![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36407046/rectangle_large_type_2_9bb69b3fa24f370ccd3bca8d8879aa61.png?width=800)
降洋量を測る
第二十三分岐洞天井の出水は、瞬く間にその降洋量を増やし、接続された五つの枝洞を海で埋め尽くした。死者約五千人。過半数は潮毒での全身糜爛によるショック死であり、一部、気化した海を吸い込み中毒死したものもいた。幸いにも近辺は下級窟民地区であり、記録上の換算被害者数は五十人に留まった。分類上は「小規模」に収まる落洋事故であり、通常ならば調査官の手が入ることはない。ただ、死者の中に一人、溺死者がいたことが問題だった。
■■■
調査官の首筋目がけ、海が垂れ落ちる。それを防ぐ必要がないことに気がついたのは、慌てて傘を差しだした後だった。振り向いた調査官は冷ややかな目線をこちらに向ける。不気味な男だった。触腕がない。湿りがない。眼球は触覚の先端ではなく顔の中にめり込んでおり、名前までもが「イトウ・ソウヘイ」と常軌を逸している。何より海に触れても皮膚が爛れず、「泳ぐ」ことすらできるのだという。ただ、飲むことはできないらしい。
「ギ號くん……だったか」
私の胸の等級証をねめつけ、調査官は言った。
「結論から言うと本件は人為的なものだ。ただ我々が巻き込まれたのは偶然らしい。ならば問題は、溺死者スズキ・レイがなぜこんな下級地区にいたのかという点になる」
「事故の見聞は終わりということですか」
「ああ。やったのは君だろう」
無造作に調査官は言った。
「……なにを」
動揺が触腕をぬめらせた。傘を落としかけ、慌てて握り直す。握り直した傘の上に海が垂れ、撥ねた。一滴の接触でも人は死ぬ。潮毒の糜爛は時間をかけて全身に広がり、我々の体を腐らせる。私はそれを妻で知った。妻の肉体は、最終的に持ち上げることすらできない程に溶け崩れた
「馬鹿なことだ。きみたちは知らないだろうがな、我々の頭上にある海は太平洋という。どれほどの体積か教えてやろうか? 自分たちの巣穴が全部沈むまで水抜きを続けたいというなら、まあ、勝手にすればいい」
【続く】