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【漫画】「坊主の死」の画がここに在る

 『鉄鼠の檻』漫画版の最終巻が発売された近頃、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。私は『鉄鼠の檻』漫画版の最終巻を読んでお過ごしでした。詳述すると、例によってとんでもないにも程がある漫画家・志水アキの超コミカライズ力(ぢから)に戦慄し、三連休一日目を使って全巻読み返し震えるというそういうアレでした。それにしても何度読んでも箱根旅行に憑き物落とし変身セット持ってきてる京極堂おもしろすぎるし、敦子さんも「えっ……兄さんその服持ってきてたの……」みたいな顔してていいですね。

古本屋の出張業務にも副業の制服を持ってくる京極堂

 私は京極夏彦の「百鬼夜行シリーズ」の大ファンであると当時に、志水アキ先生による同シリーズ漫画版の大ファンでして、昔から事あるごとに「原作が長くて嫌なら漫画を読め」「漫画版最高だからマジで読め」「原作がおもしろくなかったなら漫画版で再チャレンジしろ」「なんでもいいから読め」「もう鵺の碑も漫画版で出してくれ」と友人を圧迫するネズミ君だったのですが、いや~ついに鉄鼠の檻がな~。完結な~。超嬉しいですよ。だって私、『魍魎の匣』漫画版読み終わってすぐに思ったのが「この人の漫画で『鉄鼠の檻』と『陰摩羅鬼の瑕』を読みたい」でしたもん。

 まず楽しみだったのは、志水アキがどうやって大量のハゲを描き分けるのかという点ですね。『鉄鼠の檻』は舞台が寺なんで坊主が大量に登場するんですよ。つまり、髪型によるキャラの描き分けができない。志水アキはババアとジジイとオッサンの画を描かしたら宇宙一みたいなとこがありまして、そこは絶対ハードルを越えてくるだろうなとワクワクしてたんですが……。まあ見てくださいよ下に貼った四巻の表紙画像を。頭蓋骨の手触りと皮膚のハリすら生々しく感じられる、個性あふれる五人のハゲを。常信さん(左下)のデザインが漫画版『百器徒然袋』で先行公開された時点で何の心配もしてはいなかったんですけども、ほんと百点ですよね。苦闘と虚無の蓄積が感じられる円さん(左上)の俗っぽい渋顔! スカスカな「それっぽさ」が表面に貼りついた和田くん(右下)の優等生風紀坊主面! 

レパートリー豊かなハゲに取り囲まれる京極堂

 で、次に楽しみだったのが何かと言うと、「言葉/呪が無意味化する異界」がどんな画で表現されるかってことだったんですよね。そも、百鬼夜行シリーズってビジュアル化するの超難しいと思うんですよ。言葉による謎の解体と再解釈、無数の出来事を対象者が納得できる並びに組み換え、時に「語り/騙り」によって、時に客観性というバフの力を借りて、その文脈を補強する……「言いくるめて納得を創出する」京極堂の流儀は言葉で書かれた小説媒体だからこそ映えるもの。が、この『鉄鼠の檻』という作品はシリーズの中でも異質中の異質。前述の流儀を真っ向から封じうる、アンチ・京極堂とも言うべき事件です。

 久遠寺先生の「見立てがわからない」、大西さんの「禅僧の出したものに美を見出すのは外部」、そして「禅問答でひねった答えを考えようとするな」……作品のここそこに散りばめられた挿話が示す通り、本作で描かれるものは剝きだしのまま転がる事実です。文脈もはねのけ、解釈も意味づけも要さない「坊主が次々に殺された」という事実。探偵・榎木津がその効力を発揮するまでもなく、光景は既に眼前にあり、あらゆる「お話」をはじいている。「ホワイダニットなど必要ない」が回答のホワイダニットを、言葉で解決することはできない。物語の進行と共に、複雑な人間関係や秘められた過去は解きほぐされ、それらしい動機は山のように積みあがってゆくが、しかしそれは空を切るばかりで、連続殺人の本質は指の隙間から水のようにすり抜けてゆく。否、「本質を見極める」という過程を意識している時点で、既に掌の上に堂々と置かれているそれが見えなくなっている。これは「坊主が死んだ」という出来事であり、「坊主が死んだという出来事である」、ただそれだけなのですから。

  「言葉で語らない」ことを言葉で語るということ。原作はこれを1000頁を越える大分量テキストによって成し遂げました。迂回に迂回を重ね創り上げた、言葉の大迷宮により伽藍堂の外壁を完成させました。しかし、漫画という媒体においてそれは不要です。画は、あらゆる意味づけをはねのけ、そこに在るものを、その出来事を、剝きだしの事実をストレートに示しえます。もちろんそれは簡単ではありません。画もまた作者の手によるものであり、そこには主観という解釈が混入しえます。それを脱臭脱色することにどれほどの技量が必要なのか。私は画を描かないのでわかりませんが、生半可な腕では不可能だと想像できます。しかし『鉄鼠の檻』という作品を漫画化することの最大の真価はそこなのです(と私は思います)。そして、志水アキという怪物は当然のようにそれを成し遂げました。そこには、剝きだしの事実が。ただ、坊主の死が在りました。

坊主の死

 またしても志水アキがやりやがりました。魍魎、狂骨、姑獲鳥、絡新婦に続く完璧なコミカライズがここに成ったのです。この天才漫画家め! あと流石にネタバレすぎるので画は貼りませんし詳しい言及も避けるのですが、真犯人の描写凄すぎませんか? なんですかあのわざとらしい、いかにもな、それっぽい、露骨すぎる「不気味で怖そうな真犯人っぽい表情」は。言葉を必要としない異界の主が動機をわかりやすく言語化してくれる、欺瞞、堕落、俗化……翻訳を越えた「ねつ造」による真実の汚染を、画で表現するというとんでもなさよ。「坊主の死」の対極とも言える画を、同作品内で描いてみせるのやばくないですか? ああ~頼む~この画力で陰摩羅鬼も描いてくれ!絶対凄いことになるから!絶対凄いことになるから!!