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転んだ時ほど人生の転機の訪れにきずく

何気ない日常や日々の生活が一変した時に
人生の変化を感じるものでわないだろうか?

これは私が2023年9月7日に脳梗塞を患い
右片麻痺になり生活と言うか人生が変わった日のことです
ここから一人で生きてはいけなくなりました
そうなんです
誰かの手を借りなければ立ち上がる事すら出来ない生活が始まる
考えもしていなかった日々の生活になりました
絶望的に落ち込みもしましたが
私はまだまだやることがある
と言うよりもやらなければならない事の方が大きかった

そんな想いをここに残しています
読んでいただいた方に何か伝われば幸いです
全て左手だけで入力しています
パソコン素人の56歳ですが最後まで読んでいただけることを願います

何気ない日常が一変

普段と変わらない平凡な生活にその時は突然やって来た
自分自身に病魔が襲い掛かって来るとは思いもしなかった

その夜もいつも通りの変わらない夜でしたが
まだまだ暑い日でこの日もいつものアイスコーヒーを水筒に作り
テーブルはじに置いていました

最初の異変に気が付いたのは19時半でした
あれ、水筒に手が届かない
18時半過ぎには何も問題なく水筒を置いたはずなのに

肘が伸びきらない?なんだろうか
あまり気にもせずに時間がすぎて

20時頃だったと思います
またもや水筒に手が届かない

手が痛いわけでもなく
ただ肘が伸びきらない気がしただけでした

明日になれば治るだろう
そんなに大した事は無いだろうと考えてました

何だか手の具合がよくないからと理由で早めに寝ることに
ベッドに横になってみた
ところが、いざ横になると右側の腰の辺りに痺れを感じることに気づいた
その痺れがなかなか強めで眠りにつく事が出来ずに30分程もがいていた

暑いのもあってイライラしてくる
あまりに眠れない苛立ちで一服する

少し落ち着いたのかそのまま寝てしまったと思う
記憶もあまり残ってない状態です


確実に異変を感じる時

私の家には猫と犬がいるんです
朝からいつものようにこの子達に朝ごはんをあげようとした時に
バランスを崩した感じによたついた

犬のゲージにぶつかり倒れなかった
お互いに朝ごはんを食べ終わりかたずけをした後にトイレに向かう途中
3回も壁にぶつかってトイレについた

そして気づいた右足の力が入らない
更に右手が曲がっている(ひじ)が何故か伸びない

この時にまだ病院にいく事すら考えてなかった
午後になりトイレに行くことが困難になってきて
これはヤバイ事かもしれないときずく

何とも言えない恐怖を感じたことを今も思い出す
このままでは死んでしまうのかとも思い

病院に行くことにしました
更に行きつけの病院を選びました
まあかかりつけ医です

受付に立てませんと伝えると
看護師さんとドクターが走って私のもとに来ました
ドクターは私を見るなり(どうしたの転んだりしたの?)
何もしてませんが歩けなくなりました
ドクターはCTを撮ります

突然慌ただしくなってきた
それも頭のCTときたから何故か不安になる
すぐにCTの結果から説明された
説明にきたドクターは初めてみるドクターだったので一大事だど感じました

説明はCTを見ながらここに脳梗塞できています
ここでは処置ができないので転院になりますがよろしいですか?
脳外科の病院で診てもらいましょう

看護師からの説明で救急車で救急搬送します
いつも見ている看護師の態度を見て分かった事がある
完全に命がけの状態であることを

脳外科での対応に疑問

まずMRIを撮りますと看護師に言われてMRIにいき撮影した
しばらくするとドクターが説明を始めた
脳梗塞になってますがどうしますか?
更に状態はまだ悪くなりますがね
どうするって何をですか?
意味が分からず質問を返した
ドクターは帰りますか?それともリハビリしますか?
と問いただしてきた

分からないというのが先に出てきたリハビリが必要なのかも分からない
ただ命に関しては何も言わないのわなぜだ?
この手の曲がりが問題なのは分かる

もっと分かりやすくて説明くれよと心の底から訴えたい
リハビリをしますと答えた(あの時の看護師の厳しい表情が浮かぶ)
この返事とともに看護師が2人で病衣に着替えさせた
流石に手早い着替えは物の数分で終わった
遂に入院生活が始まる
それと共に死なずに済んだという安心

治療が開始する

3日間の集中治療の点滴はいいとして
隣りに寝ている患者さんが寝息がひどく眠れない
なぜか夜だけはうるさいが昼間は静かに寝ている
このままじぁ眠れなくて狂いそうだと感じた

リハビリも始まり眠りたいのに何とかしてほしいと感じていた
願いが叶う5日目に病室が移動になった
やっと眠れる病室にこれた(やったー!助かった)
これからはリハビリに集中していける

入院生活の2週間はつかの間

言語障害が出てなかったので言語聴覚士に卒業でいいと思いますと言われ嬉しかったです
意外にいけるんじゃないのと思ってた

足の理学療法士は毎日電気をかけて足の反応をみて太ももまである長い装具を付け歩行練習してくれた
気持ちの切り替えが早いのか、この頃から毎日が楽しく感じていた
毎日少しずつほんの少しだけど足が前に出る
当たり前のことが嬉しいです(取り返したい気持ち)
励まし方も上手なんですよね
おだてでも嬉しかった

手のリハビリは作業療法士さん最初の方はベテランの方でこちらもおだて上手というか
なにげに褒められていた気がする
2人目は7年目という青年でしたが少し個性的な所があって楽しい時間を過ごした感じが今でも忘れられない
2週間がたつ頃に思わず聞いたことがある
今までに満足のいくリハビリで卒業出来た人はどの位いるの?
今考えれば凄いこと聞いたなと思いますが本人は普通に答えてくれました
誰一人満足してリハビリ出来た人はいません
複雑な気分になった(何だかモヤモヤした気分になる)

なぜこんな事を聞いたかというと転院が決まったからなんです
元の病院にもリハビリがあるので帰ることにしました

転院までの間に沢山の方とリハビリをしてきて気ずいた
いつの間にか人気者になっているようです
私みたいな患者さんはこの病院にいて欲しいと言われ嬉しかったな
でもねーここでは回復出来る気がしなかった
(本当の自分を出せていない気がしたから)

3週間お世話になり転院の朝個性的な彼が見送りに来てくれて嬉しかった
お世話になりましたありがとうございました
がんばってください(彼の声が聞こえた)ありがとう


ここからが本気のリハビリ



新たな病室へ

病室に案内されて落ち着く暇もなくリハビリ担当者が押し寄せてきた
ぞろぞろっと3人組なるほどね
足早にあいさつを済ませて行った
ただ1人だけベッドの柵は替えた方がいいですか?と聞いてきた(出来れば)と返事をした気がする

当然ながら最初からこんな対応されたらリハビリに意欲的になるよ
やはり帰って来てよかった気がした(勿論ですが、言葉にすることは初めてです)恥ずかしいですよ

全てが1から出直しのリハビリにウキウキが抑えられない

重症患者ですがよろしくお願いします{ST}

脳外科では重症といわれてました
言語のリハビリから始まり男性の言語聴覚士と会話が始まった
もちろん過去の担当者の事を聞いてきましたよ((笑)女の子はきになるのね)
マスク着用していたけど可愛い雰囲気のある女性でしたから
どうやら病院が違っても言語聴覚士のつながりがあるらしく
また、人気の高い女性だったらしい
そこで聞いたのが彼女が結婚するらしいという事
めでたいお話が聞けるのはうれしいものです

言語では車の運転に必要な記憶力を中心としたテストが沢山盛り込まれて
やはり2週間程で卒業でいいです
でも本当に大丈夫なのかな?
重度障害と言われているのにこんなにも簡単にリハビリが終わって
でも実は、私自身も望んでいたことなんので嬉しかったのも事実ですが
実は記憶力の低下が少し気になりだしていたんです

今思えばあの時には自分の口からは言えませんでした
隠すと言う訳ではないんですがあせりもあったのかもしれない
手の回復と足の回復が自分の中で重要だったんです
なぜかと言うと、口だけでは生きていけないことぐらい分かっているから
時間は無限では無い
限りある時間で取り戻さなければなりません
心を見透かされたのかもしれません
早急に卒業させてくれてありがとうございました

問題の手の担当者「作業療法士」{OT}

前回の脳外科では
個性的な男性でしたが今回は女性の担当者です
勿論ですが、重症患者であることを理解してました
リハビリが始まった当初は優しくマッサージの毎日でした
10日ほどしてまた、あの質問が思い出しました
担当者は中々細かいところまで説明してくれたので
やはり5年生位の慣れた方と思い
何年目なんですか?
実は、私今年からの新人なんです(でも半年間の経験はある訳です)
余りにも堂々と接していたので全く気付かなかった
なんていうか落ち着くんですよね

多分自分自身が諦めていた部分というか
手の回復は無理と脳外科のドクターに聞かされていた事を
気にしていたからだと思います
それから2週間程毎日リハビリの時間はマッサージは寝てる時間でした
なんせ手の進歩もなくリハビリしているだけって何
(やっぱり回復は無理なんだろうと思い込んでいた日々)
やはり手の回復なんて期待できないだろうと思っていたころです

そんな時に代行きた方が
何と私とお話ししたかったといきなり(アピールされて驚き)
聞いてみると
いつも楽しそうにリハビリしてるからお話をしてみたいと言うことでした
(回復の兆しがあまりないから気分だけでも上げているつもりでした)
でも何だか気分のいい感じの方なので直ぐに打ち解けた気がしました
また年齢だけはベテランです
なんて言う余裕が面白くリハビリしている間も
かなりの刺激をしていただけました
この人何?痛いところに刺さるけど見せかけの冗談よりも強力なリハビリ
それも痛いといわせない所が魅力的なリハビリな訳で
こんなにも刺激を受けたことは無かった

これって凄いじゃん!もしかして
曲ってしまった親指も直せるかもって気になったんです
こんなに違いを感じたのは初めてで
私の担当者にも教えてくださいと言ってしまった
出来る人イヤ違う
理解してのみ込みがいい人だからお願いしました

明らかに努力して勉強しているのは分かる方なので
一日でも早く私のような重症患者に慣れてほしいと願ってました

後日談
重症患者を担当するのは私が初めてだったそうです
担当してくれた彼女は初めて重症患者の私の事は
他の患者さんよりも意識してみてくれていました
私が何に困っているか何を求めているのかと考えていたらしいです
例え手探りでもありがたいものでした
そう彼女は自分に出来るパフォーマンスで私に接してくれてたんです
確かに病棟内でよく話もしていた気がする
手探りでも私の事を観察してくれてありがとう

そんなことも知らずに12月25日に退院を目指していた
きっともっと回復させたいと思っていたんだんね
退院まで残り10日ごろには全力でもみほぐしてとリクエストしていた
そう彼女に全てをかけていたんです
まだレベルアップするチャンスはあると信じてたから

再起を意識した出会い{PT}

車椅子生活は移動が楽ですがトイレに行くのがめんどくさい
一回一回トイレに着いたらナースコールで呼ぶ
意外にもこんな事が面倒くさい私は我慢してからトイレに行っていた
回数を少なく済ませようとしてました
今考えると馬鹿げてると思います

でも考えてみれば早く歩ければいいんですよね(笑)
勿論理学療法も一からの出直しのリハビリなんです
また長い装具から始まり長い闘いが始まると感じてました
その前に当時私は73キロ程でしたが
理学療法士さん小柄で何かあった場合は大丈夫かな?
やはり若い人だけに動きが良いから大丈夫かなんて勝手に思い込んでいた
うちの子よりも若い人だけど何だか引きつけられる
リハビリにも力が入っているのがわかる程で
言語のリハビリ卒業後は2時間リハビリやりましょう
この一言に更なるやる気が出た

歳の差も気にしないでいろんな話をして
信頼関係を築くのが上手い方でした
口癖なのかいつも(がんばりましょう)と良く言われた気がする
元々負けず嫌いな私はがむしゃらに食いついていった
そんな日がしばらく続いて
おかげで一人でも歩ける程に回復していた
そんなある日

今度一緒に病院の外を歩きましょうね
まるでデートに誘われたかんじでした
実は物凄く過酷なデートプランだったんです
病院の中では気づかなかった問題がやま程あるんですよね
バリアフリーでは気づくわけなく
外の足元の悪いことに苦しめられました
道路や歩道の勾配や凹凸がこんなにも邪魔してくると思わず
何度もつまずき支えられて初めてのサバイバルは途中で引き返して終了した

この時に外は危険だと思い知らされた
外は天候にも左右されるので雨の日は出来ませんが
その分筋トレメニューが追加された
これはこれで外に出て歩くとき必要なメニューで興奮が収まりません
2度目のトライの時は片道だけ歩き切る事が出来ましたが終了させられました
理由はもう足の限界が見抜かれていました(良く見てるな)
いつの間にか私の身体の事を私以上に理解されてましたね

一日に2時間のリハビリはやはり濃厚なんだと感じます
全てがスケジュールにされていて午後からは○○しますから
何と私が気にしていたことも
しっかりとメニューに入っていることもある
そこには驚きました

2か月半ほどの入院生活でしたが早い段階で理解されている事は
患者に対してとても嬉しいですよね
そんな中でも思いもしない事は起こるんですね
ある日階段の上る練習中の事
ワンフロワー登る練習中に起きました
まずは踊り場まで順調に登れ後半の折り返しスタートも順調でしたが
あと一段の時に私は踏み込む力を失いバランスを崩してしまいました
(しまった落ちると咄嗟に思いました)
次の瞬間背中がボンと押されたんです
そう彼女が一段低いところから私の背中を押し上げたんです

とっさの判断で助けてくれて
二人とも落ちなくて済みました
多分自分の間隔では少しだけバランスを崩した気がしてましたが
何よりもそこに気づいてくれた事に驚きます

もしもあの時間に合わなければ
二人とも踊り場まで転がり落ちていたのは確実でした
思わず(ありがとうと言ったはず)二人とも少し興奮してたので
記憶があいまいです

彼女に少し怒られましたが
信じた相手だったので素直に聞き入れたと思う
ただあの時彼女が踊り場まで落ちていたらと思うと怖い経験でした

話が戻りますが
退院まで2週間をきったころ
担当者が2連休をとり代行さんが久しぶりに来ました
(代行さんの中では最も回数が多い方でした)
多分今日が最後だねーいつものように挨拶を交わした
最後に御礼をした(頑張ってくださいね)エールを送られた
君も頑張ってと返した(内容は伏せますが)笑顔でハイと返事が来た

翌日は久しぶりの相手の代行さん
記憶にないくらいでどんな感じの方かも覚えていない
やはり挨拶が久しぶりですねだった
最近は筋トレも始めているんですねー
(まだ一回だけよ)
それも3日くらい前にやっただけなのに
最初から筋トレメニューやる気で対応してきた

マッサージ後にマシーンにい移動
早速マシーンの負荷も過去に経験のない荷重で始まり
もっと力を入れてと言われた(僕なんか○○㎏出来ますよ)
当たり前である健常者には両足の力が入り全力で上げられるのは当然
おかげ様で疲れたリハビリでした

夕方になり太ももの裏側に痛みが走り看護師さんにシップを張ってもらう事になる
こうなると夜は痛みで眠れるわけもなく
2時間ほどでで起きてしまった

まさかの挫折を味わう

当然翌日のリハビリは断りましたよ
足が痛いから休むと担当の彼女に伝えました
更に2時間のリハビリも要らないとお断りした
少し待っててと一言いうと一度病室から出ていった
数分後戻ってきて
とにかくリハビリに行きましょう
いきましょうと言われて
彼女が悪いわけじゃないから
困らせてもかわいそうになったので渋々リハビリに向かうことにした

退院まで10日でまた歩けなくなるとは思いもしなかった
考えてみれば2ヶ月が過ぎたころかめちゃくちゃ順調に回復してきていた気がする
自分でもこれでは退院は無理だと思うほどに深刻な事態に感じた
勿論だが彼女も焦りがあったと思う
こんな事が担当医師にばれたら退院が延長されるのは確実
でも私は今自分の足で歩けない
退院の絶対条件が車椅子での退院は出来ませんから
これが担当医師との入院中はじめて交わした会話だったのだ

それは入院まだ間もないころに医師がベットで横になっている私に
怒り口調で放ってきた言葉でした
この時は自分の事が嫌いなんだなと思いましたね
なんせ開口一番ですからね
何が気に入らないか知らないけど
いきなりがみがみ言われても困るって話

更に翌週も同じことを伝えてきた
流石に我慢できない
そんなに文句ばかり聞いていられない
リハビリも見てないのにふざけた奴と敵意すら感じた

3回目また来た
今度は私がうるさい奴がきたから病室から出ていこうと言ってやりました
病室から出ていく私に文句があればついてくると思ったからです
何と何も言わずに私を送り出しました
ハッキリ言って嫌い奴って感じでしたね
だから今回の一件でまたつぶしに掛かって来る予感しかしない気がした

話し戻します
それを聞いた担当の彼女は大丈夫ですよ
無理だよ歩けないんだよ
この時に悔しくて泣いた思い出がある

後日ちがう所から情報が入り
彼女が代行さんを怒って文句言っていましたよ
(どうやら負荷のかけすぎが原因な事を伝えたらしい)
代行は誤りにも来なかったが担当の彼女には
自分の身体が無理してはいけないと分かっていたらしい
大体にしてもう健常者でわない
障がい者に同じことを求めることが普通じゃない

でもこのままでは退院出来るはずがなく
担当医師にバレル前に相談したらしい
翌日当然来ました鬼が
手のひら返して私に問いかけました

こんな薬があるんだけどどうしますか?
飲んで試してみますか
戻れるなら飲む以外の選択肢がないわけで
飲むことにしました

そこからが本当の地獄の始まりでしたね
リハビリなんて全てが台無しな位絶望的におちこんてた
理学療法は当然ですが作業療法にも影響があり
手のマッサージをしても伸びない
聞けば足の反発が強すぎて足もほぐさないと手のこわばりが取れない
作業療法でも足のマッサージに時間を取られてしまい
結果的に手のマッサージよりも足に時間をかけていた結果として

何も進歩の無いままに退院当日の朝を迎えました
当然ですが車椅子に乗ったまま送り出されました

何とも言えない嬉しくないクリスマスだった
想像とはとてもかけ離れた退院に残念でしかない気分でした
かくして退院したものの足の具合が良くなるわけでわないですよ
現在1ヶ月もたっていませんが
毎日足の不具合と奮闘中です
入院期間すべて使えてたら回復できたかもしれませんがね

担当の彼女は最後に何かを伝えたかったみたいですが
話せませんでした
彼女もおなじ被害者なんですよね
短い入院期間で全力で向き合ってくれましたから
悔しかったと思います
(ラスト一週間はマッサージの時に目を合わせなかった)
常に足を触り何かを感じようとしてたのを覚えている

退院後に初の受信

反発する足の薬を増やすために病院に向かいました
担当医師がいると思いましたが会えなかった
当然ですがちがう先生では時間もかかり話が長い
薬の増量をお願いしているだけなのに
予定が狂うのは参る

私は同じ病室の患者さんに会いたいから
そして早期退院は辞めるように伝えたかった
なぜなら彼もまた重症患者なんです

同じ想いをさせられない

確かに入院生活が苦痛なのはよくわかる
私たちは病室の窓から2人並んで話を良くしていました

内容はたわいもない話でした
朝は決まって今日の天気でしたねぇ
晴れている日は病室に日が入り凄く暖かく
日光浴を楽しんでいました
時には問診に来た時この部屋熱くないですか?
暖房よりも日差しが部屋を暖めていた
看護師さんいわくこの部屋が一番暖かいんだけど!

それにしても二人とも仲良しだよねー
来る看護師さん達のほとんどに言われた
別に傷をなめあう話をしている訳ではない

彼は私よりも一か月ちょい後にここに来た
同じ脳梗塞の患者さん
彼にとって私の回復は夢のように感じたのかもしれません
とにかく装具があれば何とかなるよ
なんて言ったと思う

2週間ぶりの再開に笑顔の彼が迎えてくれた
だが次の瞬間開口一番にオレ離婚して施設に行きますわ
彼の家庭の事情で決めたみたいです
どうやら奥さんが看護師さんに面倒見ませんと話したらしいです
面倒を見てもらえないなら家に帰っても仕方ないという

確かにもう一人では何も出来ない自分がここに居る
そうなんだ!
彼のために今の自分が感じていることを話す

実はさ
今日は退院してから感じたことを話しに来たよ
退院後間もなく買い物に出かけました
その時の感じたままを隠さずに話した

今は装具を付けているために靴の高さが左右違うために
靴底の敷板を買いに100均に行った時の話
年の暮れもあってお店はかなり混んでいた
その時に感じたのは恐怖だけでした
スーパーと違い100均は店舗が狭い子供が多いという事
杖をついての入店は危険と感じてカートを押して店に入ることにした

小さい子供たちは動く障害物と同じ感じがしたから
私は動く障がい者でもあるが
もしも杖を使い歩いていて子供たちが当たりでもしたら
同時に飛ばされてしまうだろうと考えた
そんなことがもしも起きたら
私は店の中で転倒して更に陳列棚も倒すかもしれない
こんな事が入店前に気になったのです

カートを押して入店は期待どうりに上手く周りがよけてくれた
また歩きやすく身体の負担も少なく済んだ
少し考えてみれば今までに買い物に来た時も
他のお客さん当たりそうになった事もある
ただ当時よりも自分のことを知るべきだと思う

こんな些細なことかもしれませんが
とっさてきにはよけることも逃げるもできないんです
この後にスーパーにも買い物に行きましたが心配することなく
買い物を楽しんできました

意外なところに(鬼が潜んでいた)
これは我が家の話ですが家には猫と犬がいます
猫はもう18才で最近はトイレに行かずどこでも用をしてしまう
その為に犬のトイレ用シートが部屋のあちこちに敷いてある
これに足がもつれてしまう
無ければ安全に歩けるのですが掃除が大変なのであきらめてます

こんな事を簡単に説明してきました
大変なんですねと言われ
本当にあなどれないですよ
だからお願いキッチリとリハビリしてくるんだよ
俺みたいにならないように頑張ってリハビリしてくださいと残した

人生の一期一会に感謝

恥ずかしい話ですがこれまでの人生において一期一会なんて気にもしていませんでした
まあまあ人生何とかなっていた気がしたからです

まさかこんなに大勢の方にお世話になる経験もなく
今では感謝の気持ちしかありません
なぜなら二つの病室でおそらく60人以上は私に何らかの形で支えてられてきました
109日間でこんなに沢山の方にお世話になることもないと思う
個々に御礼や挨拶もできないまま退院してしまいました

皆さんに取っては仕事をしただけですと言う方もいると思います
ですが、こちらからすると(ありがとう)無しに済ますことができません
確かに見返りを求めない職業なのは分かります
でもねー、中に入って見ないとわからなことも沢山あります

お互いにぶつかり合いもしてきた方も居ましたよ
それでも自分の事を考えての行動だったこと
あの時は迷惑をかけたなって思います
その後は仲良しになれたのも事実です

辛い夜勤でもナースステーションにお邪魔しました
私が眠れないとき話をして聞いていただき嬉しかったな

何よりも最初のお風呂は緊張してたのも思い出します
でも自分の心配しているよりもスムーズに入浴ができたのを未だに覚えてます
病院って実はかなりの体力勝負だと知りました
ドラマの中じゃない程のチームワークが必要な職業だと感じさせられました
もちろんですが私が知らない事はまだまだあると思います
わずかなコアな部分でしかないはずですが
誇りある仕事だと思います
だからこそ大きな声で言いたい

ありがとうございました


追伸

同じように脳卒中と闘うご本人やご家族様に
例え挫折しそうになっても簡単に諦めないで下さい
麻痺の回復にはとても時間が掛かります
私もまだまだこれからリハビリして回復を目指しています

そのきっかけ作ってくれた(医療従事者の皆さん)の努力や暖かい声援を思い出してほしい
耳に焼き付いた(頑張れ、頑張れ)の言葉に力をもらいましたよね
私だけかな?
皆さんにいつか見せてあげましょう
回復できたところを
きっと貴方の頑張りみて喜んでくれることでしょう
医療従事者の方に元気な姿が見せることが最大の御礼になると思います

同じ志を持つ皆さんに届きますように願います

最後まで読んでいただきありがとうございました

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