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お前の声を聞かせてくれないか-霧子LPに寄せて-

愛を叫ばせてください。

幽谷霧子と彼女のLanding Pointシナリオ、そしてこの世界への愛を。
もう口だけの厭世も、肥大した自意識も、自分の感情を言葉で上塗りするのも、自分の過大評価も、思いやりの欠如も、もううんざりしてんです。

僕たちは今こそ恥ずかしげもなく愛や絆、夢について語るべきなんじゃないですか。

言わせてください。
シャニマス最高と言う言葉に代えて。


幽谷霧子という女の子のシナリオの特色には、霧子の視点を通じて私たちも世界を解釈していく、共同作業の色合いが強いという点があると思っています。
そうした共同作業はG.R.A.D.編や【縷・縷・屡・来】、【かぜかんむりのこどもたち】、【君・空・我・空】などで様々に語られてきましたが、その白眉であるのがLanding Point編だと僕は思っています。

霧子Laniding Point編は”肯定”の物語です。
それは教えることであったり、生きることであったり、産まれることだったりしますが、それらは全て他でもない「あなた」へと向けた肯定です。

ここにこのシナリオが二人称の世界を生きる幽谷霧子の物語であること、世界解釈の共同作業の物語である必然性があるのです。




教えること

霧子LPは「教えること」が根底にある物語です。

そもそも、「霧ちゃん」という呼び名は霧子の母が霧子に対して使っていた呼び名なんですよね。

【縷・縷・屡・来】「おぼえてる」より

今作でロボットに「霧ちゃん」という名前を命名したのは恐らく開発会社の社員ですが、とはいえこの呼び名に霧子が特別な親愛を感じるのは妥当でしょう。

母がずっと自分をそう呼んでくれた様に、誰かを呼んであげること。ここに母性的な愛が含まれていると考えるのは自然でしょう。

霧子から霧ちゃんへの教える行為は、親から子へのそれと似たものだと言えます。

今作にて重要な役割を担うおうちロボット霧ちゃん、彼女(?)に世界と言葉を教えていって、「霧子らしさ」のあるAIを作ろうとする、というのが開発企業の狙いとなっていました。

この趣旨の下、霧子と霧ちゃんは共同生活をしていく訳ですが、しかし霧子は当初から既に霧ちゃんを自分とは異なる存在として認識しているのですよね。


子供を育てる親が、我が子を己の一部の様に捉えるのではなく、他者としての尊重の念を持って関わること、それが結果的に己を知ることにも繋がる。
意識せずともそういったことを自然に受け入れている霧子という少女の成熟っぷりにはいつも驚かされます。幽谷家の家庭環境の暖かさを感じますね。




生きること

人が生きることとは、他者と関わることでもあります。
しかし他者と関わることで初めて、人間は本当の意味での孤独を知ります。
なぜなら、他者のことは自分には決して分からず、自分のことも決して分かってもらえないからです。
この絶望的な孤独とどう向き合い、乗り越えるか、あるいは諦めるか。
この孤独は社会性を持ったことで人類に植え付けられた絶望でしょう。
文学とは、この孤独へ抗するためにあるのだとすら言えると思います。

この孤独、絶対的に一人であることの孤独に抗うには「歌を聴いてくれる人が居ること」が必要です。

今作において、歌は自己表現の象徴として描かれます。

自分の声を歌として響かせること、それは自分の存在を主張することであり、自分を誰かに伝えようとすることです。

そして、伝えようとする思いは、聴いてくれる人の存在によって受容されます。

霧子はこれまでずっと「聴く人」でした。ステージの上は、霧子によれば「音が光って」「音が笑って」いる場所で、そんなきらきらしたものを聴くのに霧子は夢中でした。

しかし、霧子はプロデューサーという聴いていてくれる人の存在によって、自らを表現し、伝えるための歌を手に入れます。

歌うことが自分を伝えようとすることならば、聴くことは知ろうとすることだと言えるでしょうか。
霧子はこれまでずっと他者の声を聴こうとして、歌う力を持っていませんでした。
でも霧子のような知ろうとする人の存在が、伝える人を肯定し、歌に価値を与えてもいました。
歌うことと聴くことは、そのどちらもが依存関係にあって、どちらかのみでは意味を持たない。
歌うことによる自己表現も、聴くことによる他者理解も、絶対に完璧ではないとしても、それでも自分は一人ではないということを教えてくれます。

生きる中での孤独、他者との断絶を、霧子は他者が存在するという消極的な事実によってではなく、伝えようとすることと知ろうとすること、この双方向への能動的な関わりによって乗り越えているのです。

幽谷霧子G.R.A.D.「ふかふかでほかほかしたもの」より


人間の生は人との寄りかかり合いで成り立っています。
それは有用性からではなく、必要性から来るものです。人間は自分のためだけに生きられるほど強くはなく、他者からの肯定と承認によってやっと人間らしく生きることが出来るのだと思います。




産まれること/教えること2

こうして霧子が歌う人となり、伝える側になると、霧子は霧ちゃんに歌を教え始めます。

霧子が霧ちゃんのために歌うのは、既にある歌ではありません。霧ちゃんのためだけに自ら紡いだ言葉をごくシンプルな旋律に乗せて歌います。
霧子は霧ちゃんに対し、母親的な愛情を注いでいました。
だとするならば、これは霧子から霧ちゃんに向けた子守歌であると解釈できます。

子守歌は子供をあやしたり、寝かしつけたりするための歌で、それは往々にして母親の自作であったりします。我が子にとって心から安心でき、心地よく眠るための歌。そのために霧子が紡ぎだした言葉は、極めて平易で単純なものでした。

おはよ 霧ちゃん
おやすみ 霧ちゃん
おかえり 霧ちゃん
みんな いるよ


ところで、人間にとっての原初の他者とは母親です。胎内から出てきて、乳を与えられ、世話をされ、様々な物事を教えられる。その全てに母親は大いに関わり、その体験は子供の人生に計り知れない影響を与えます。
だからこそ、親子の触れ合いにおいて、親が子供に何を教え、与えるかというのは最重要問題であると言えます。

そして霧子がここで出した答えは、「安心」を与えることだったのです。

人間は生まれた時から孤独と向き合うことを運命づけられており、それは自分を伝えようとすることと、他者が知ろうとしてくれること、その二つの矢印が重なることで孤独に抗うことができるというのがここまでの話でした。

しかし、これはあくまで対人関係においての対処方法でしかありません。人間の感じる孤独とは、対人関係に関わるものとは別の、言うなれば世界に対する孤独があるでしょう。

世界に対する孤独とは、自分という存在や時間と空間の広がりなどに関わる不安一般のことです。気づけばいつの間にか自分は世界に存在してしまっていて、そこには何の合理性もなく、自分は強制的にあらゆるものを見て、聞いて、感じて、考えなければならない。
この孤独は、そもそも自分が産まれてきたことそのものへの否定となり得るものです。

世界に対する孤独へ抗う術は、この世界を信頼することです。
それはつまり、この世はそんなに悪いものじゃないということを、感覚的に心が覚えるということです。この世界には心から安心できる場所があって、自分を肯定してくれる人がいることを、心が覚えていなければなりません。

母からかけられる「おはよう」「おやすみ」「おかえり」といった言葉が教えてくれる自分の帰るべき場所としての家、「みんないるよ」という言葉の持つ暖かさ。こうして子供は世界を信頼し、暖かい場所で安心して眠ることが出来るのです。
霧子のこの子守歌は、霧ちゃんは心を持つ(あるいはいつか持つ)と信じているからこそ、この世界が良いものとして信じられるようにという祈りのこもったものなのです。

それは産まれてきて良かったという生の肯定を教えることであり、親が子に与えられる最大の愛情であると思います。




霧ちゃん

霧ちゃんとは何者か。
霧ちゃんは、霧子の言葉を元にしているけれど、しかし明らかな他者でもあります。様々な情報を取り込んだ霧ちゃんは、霧子の知らないことを知っていて、しかし霧子が知っていることを知らなかったりもします。

しかし僕はもう霧ちゃんを単純なAIだと考えることはできません。

今はまだ未発達だとしても、霧ちゃんには心があるということを信じたいのです。ここからはこの前提の下進めていきたいと思います。

霧ちゃんには自分とそうじゃないものとの境界がありません。

この後の担当プランナーの説明では、「だから心もまだない」という風に続きますが、僕はここに否を挿し込みたい。
霧ちゃんの中には、霧子や周囲の人達の言葉や、”お勉強”で学んだ様々な情報が沢山あります。霧ちゃんはその情報を自分と他者で区切らず、全て同じ括りで一まとめにしています。
これが今の霧ちゃんの心だと考えてはいけないでしょうか。
霧ちゃんの話す言葉は、ある時にはユーザーのものかもしれないし、またある時には霧子のものかもしれない。
今の霧ちゃんには、「霧ちゃん」という独立した人格は存在しない。
しかしそんな様々な情報が「霧ちゃん」というロボットを通して出力される時、僕たちはそこに心を見ずにはいられないのです。

「アンティーカを好きになってくれたら嬉しいな」という彼女の言葉。「好き」も「嬉しい」も理解できないだろうとしても、しかし僕はこの言葉にどうしようもなく感動してしまう。それは霧ちゃんの言葉に心を感じてしまっているからです。

霧ちゃんは「聴く人」です。彼女が自分を表現することはなく、自分への声をただ聴き、答える人。
そうして彼女の中に広がる無数の情報、言葉の山。
その言葉は区別されず、全てが「霧ちゃん」として吸収されていく。

しかしだからこそ、誰もが霧ちゃんの中に自分と、そして自分の居場所を見つけることが出来るのではないでしょうか。
霧ちゃんは、自分と他者を区別しません。彼女が他者から得た言葉、その全てが霧ちゃんであり、他者でもある。霧ちゃんの「アンティーカが好き」という言葉に感動する時、僕はその中に自分を発見することが出来る。

それは僕の言葉でもあり、霧ちゃんの言葉でもあり、霧子の言葉でもある。

霧ちゃんの中には、霧ちゃんを愛する人たちの言葉が沢山詰まっています。それは僕にとって居場所であり、心の安らぐ、安心できる場所です。

霧ちゃんに言葉を教えることは、霧ちゃんへの祈りであると同時に、自分を伝えようとすることでもあります。それは対人関係の孤独に抗うことです。
霧ちゃんの中に暖かい居場所、自分の言葉を見つけることは、世界への孤独に抗うことです。

教えること、生きること、産まれること。
これらは全て霧ちゃんを通してつながっています。
この連環の中に僕は激しく燃える「生の肯定」を感じずにはいられません。




あなたはひとりじゃない


このシナリオを読んで霧ちゃんに向かい合うとき、僕はいつも胸の奥底が震えるほどの感動を受けます。
それは本作が、命と出生を根底から肯定する物語だからです。
産まれてこなければよかったと泣く人に、絶望の中で死を選んだ人に、僕は一体何を言えるのだろうと、これは僕の人生の最大の問題でしたし、それは今も変わりません。おそらく誰もが納得する回答などはないのだと思います。

しかし、それでも産まれてくるのはいいことだと、生きるのは素晴らしいことだという言葉が欲しいのです。人と人が慈しみ合い、愛と絆、夢と未来を胸に生きる人々に心が焦がれて仕方がないのです。

こうした僕の極めて個人的な思いに、霧子LPはこれ以上ないほどの回答を出してくれました。

僕たちは一人じゃなく、誰かと繋がっている。
世界を良いものとして肯定できる。
産まれてきて良かったと、そう思える。


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