦後世代となってしまった。当時のことを知らない人が当時の歴史を語 ることには、違和感を覚える人もいるだろうし、ガイドの方々のほうがそう感じてきたことでもあろう。だ からこそ、唯一の日本人ガイドである中谷さんは、当時の人々の記憶を代弁するのではなく、歴史的事実と ともに多くの疑問を投げかけては、参加者に自由に考えさせる機会を与える。それは、アウシュヴィッツで の記憶を語り得ないから、仕方なくそうしているのでなく、アウシュヴィッツで起きた出来事がどの時代に もあてはめられ、私たち一人ひとりにも置き換えて考えられる出来事であるからこその案内の仕方であり、 アウシュヴィッツの歴史を学ぶことの意義を一人一人に落とし込ませる手段だからだと言える。
人間だれもが自身のことは良い人であると考えたいものだから、アウシュヴィッツほどの凄惨な出来事と 自分はどうしても無関係だと思うものである。しかし、ホロコーストをやってのけた当時のドイツ人もま た、家族を愛し、仲間を思いやり、祖国のために闘った「良い人」であり、その被害者としての側面の強い 他のヨーロッパ諸国で、ホロコーストを止めるどころか、一緒になってユダヤ人を迫害していたのも「良い 人」たちであった。多くのユダヤ人の生き証人たちが、始まりはヘイトスピーチからだったと言っているよ うに、今ではヘイトスピーチの延長上にホロコーストのような凄惨な出来事があるとする見方になってい る。そしてそのヘイトスピーチの背景を探れば、だれもが潜在的に持っている差別、排他、優性思想の意識 であったりする。日本でも 1996 年までは優生保護法というものが存在し、障がい者に対する差別感が法律 となって形になって存在していた。人種差別的発言の甚だしいドナルドトランプは、民主主義的プロセスに よって大国アメリカの大統領という権力者になった。誰もが学校でいじめを受けるか、するか、傍観するか の経験があるはずだろう。デカルトによれば、理性こそがすべての人間に公平にあるものだという。しか し、その理性の使い方によって、私たちだれもが、再び同じ過ちを繰り返しうるのである。
最大の強制収容所のアウシュヴィッツがあるポーランドにおいても、2019 年の選挙では反移民・難民、 反 EU を掲げる PiS が政権を維持する形となった。かつてのユダヤ人に対する排他意識と今日の難民問題は 同じ問題としてみることも可能かもしれない。それは「ユダヤ人」問題や「難民」問題というよりは「ユダ ヤ人をとりまく社会の」問題、「難民をとりまく社会の」問題とも言えると思う。この社会的課題は今日、 大衆迎合主義となって、修正を利かすことをも困難にしている。そんな大衆に向かって声をあげられる人が いることや、その声を受け入れられる状況があることが重要ではないかと思う。中谷さんはツアーの最後 に、こうして若い人たちがアウシュヴィッツを訪れる意義は、声を上げるための材料を得ることだとおっし ゃった。74 年という歳月は、人びとに忘却や無頓着を与えたかもしれないが、グローバル社会とよばれ、 「共生・共同」がテーマとなる今日、歴史を伝える目的が変わったことで、ドイツやヒトラーのせいばかり にしていたヨーロッパ社会も、自国のユダヤ人差別の歴史などに向き合い、共通の問題という認識ももたら し、今一度、冷静になって考え直す機会をももたらしている。かつての世界大戦を経験した世代から、生の 声を聴くことができる最後の世代として、この激動の時代、いかにして次世代とともに、より良い社会にし ていくか、今こそアウシュヴィッツに学ぶべきかもしれない。


2.ユダヤ人とは何か


そもそもユダヤ人とは何なのか。ユダヤ人からする、ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する者のことで、旧約 聖書を基にしている。しかし、そのユダヤ教からキリスト教、そしてイスラム教も生まれたといえる。
トランプ大統領の娘の、イヴァンカ氏は夫が熱心なユダヤ教徒であるがゆえに、自身も改宗した。それは ユダヤ教徒でなければ、生まれた子どもはユダヤ教徒とみなされないという決まりからである。もちろん、 そんなことは関係ないというラディカルなユダヤ教の一派もあるので、ユダヤ教徒といえども多様であるこ とが前提だ。では、ユダヤ人の区別はやはりどうしていたのか。当時のナチス政権は、「人種」というカテゴリーのもと 彼らのレンズでユダヤ民族とその他の民族とに区別していた。しかしながら、ユダヤ人は特定の国民国家も もたず、その苦難の歴史によって、世界中を散り散りに渡り、かなりの混血も進んでフランス系やオースト リア系などあらゆるユダヤ人がいた。ホロコーストではまさにそうしたヨーロッパ中からのユダヤ民族が連 れてこられたが、結局のところ、彼らがユダヤ人でその他の人がユダヤ人ではないという区別は「人種」と いうワードでは不可能なようである。
サルトル著の「ユダヤ人」では、彼らのまわりの状況が彼らをユダヤ人にした、としている。彼らのこと を"ユダヤ人的だ"とみなす社会によって、彼らはユダヤ人として存在させられ、また同化することもなかっ た。宗教上の対立に止まらず、社会的制度によっても、ユダヤ人は卑しいとされる職業(商い業や医者など) に就かされることで区別された。また、そうした身分制度が崩れたのがフランス革命によってであり、その 結果として、大学の入学枠に彼らと同様ユダヤ人が入ってきたことなどが、許せなかったのであろう。 1929 年の世界恐慌での責任の所在や、ドイツ社会の経済不況はユダヤ人のせいにさせられ、ユダヤ人差別 正当化に拍車がかかった。
学校でのいじめも同じだろう。何故その子がいじめられるのか、という理由は多くのいじめる側にとって はいじめられる側にあると主張すれど、明確な根拠などはなく、いじめられているその子のその子的言動や 性格を何かと特別に扱い、周囲がいじめをつくりあげていく。その時に異議を唱えるのが難しいことは周知 のことであろう。サルトルの「ユダヤ人」にはこのユダヤ人の苦境がよく示されている。
J.P.サルトル 「しかし、ユダヤ人にも味方がある。それは民主主義者達である。だが、なんとなさけない味方であろう。 ...もし反ユダヤ主義者がユダヤ人の貪欲を非難したとすると、民主主義者は、貪欲でないユダヤ人もいる し、貪欲なキリスト教徒もいるではないかと返事する。しかし、反ユダヤ主義者は、そんなことでは少しも 説得されない。反ユダヤ主義者の言いたかったのは、『ユダヤ的』貪欲というものの存在である。ユダヤ的 人格という、一つの綜合的全体性に影響された貪欲の意味である。従って、反ユダヤ主義者は、キリスト教 徒の中のも貪欲な人間のいることを認めるのに少しもためらうことはないであろう。なぜなら、キリスト教 徒の貪欲と、ユダヤ人の貪欲とは、同じ性質のものではないからである。これにひきかえ、民主主義者にと っては、貪欲とは、一つの普遍的で変化のない性質である。...貪欲か、そうでないかの二つに一つである。 ...このことから導かれるのは、民主主義者のユダヤ人擁護が、ユダヤ人を人間としては救うが、ユダヤ人と しては、逆にその破滅をもたらすということである。...民主主義者は、ユダヤ人のうちに、『ユダヤの自 覚』、即ちイスラエルの集合体についての自覚が目覚めるのを恐れる。これは、労働者のうちに『階級意 識』目覚めるのを恐れるのと同様である。従って、彼らの擁護とは、各個人が、はなればなれの状態で存在 することを、各個人に説きまわることである。『ユダヤ人というものなどはいない。ユダヤ人問題なども存 在しない』というのである。...ユダヤ人であることに、自覚と誇りを持ち、自分をある国家集団に結び付け ているきずなを無視することはなくても、同時に、ユダヤの共同体に属することを主張する一人のユダヤ人 にとっては、民主主義者も反ユダヤ主義者と大差なく思われるに違いないのである。後者は、人間としての 彼を破壊して、非人としての、近寄るべからざるユダヤ人 だけを残そうとし、前者は、ユダヤ人としての彼を破壊し て、人権と市民権の、抽象的・普遍的主体としての人間し か残そうとしない。...反ユダヤ主義者は、ユダヤ人が、ユ ダヤ人であることを非難するのだが、民主主義者は、ユダ ヤ人が、自分をユダヤ人と」考えることを非難しがちなの である。こうして、ユダヤ人は、敵と味方に挟みうちにされて、なかなか苦しいといわねばならない。」
ここで思うことは、「特殊」を尊重しつつ、彼を同じ人 間として受け入れることはできないのか、ということであ る。このことは今日の「共生・共同」、「多様性社会・包 括的社会」というテーマにもまさに一致することである。

3.民主主義の課題: マジョリティとマイノリティ

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中谷さんの案内の中で、間違いなく一つのメインテーマは「民主主義」だった。既知の通り、ナチス・ヒ トラー政権を誕生させたのが民主主義的プロセスの結果であった。しかし、国民主権といえば聞こえは良い が、実際のところどの程度、民意は政治に反映されているか、また主権を行使しているか。当時のドイツ選 挙で、ナチス政権の支持率は三割程度であったらしいが、それだけで連立政権が発足して第二次世界大戦に 至るまでには十分であった。しかし、何故国民は止められなかったのか、止めようと思わなかったのか。今 日の歴史学者の間では、当時の選挙でも、大半がナチスを支持せずとも、批判もせず、傍観者に回ったとい う結論に至っている。第一次大戦以降のドイツ経済の深刻さが、余裕を奪ったという面やユダヤ人差別や戦 争行為を容認させた要因とも言えるが、もっとも大きな要因の一つは傍観にあったのではないかと考えられ る。なぜ傍観するのか。現在のアウシュヴィッツ収容所は戦後 2 年経って、放置されていたのを見兼ねて、永久保存を 目的に博物館となった。しかし、永久保存の建物には階段 しかなく、スロープなどを設けるバリアフリー精神がない ことが批判になっているそう。ただ、そういった問題も、 実際に障害者が直面しているところを見て初めて分かるも ので、大多数の人々にとっては問題にもうつらないし、映 らなくて当然とも言える。自分にとって関係のない事柄と なり、傍観するに過ぎなくなる。今日の性的マイノリティ の権利問題を巡っても、大多数の人にとっては他人事にな っているだろう。ただ、民主主義においては、圧倒的に少 数の声は届きにくい。「少数意見の尊重」という慰め程度 の言葉はあっても、実際に多数派が少数派の権利を守ろう と行動にうつすことはまず少ない。それには勇気が伴うからでもある。 マジョリティでいることは、一つの安心材料でもある。その中で少数派のために声をあげることは必ずや批 判の対象にもなり得る。歴史的に何千年もの差別を受けてきたユダヤ人、国家を持たず、世界中に散らばる ユダヤ人に対して非ユダヤ人が自分ごととして声をあげられなかったのは、当然とも言える。しかし、それ を放っておくと、民主主義は時に危険な制度になり得、多様で包括的な社会などは遠のくのであろう。民主 主義を単なる多数決で終わらせてはならない。多数派が必ずも正しいとは限らないことは周知のとおりであ る。そして、わたしたちはマジョリティにいたとしても、状況が変われば簡単にマイノリティに変わり得る ことも知っておく必要がある。マジョリティであることに安心してしまっていた人は、マイノリティになっ て初めてあたふたするであろうが、そのときになってようやく、マジョリティの冷たさに気づくかもしれな い。
今日のグローバル社会の進展の中では、柔軟な変化や修正が求められる。にも関わらず広まる大衆迎合主 義の傾向は、いつでも起こり得る民主主義の失敗に対して、もはや修正を利かせなくするかもしれない、そ んな危険性を孕んでいる。

4.人間とは、というテーマ


今回のツアー参加者の中に小学生にも満たない程の子供を連れた親子の参加者もいた。その小さな男の子 には難しい話だろうなと思いながら、中谷さんも時折、気を遣ったりしていた。しかしながら、ツアーの終 盤にその男の子がお父さんに尋ねた言葉が胸をうった。「どうしてこの人たちは殺されたの?僕はお父さん とお母さんがいなくなったらどうしよ、、、悲しいよ。」当時のナチスドイツの言葉を借りれば、彼らがユ ダヤ人という劣った人種であり、ドイツ社会に害を与える敵だったからである。が、このお父さんは「わか らない」とだけ答えた。中谷さんが、ドイツ社会では 15 歳以上を大人、それ未満は子どもだとみなすとお っしゃっていた。(アンネフランクも連行された時がちょうど 15 歳だったのでアウシュヴィッツでも労働 力として二か月間強制労働させられた。それ未満だと労働力として不十分だとみなされた女性、老人らと一 緒にガス室へ送られたそう。)そして、「こどもには大人が失ったものをもっている」と続けられた。なん の区別もなく、純粋にだれとでも仲良くなって遊べることである。そして「縞模様のパジャマの少年」とい う映画を教えてくださった。↓ https://www.bing.com/videos/search?q=%e7%b8%9e%e6%a8%a1%e6%a7%98%e3%81%ae%e3%83%91%e3%82%b8%e3%8 3%a3%e3%83%9e%e3%81%ae%e5%b0%91%e5%b9%b4&&view=detail&mid=43F111BE2F9BF6AD935843F111BE2F9BF6AD93 58&&FORM=VRDGAR&ru=%2Fvideos%2Fsearch%3Fq%3D%25e7%25b8%259e%25e6%25a8%25a1%25e6%25a7%2598%25e3%2 581%25ae%25e3%2583%2591%25e3%2582%25b8%25e3%2583%25a3%25e3%2583%259e%25e3%2581%25ae%25e5%25b0%25 91%25e5%25b9%25b4%26FORM%3DHDRSC3 この映画はフィクションではあるが、ドイツ軍人の父親をもつ少年が、家の近くにあった収容所の同い年の 男の子と仲良くなる話である。なぜ目の前の少年が毎日同じ縞模様のパジャマ(囚人服)を着ており、フェ ンスの向こう側にいるのかわからなかった。ラストはパジャマ服を着て、この収容所に潜り込み、この少年 らとともにガス室送りにされてしまう。この映画の中でも、少年が母親に収容所の男の子について尋ねるシ ーンがあり、母親は「彼らは敵よ」と答えていた。しかし少年にとっては、おしゃべりができて、チェスで 遊べる目の前の友達がなぜ敵なのかわからない。
アウシュヴィッツの初代所長のルドルフ・ヘスは、ガス室からわずか 300 メートル離れた場所に家を建 て、家族とともに暮らしていたらしい。映画の少年が軍人である父親を慕っていたように、ヘスも家族を愛 するごく普通の父親であったのだった。また、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に連れてこられた 大所帯をそこにいたドイツ人だけでは管理できなかったといわれる中、ヘスは囚人たちの団結を防ぎつつ、 部下の精神的な負荷を減らす目的で、一部の囚人に囚人たちの監視や時に残虐な行為をやらせた。一体何 が、彼ら人間をしてホロコーストをさせたのか、それこそが男の子の質問(どうしてこの人たちは殺された の?)の回答にせまるものであり、かつ戦後 74 年が経った今日にも通じる深刻な問いである。
また、このアウシュヴィッツでの囚人生活について書いた、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」 は、人間によってつくられた醜い状況の中から人間の生きる希望と使命を考えさせてくれる。ガス室送りに される番号が記されたリストを見て、愛する人を守るために、別の囚人番号を書き換えるものもいた。一方 では、最後まで魂を売ることなく他人のために尽くしたものもいた。ポーランド人のフランシスコ派神父、 マキシマリアン・コペルは死刑囚にされた者の身代わりを名乗り出て、亡くなった。フランクルは『人間と はなにかをつねに決定する存在だ、人間とは、ガス室を発明した存在だ、しかし同時に、ガス室に入っても 毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ』と記している。ビルケナウの収容所の中でレンガに刻み込まれた「Family」の文字もとても印象的だった。最後の最後まで家族を心の支えに生きた人間も多かったのだろう。
「人間とは、なにかをつねに決定する存在」ではあるが、同時に人間はその「状況によって」判断させら れる存在だともいえる。多くのノーベル賞受賞者を輩出するほど頭の良いドイツ人が、なぜあのようなこと をしたのか、それは彼らに理性が欠けていたからではなく、その「状況」によって理性の使い方を間違えさ せられたからではないか、と考えられる。そして、このことからもまた、わたしたちに問いが向けられる。 私たちならどうしていたか、また、今という時において、なにをどのように決定しているだろうか。戦争の 足音が聞こえてくるような、そんなあわただしい中、これからも二度と同じ過ちを繰り返すことのないよう に私たちは社会を良い方向へもっていけるのだろうか。


5.強制収容所はなくなっていない?


戦争が終わって、被収容者の人々が解放されても問題が解決したとは言い難い。今日までなお続くイスラ エル・パレスチナ間、そして両陣営に与するバック同士の対立と、ユダヤ人とその周囲の問題はより複雑に なって存在しているといえる。昨年の 2018 年には、
イランが支援するシリアのアサド政権が自国を空爆し
たイスラエル軍機を撃墜し、イスラエルは報復として追加空爆に踏み切った。イスラエル軍は領空侵犯され
たとして、シリア領内の同国とイランの軍事施設 12 カ所を空爆。この手綱を握っているアメリカは、オバ
マ政権時に結んだイランとの核合意をトランプ大統領が破棄し、経済制裁を加える一方で、イスラエルには 軍事的支援をして肩入れしている。中東に石油資源を依存する日本にとっても他人事ではなく、安倍首相は今年イランとアメリカの仲介役を担えるように外交に取り組んでいる。加えて IS の台頭やイラク・シリアでの内戦は、いまヨーロッパ諸国へ押し寄せる難民を生み出す原因となっている。
強制収容所の歴史を今日の何と比較するか、それは容易にできることではないが、中谷さんは一つ例を挙げてくださった。2017 年にフランシスローマ法王が難民キャンプを訪れた際に、「強制収容所のようだ」といったのであった。これに対して、アメリカユダヤ人団体は、かつての強制収容所の苦しみは難民キャン プと比較しえないとして、遺憾の意を示したことで物議を醸した。強制収容所のほうが過酷であったという ユダヤ人たちの主張に対し、難民側もまた、行先が決まっていたユダヤ人のほうがましだったなどというの
である。
しかし、法王が比べていたものは、その困難の大小などではなかった。当時のヨーロッパ各国がユダヤ人 を受け入れたがらなかったことと、今日の難民に対する反感意識に共通点を見いだせることや、苦しむ難民を前に、その人権の保護よりも国際合意を優先しているようなそんな状況であった。
 現在進行形で深刻化していっている、地球環境問題、貧困格差、難民といったグローバルな課題 に対して私たちはどのように向き合うことができるだろうか。私たちはこれらの問題をただ傍観するのでは なく、状況にただ飲み込まれるのではなく、共同しながら解決にむかっていけるであろうか。これらはアウ シュヴィッツの歴史が、今日を生きる私たちに投げかけ続ける問いであろう。
 翻って、アウシュビッツのような場所へ足を運ぶ「ダークツーリズム」は、何のために行う必要があるのか。アウシュビッツからの生還者で、35年にわたり博物館の館長を務めたカジミエシュ・スモーレンさんの言葉で、「涙を流すより、考えて欲しい。」という言葉がある。こういう場へ訪れた観光客である私たちは、まず起きた出来事を知る、ということも大事だろう。過去の凄惨な出来事に思いを馳せ、心を動かすことも大事だろう。だけど、それだけで終わってもいけない気がする。そんな時に、スモーレンさんのこの言葉がしっくりくる。私たちが、歴史から学び、現在、未来へとよりよい社会にしていくためには「涙を流すより、考えること」だと思う。

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