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「何かを書く異能」を持つ者たち(お題箱から)

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※お題箱に頂いたお題への回答です。

今回のお題は私が回答する必要のないものになります。お題主様が大切なことを非常にわかりやすく整理してまとめてくれましたので、そのお披露目の場とさせて頂きます!
作品全体に通ずるとても重要な観点であり、今後の考察のための礎となりそうですので、ぜひ読んで頂けると嬉しいです。

頂いたお題はこちら:

前回は斗南司法次官に関する素晴らしい考察をありがとうございました。
さて、今回は全く別の点でお題を出させて頂きたいと思います。

と、思っていたのですが、正直、「文ストのもう一つの世界線と変身する異能(お題箱から)」でものあし様が考察された点と組み合わせれば何かが浮かんできそう……というところで、止まってしまいまして、現在、真っ暗な洞窟の中を灯りなしで歩いている状況です。

雑なメモを送りつける形になってしまい、大変心苦しいのですが、ここでピックアップした登場人物と「白紙の文学書」、「小説の書けない世界」、「敦と夏目先生の猫に関わる異能力」と絡め、ものあし様がこの近辺に関することについてお考えになっていること、あるいは過去記事から進展があったことがありましたら、お答え頂けたら幸いです。

◆「猫」に纏わる異能力者

・中島敦
 探偵社員で主人公。異能力は大柄な白虎に変身する『月下獣』。『白紙の文学書』を手に入れるために必要な鍵『道標(タイガービートル)』であると作中で語られている。
 能力の元ネタとなったのは作家・中島敦の短編小説『山月記』。
 『山月記』の内容からインスピレーションを受けたような異能力だが、『山月記』ではなく『月下獣』と名付けられている点には何か理由がありそう。能力を制御できていない点とも関係はあるのか。

・夏目漱石
 三刻構想なる構想を実現した後に隠居した老紳士。異能力『吾輩は猫である』は「万物を見抜く最強の異能」とのこと。作中の描写から猫になる異能力の可能性が高い。
 能力の元ネタとなったのは作家・夏目漱石の小説『吾輩は猫である』。

・エドガー・アラン・ポー
 組合の設計者長。異能力『モルグ街の黒猫』は「読者を小説の中に引きずり込む」というもの。異能力の元ネタとなったのは、「モルグ街の殺人」と「黒猫」だが、何故「モルグ街の殺人」ではいけなかったのか? 
 既にお題箱では、組合の前組合長に関する考察から派生し、異能力が『白紙の文学書』と関係していると指摘されている。
 ちなみに、異能力には敦や夏目先生と同じく「猫」科の動物が含まれている。
 ルイーザとの共通点は「非戦闘員」であること。織田作は小説家になるために殺しをやめたので、小説家は「非戦闘員」である必要があるのかもしれない。

→「猫」科の名称が含まれる異能力の保有者は全部で三人。うち、敦は『白紙の文学書』を手に入れる鍵であり、ポー君は書いた小説を実体化させるという異能力を有している。この三人は『白紙の文学書』の謎を解き明かす鍵になるのかもしれない。

◆『白紙の文学書』と関連があると思われる異能力を持つ人物

・国木田独歩
 探偵社員。異能力は手帳の頁を消費することで、書き込まれたものを具現化・実体化する『独歩吟客』。
 この異能力は既にお題箱で『白紙の文学書』との関係が指摘されている。
 乱歩と並ぶ、異能力名の選ばれ方が異質な人物。あえて、作品名ではなく筆名から取られたことに彼が特別な存在であるということを示す意図が含まれている可能性はないのか。(作品名から取られていない乱歩には、文豪が元ネタでありながら異能力者ではないという伏線が隠されていた。この乱歩の文豪ストレイドッグスの世界でのあり方が国木田の異能に関する伏線になっている……少し飛躍し過ぎか?)。

・エドガー・アラン・ポー
 詳細は上記に。

→『白紙の文学書』と関係が深そうな異能力を持つ二人をピックアップ。唯一、国木田の異能力が筆名――つまりペンネームから異能力が取られているというのは少し異質である。作品ではなく小説家の部分から能力の名称が取られているからこそ、執筆=創造、具現化が限定的ながらできるという可能性はあるかもしれない。

◆異能力を有するか否かの考察に役立ちそうな人物。

・江戸川乱歩
 探偵社の秘密兵器。異能力は「超推理」と著作名からは取られておらず、実際には異能力ではなく純粋な頭脳だった。
 彼が何故、唯一異能力者ではなく一般人として描かれたのか、この辺りの伏線は回収されていないと思われる。

・ハワード・フィリップス・ラヴクラフト
 組合の職人。フィッツジェラルドとの約束で行動していたらしい。
 異能力は『旧支配者』とされているが、『人間失格』が効かなかったことから異能力ではない可能性が高い。
 能力名は『クトゥルフの呼び声』といった特定の作品ではなく、クトゥルフ神話の作品群の用語から取られている。人間か、人外かという違いはあるが、異能力を持たないという点については江戸川乱歩と共通しているかもしれない。

→二人は作品の名称ではなく、探偵小説やクトゥルフ神話といったイメージからキャラクター造形がされているようにも考えられる。そのため、異能力を持たない人物造形がされたのかもしれない。

◆作中で小説を書いている人物

・夏目漱石
 詳細は上記に。

・エドガー・アラン・ポー
 詳細は上記に。

・ルイーザ・メイ・オルコット
 組合の徒弟。作中でも珍しい非戦闘員の異能力者。
 異能力は個室で考え事をする時にだけ時間の流れが八千分の一になる『若草物語』で、この異能力によって与えられた膨大な時間とルイーザ自身の頭脳で作戦を立案する。
 作戦書が大長編になると評されており、未来を予見するその作戦書は一種の「物語」のようにも受け取れる。
 ポー君と同じく「非戦闘員」。そして、横浜出身ではない=ギルドの人間という共通点がある。

・ヨコミゾ
 小栗虫太郎の関係者。金田一の名で推理小説を出していた人物として登場。故人。
 元ネタの横溝正史と小栗虫太郎の関係は「互いにピンチヒッター」だったというもの。恐らく、異能力者では無かったと思われる。
 横溝正史として登場してもいい筈だが、何故かカタカナでヨコミゾという表記で登場。一応、彼にも「非戦闘員」という共通点がある。
 虫太郎の助力で彼が完成させようとしたのは『現実に侵食するミステリー』(乱歩談)。取られている手段こそ違うが、『白紙の文学書』によって改変される『文豪ストレイドッグス』の世界と類似関係があるようにも見える。
 ここにも、『探偵社創設秘話』のように、小栗虫太郎とヨコミゾの友情関係を描いたという以上の何かしらの伏線が隠されている可能性がないとは言い切れない。

→ここでは作中で小説を執筆していることが確認されている人物をピックアップ。非戦闘員が大多数を占めており、「人殺しの世界に身を置くものは小説を執筆できない」という原則が生きていることが伝わってくる。


読後コメント:

本当に素晴らしいまとめ、ありがとうございました!
織田作に象徴されるように「人殺しの世界に身を置くものは小説を執筆できない」という原則があるのは本当にその通りだと感じました。

個人的に面白いなと思ったのは、猫科に関わる異能を持っている人物の中にポオが含まれていること。小説を書いてその世界の中に人を引きずり込む、というのは文スト世界のある意味「縮小版」のような感じもしますね。
カールというアライグマの相棒も、変身ができない代わりに与えられた動物のような気もしてきました。

小説をはじめ色々なものを書く異能者はお題主様が示してくれたように何人もいますが、小説を小説として世間に出版している、つまり「職業としての小説家」をやっているのはヨコミゾだけですかね。
だけどヨコミゾは異能者ではないし、顔すら持たない者。世間に作家として認知されてはいるものの、人間としてのヨコミゾを見れるのは虫くんの記憶を通してだけだったりする。

これらを考えると、文スト世界において、本来の文豪たちが「小説家として生きる」ことはそれだけ難しいことなのだ、ということが伝わってくるようにも感じますね。
ヘッダーの画像でじわりと主張してみたのですが、書く道具としてかつてはインクと羽根が使われていたことを考えると、筆である羽根を奪われてしまった文豪たちは、設立秘話で象徴されているように翼を失った堕天使として、傷を背負いながら生きていく運命を授けられているように思います。

ポオくんの異能と白紙の文学書との共通点についてはこの後別記事で考察を書かせて頂きますね。
それから、乱歩さんや樋口ちゃんのように異能者にならなかった文豪がいるのは何故なのかという観点での考察も面白そうなのでいつか挑戦してみたい!もしどなたかこういう理由だからでは...?というアイデアお待ちでしたらぜひお聞かせください〜。

お題主様に今回提示頂いた内容は、これからも少しずつ咀嚼しながら考察に織り込んでいけたらいいなと思っています。
ありがとうございました!


お題主様からの追加情報:

あの後、 アニメを見直していたのですが、 自伝執筆をしているマーク・トウェインのことが抜け落ちていました。
自身の冒険記を執筆していて、 ギルド戦後に執筆を再開すると言っていましたが、 これも興味深いなぁ、と思っています。

自伝というとノンフィクションのイメージが強いですが、執筆という行為をすると必ず語るという形で異化する作業とある一部分を切り取る編集の作業が含まれるので、本人が書いても結局現実に限りなく近い物語になってしまうんですよね。

このある意味物語を紡ぐ人物であるマークが探偵社との戦いの間に自伝の執筆を中止していたという点も 「戦いと小説」という点に関わってくるのではないかと思います。
戦いの世界に身を置くマークが自伝執筆に関わっていることで、 「人殺しの世界に身を置くものは小説を執筆できない」という原則が崩れたようにも見えますが、 この同時にできない、あるいはしないという原則はまだ生き残ってそうですね。


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