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人生の転機、水泳との出会い

<<2004年スタート 競泳日本選手権場内アナウンサー>>

エフエムえどがわのラジオパーソナリティ、
テレ朝さんのナレーションなど、
コツコツと実戦は積んでいました。

が、バイクに乗っていた夕方、忘れもしません、
新宿の街中を走って帰ろうとしていた時、1本の電話が入りました。

当時のアスク、ゼネラルマネージャー松苗慎一郎様からじゃあーりませんか(何かしたかなあ・・・)と、不安で出てみると、

あ~、古閑君、ちょっとね、来週から水泳の日本選手権があるんだけど、
場内アナウンサーしてみない・・・と軽く言われました(笑)・・・(驚)

は、はい、頑張ります・・・・

色々、新聞とかにも水泳ニュース出るから、読んでおいてね・・・・

北島康介も出るからね、がんばってね・・・

来週・・・

聴くと、NHK全国放送で、テレビ朝日は世界水泳など、放送があるけど、
NHKさんの時は誰かいませんか、と言う事で日本水泳連盟様にご紹介をいただきました。

帰りに、東京辰巳国際水泳場を見に行ったのを覚えています。
冷や汗、デカイ

マジかよ~~~~と思いましたが、ここで逃げたら上京した意味がないと
覚悟を決めて、色々資料を探し始めました。

ある意味、これで失敗したら悔いは無い、その時は帰郷する時か、くらいの覚悟で臨みました。

NHK全国放送で、何かあったら・・・

リハーサル当日、覚悟を決めて、
アナウンサーの古閑です。よろしくお願いします。

水泳関係者、テレビ朝日関係者、の皆様とは初対面で、人間関係もこれから。
重鎮の皆様にも挨拶、責任者の方からは、元気良くね・・・と

かなりのプレッシャー(冷汗)

2004年から、オリンピック選考会は、一発選考。
盛り上げアナウンス

選手たちのリズムを乱したら、タイムが伸び悩んだら、俺のせい???

色々悩みましたが、入場シーンの原稿もディレクターの方と打ち合わせして考えて、

最初は明け方まで原稿を考えていました。

寝坊も出来ない。寝不足の毎日でしたが、緊張感がはるかに上回る現場。

とりあえず一生懸命、声を張り上げて、オリンピック行ってくれ、行ってくれ、と願いながら、必死で叫んだのを思いだします。

最初は下手でしたけどね(笑)
更に、大会の中ごろには、

古閑さん、オリンピックの代表記者会見があるから、そちらの司会も宜しくね、と。・・・・(驚)

大会だけでも、プレッシャーなのに、終わった翌日は、代表選手の記者会見。

東京プリンスホテル。

名前負けしそうになりましたが、やるしかないと腹をくくり、月曜日は早めに行き、近くの芝公園で、何度もイメージトレーニングしたのを覚えています。

関係者の皆様も協力的で、本当に今は感謝しかありません。

そして経験は財産になっています。

・・・・・・・・・・・・・・・
8月のアテネオリンピック本番、あの、

ちょ~気持ちいい、2004年アテネ五輪の100m平泳ぎで優勝した北島康介さんをテレビで見た時のインタビュー、嬉しかったですね。

あれから、水泳界に15年以上お世話になるとは思いませんでした。

多くのご縁、支えや励ましにより、今日まで水泳アナウンスに携わらせていただいてます。

感謝しかありません。


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