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天使事件と五衰事件に仕込まれた反復について

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※単行本のネタバレを含みます。

アニメ4期終わってしまいましたね。アニオリで残された五衰とVの謎はまだ宙に浮いたままなので、もう少し踏み込んで探ってみようと思います。

アニメ4期でVが五衰のことだと明かされたことから、探偵社設立秘話の天使事件と五衰事件にはなんらかの繋がりがあると考えられます。
この考察では事件の中身の共通点から五衰編の謎に迫ってみます。

■殺害予告から見える共通点

二つの事件の最大の共通点は「天使の立場にある人に対する殺害予告」をしていることだと思います。
天使事件の始まりは「天使が演者を真の意味で死に至らしめるでしょう」という犯行予告でした。目に見えない天使が舞台上にいる目に見える天使(演者)を殺害する。しかし、天使が実際に殺害を起こすことはなく、結局事件は演者自身の自作自演であり、最初の殺害予告は偽りだったことが判明します。

一方、五衰事件も同じように殺害予告から始まっています。アニメ43話悲劇なる日曜日で、種田長官と乱歩さんが話をするシーンの壁面には壁画が描かれています。その壁画には「天使の翼」「観客の目」「十字架という死」また左端には「V」のサインがあることから、この壁画は天使事件の演劇を彷彿とさせるものであり、「観客が見ている中で天使を死に至らしめる」という天使事件のVの犯行声明文と意味していることは同じだと思われます。
だとすると、天使事件と五衰事件は反復構造にあり、天使事件で起こったことはこれから五衰事件でも起こる、そういう疑いを持って見てみるのも面白いのではないかなと考えます。

■天使事件と五衰事件の反復構造

天使事件は単独でもかなりややこしい話であり、それが五衰事件で頁の影響を受けてさらにややこしくなっていて関連性を見極めるのはなかなか難しいのですが、ひとまず全体の構造をざっくりと図にしてみました。

先ほども言ったように、天使事件の最大の特徴は、最初の殺害予告が偽りの殺害予告だということであり、事件の真実は演者による自作自演と観客の中にいる標的を捕えるという二つの隠された目的を遂行するために起こされたものでした。

これを五衰事件に当てはめてみるとどうなるのか。
まず天人を殺害するという福地の犯行声明は、実は偽りであり本当は殺す気がないこと。そして天人が血を流して倒れているのだとしたら、それは天人の自作自演であること。五衰の究極の目的は観客の中にいる本物の天使を捕えること、これら三つの可能性が浮上します。これを加味して五衰事件を解釈すると、今までとは違った見え方が浮かんできますので、ひとつずつ見ていきたいと思います。

①偽りの犯行声明
天使事件においては、犯行予告は観客をおびき寄せるための道具であり、演者の自作自演を演出するための舞台装置に過ぎませんでした。
これを五衰事件に当てはめて考えてみると、天人を裁くという福地の動機は本物の動機ではなく、観客の中にいる誰かをおびき寄せるための罠であり、同時に天人(為政者)の自作自演を演出するための道具に過ぎない、ということになります。福地は天人を裁くつもりは毛頭なかった、ただそう言って観客を騙しているだけ、だったりするのかもしれません。

②天人による自作自演
天使事件では村上青年が自作自演で天使に殺害されたフリをしていました。その動機は比較的個人的なもので、役者としての究極の姿を追求したかった、ということかなと思います。村上青年はその後の役者人生を捨ててまで、役者としての使命を果たそうとしていたことが伺えます。
舞台上にいる演者は堕天使という役を演じていましたが、彼らは唯一の「目に見える天使」だったと思います。福地は為政者のことを天人に例えていますが、現実世界に君臨する物質的な天使という意味では天人もやはり目に見える天使であり、その天使を裁くのだと詐称している福地は演劇でいう「目に見えない天使」の役割を担っていると捉えることができます。

そうなると、気になるのは五衰事件の天人の流血にも天使事件と同じことが言えるのではないかということであり、天人である種田長官が刺されて倒れているのは自作自演であり本当は首謀者だった、という推理が成り立ちます。
種田長官が自作自演をしている動機は村上青年と同様に自分の役割の究極の姿を追求しようとしていたからなのかもしれません。
種田長官は「平和ボケを享受させてやることが使命だ」と言っていましたが、そのために自作自演で観客を騙す必要があった、とも考えられます。

③観客の中にいる本物の天使の捕獲
天使事件の最終目標は、夏目先生の生け捕りでした。理由ははっきり明かされていませんが、夏目先生は敦と同じように白紙の文学書にアクセスできるという可能性が高いように思います。すなわち天界にアクセスできる「本物の天使」です。アニメの演劇で「天使が粛清するならラッパを吹けばいい。一人ずつ殺す必要などない」という台詞がありましたが、天使が粛清のためにラッパを吹く、ということは、天界にいる誰かが白紙の文学書に一言書き込むことと同義と考えています。
本物の天使は天使事件では観客の中にいましたので、五衰事件でも同じように観客の中にいると思われます。そして単行本23巻の「人界最後の喜劇には観客が必要でな」という福地の台詞を考慮すると、観客とは探偵社のことであり、探偵社の中にいる誰かが五衰事件の真のターゲットだということになります。順当に考えれば敦くんの生け捕りということになりますが、果たして本当にそれだけなのかはわかりませんね。
余談ですが、「人界最後の喜劇」という言葉は「人界最初の悲劇(=失楽園)」の対を為しているものであり、原罪による苦しみを終わらせるための演劇が今まさに執り行われようとしている、ということかもしれません。

■被害者と加害者の逆転の考え方

こうやって整理すると、なんだか意外にもわかりやすい話だったのかもなあという気がしてくるのですが、ここに到達するまでに相当の煩悶が必要であったのは言うまでもありません。
頁による入れ替えのせいで、加害者と被害者の逆転は探偵社と五衰の逆転だと考えてしまいそうになりますが、どうやらそうではないようで。
頁による入れ替えは、五衰から探偵社に罪を擦り付ける、濡れ衣を着せるということはしましたが、二つの組織の被害と加害が反転したわけではなく、立場が横滑りしたと捉えるほうがわかりやすい気がします。
本当の被害と加害の逆転は天人と探偵社の間で起こっているものだと考えています。

もうひとつ天使事件には逆転が仕込まれていて、それが天使と人間の逆転でした。

五衰事件では天人と称された為政者たちはただの人間で、人間だと思われた観客の中にこそ本物の天使がいる、ということになりそうです。

■反復しているプロット

なにかの参考になるかなと思い、二つの事件の出来事を並べてみました。五衰事件はもっと沢山のことが起こっていますが、天使事件と反復していると思われる部分だけ抜き出しています。事件編はすでに反復描写が完了していて、このあと真相編⇒解決編へと進んでいくという可能性もあるのかも?
福地さんは五衰編で沢山動いてますが、役回りとしては三田村巡査長であり、「尖兵」ということになりますね…

もしかしたら反復という枠にとどまらず、天使事件はそもそも文ストの物語そのものの縮図である、という可能性もありますし、探偵社設立に至るための原点となった出来事であるだけにこれからも天使事件を参照しながら解釈する必要性のある場面が出てきそうです。

ということで、なんだかよくわからん事件だなあと思ってた五衰事件も、五衰=Vという受け入れがたき事実も、反復を前提にして考えたら少しだけすっきりしたようなそんな気がしております。
五衰=Vを強調してきたアニメ、壁画の周囲にしつこく描かれたVの文字、これらはすべてカフカ先生と製作陣からの「気づけ凡愚どもー!」というメッセージだったのかもしれませんね。
実際のところはどうかわかりませんが、こういう考え方もできましたよ~ということで、本誌で真相が明かされるのを楽しみに待ちたいと思います。

お読み頂きありがとうございました。

Vと五衰の組織としての繋がりについて、ご興味ある方はこちらも宜しければどうぞ。

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