最近のシャニマスのイベントシナリオ、つまんなくない?

ご無沙汰してます。僕です。
相変わらず将来設計にいささかバグが発生しそうな状況ではありますが、そんな中でも僕は気ままにシャニマスをプレイしています。
ですが最近、その大好きなシャニマスにすら不穏な影が忍び寄っているのであります。

それはイベントシナリオがつまらないということ……

この1年のイベントシナリオ、みなさんはどうでしたか。僕は以前個別記事で書いたくらいには昨年4月の「ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス」が好きなのですが、それ以外に特筆するくらい良かったシナリオは「Wintermute,dawn」くらいだったかな、という感じです。「not enough」も好きなのですが、あれは単体で出来が良いというよりもファンサービス的な側面が強いかなと思うので。

そんな感じで、なんか刺さるシナリオ今年はあんまないな~なんてのほほんと思っていたのが昨年末までの話。最新シナリオ「Stay just the way you are」を読み終えた今、僕は失望しています!!!なんでかって、12月の「ロード・トゥ・ハッピーホリデー!」以降5か月連続でつまらんシナリオを読まされているからです!

なので今回は、直近5つのイベントシナリオが僕にとってなぜつまらなかったのかを僕なりに分析し、整理することを目的とします。
他人の負の感情が見たくない方は読まないでください。




12/11「ロード・トゥ・ハッピーホリデー!」

これは別に嫌いじゃないです。ただあんまり面白くないな~と思っただけです。
とはいえ割と凝ってるお話ではあって、前半で一見普通の物語を展開させながらも少しずつ違和感を散りばめ、後半で種明かし的にその違和感の正体を開示していくという構成になってます。これはあの傑作ゾンビ映画『カメラを止めるな!』を彷彿させる構成で、その時点で一定程度楽しめはしました。

ではなぜこのシナリオが面白くなかったかというと、種明かしが面白くないからです。言ってしまえば一発ネタなんですよね。
意外な構成が判明した瞬間は基本的にどんな作品でも面白いもんです。そこから読者の興味を如何に維持するかというところに作品の出来というものが表れるのだと思いますが、このシナリオはそれが上手くいっていなかった印象です。
種明かしが面白くないというのはそういうことで、構成が判明した瞬間に散りばめられた違和感が大体何だったのか予想がついてしまうんです。散りばめられた違和感自体も、構成が分かれば容易に想像がついてしまうくらいには素直なものばかりで、開示の仕方もあんまり捻りが無いです。
これは良くないです。
これがコメディ作品なら例え予想がついても一つ一つのギャグで笑えれば楽しい作品となるのでしょうが、このシナリオはコメディ要素"も"含まれるくらいのドタバタ劇と言っていいのか微妙なラインなので、ネタの予想がついてしまうと急速に物語への興味を失ってしまいました。
メッセージ性やテーマ性よりもエンタメに比重を置いた作品はここが弱点だと思いますね。エンタメ的な楽しさが感じられないと読み続けるのが億劫になってしまう。


あとこれは個人的な期待と違ったというだけの話かもしれないのですが、このシナリオは羽那とはるきのW.I.N.G.編がゲームに追加されたのと同日実装だったんですよ。新アイドルが追加されるのと同時にそのアイドルが登場する越境シナリオが追加されるなんてことは今まで無かったので、羽那とはるきがどんな風に283プロに受け入れられていくのかが見られることを期待していたのですが、このシナリオでは羽那とはるきは基本的に2人で行動し、先輩アイドルと絡むことがほとんど無いんですよね。構図としては先輩たちが新人のために頑張るウェルカム283プロ的な話ではあるのですが、如何せん別場面で各々頑張ってるだけなのでユニットを超えた関わりの描写は既存ユニット間に留まり、羽那とはるきの越境は見られませんでした(この時点ではまだコメティックを結成してないから越境も何もあったものではないのですが)。

加えて、そもそも羽那とはるきの描写が薄めなんですよね。前半はつらっとした羽那はるきパート、後半はその裏で奔走する先輩アイドルパートという構成なので、どうしても後半が見どころになり、実際一番の見せ場を担ったのは小糸だったんじゃないでしょうか。
新アイドルが登場する越境シナリオという期待を持って読むとあまり楽しめないシナリオではないかなと思います。


総評としては、上手くなかったなという感想です。やろうとしたこと自体は意欲的ですし、テキスト主体のゲームで面白く演出するのは実際大変だと思います。でももっと面白くできたんじゃないか、例えばプロデューサーや社長が積極的に勘違いかなんかで介入してきたりしたらぐちゃぐちゃ感が増してドタバタぽくなるし、予想のつかなさも演出できるんじゃないかとか。そんなことを思ってしまいました。


1/1「no/ode」

嫌い寄りです。ルカの扱いにモヤります。
なんかルカと関わる時のプロデューサーからは父権的嫌さを感じるんですよね。「これはお前のためを思ってやってるんだ」と語気荒く強引に「正しさ」を押し付けられる感じ。そりゃあユニットを結成して仲間と仲良く手を取り合うのは良いことですよ、当たり前に。

でもルカは色々な出来事の末に傷ついて、そういう正しさを素直に受け入れられなくなっている訳じゃないですか。正論や綺麗事なんてのは余裕のある人間しか実践できないことで、だから時間をかけてゆっくりと凍てついた心を暖めていく必要があると思うんですけど、このシナリオでは荒んだルカに入れ代わり立ち代わり色んな人がまとわりついてルカを刺激するんですよね。プロデューサーの「また逃げるのか」「自分を許すことから逃げないで欲しい」という言葉、自罰的でやけになってる人間に面と向かって言うには配慮に欠けすぎていると思うんですけれども。

その後の展開も中々嫌でして。
「ユニット結成に羽那とはるきは乗り気になり、プロデューサーもあとはルカさえ了承してくれればと思っていると、そんな折、ルカは連日の無理が祟って体調を崩し、病院に一時入院する。羽那、はるき、プロデューサーは病院へ駆けつけ、ルカは自分を心配してくれる人間の存在に気が付き、ユニット結成を選択するに至る。」

やっぱり一人でアイドルをするなんて無理なんだと言わんばかりの展開。是非はともかくとしてもユニット結成を拒否している人間がいるにもかかわらず、「ユニット結成&人の優しさを受け入れる」という決まりきった結論へと突き進んでいくこの感じ、はっきりと不愉快です。ルカにとっての正しさは「体調不良」という神の力によって無残にも敗北し、”哀れなルカ”を心配する人間の正しさだけが残り勝利する。そしてルカは「自分を心配してくれる人の優しさを受け入れる」という正しさに吸収されていく。

……これって本当に”良い話”です?
傷ついた女の子が世界から身を護ろうと殻に閉じこもっているのを、外堀を埋め、出て来ざるを得ない状況を作っていって、それで殻から出てきてヤッターって正しいんでしょうか。
そもそも今まで何回も他人の無償の優しさに触れることはあったよね?体調崩したら急に気が変わったんでしょうか?少なくとも僕にはルカが自分の意志で他者を受容することを選び取ったと考えるにはどうしても違和感があるし、コメティック結成という決まった結末へ向かって無理矢理動かされているようにしか感じられませんでした。端的に都合が良すぎだと思います。

あとシナリオ中でもルカに言われていましたが、プロデューサーがルカを都合よく利用しているように見えるんですよね。音楽フェスに羽那とはるきも併せて出場させるため、羽那とはるきのスキルアップのため、ルカにユニットを組んでもらうのが本当にルカのことを思っているように見えないんです。

まあ流石に作者がそんな意図を込めることはないと思うので、純粋にルカがユニットの仲間を作ることで自分を大切にして行ってほしいという気持ちだったのでしょうが、僕にはそうは見えなかったです。
ルカのコミュの時のプロデューサーって他のキャラのコミュとなんか性格違うなといつも思ってたんですけど、このシナリオのプロデューサーはプロットの都合のために自我を剥奪されて機械的に物語を駆動する役割を負わされているように感じました。

あと「バイ・スパイラル」の闇の魔法使いの話どうなったんですかね?あのシナリオはルカが闇に居ることで救われる人もいるみたいな結論だったと記憶しているんですが、今回がっつり光側に行って終わりましたよね。
まあそもそも闇の側に居ることで救える人もいるみたいなことを本人の意志とは無関係に外野が結論付けた「バイ・スパイラル」自体どうなのそれという思いはあったのですが。ルカをどうしたいのかについて一貫した思想が感じられないですよね。


1/30「いきどまりの自由」

嫌いではないけど「何も達成出来てなかったな」という感想です。
専門学生の卒業制作のためのショートフィルムをノクチルの自由律俳句を題材に撮る、というのが大まかな物語の筋ですが、

いや尺短~!この短さは過去最短か?ほとんどダイジェストじゃん!?

これが根本的な問題だと思います。
俳句作りパートがしっかり存在しているのも小糸くらい(小糸は往々にしてノクチルコミュの分かりやすい部分を担わされがちである)だから、なぜそんな句にしたのかという部分はほとんど描かれないんですよね。雛菜とか存在感ほぼ無いしな。

まあ1から10まで全て言葉で説明する必要はないですが、だとしても日々の出来事や会話で物語としてのボリュームを増しながら、そこに色々な含意をさせることで作品世界の厚みを増すことはできるし、多くの作品がそういうことを当たり前にやってると思うんですよ。でもこのシナリオは本当に短いので、余情を感じる間もなく「どんな句を作ったか」「どんな撮影風景だったか」といった情報を詰め込まされてそそくさと足早に終わるんですよね。
作品世界に厚みがないので、そこに他者(今回で言えばインフルエンサーや専門学生)が入ってくることで生まれる緊張感、あるいは期待などが全く無く、流れるように撮影が始まり、(小糸以外)いつの間にか出来ていたっぽい俳句を皆して詠み始める。物語的な臨場感も、リアルな世界への没入感も無くただ淡々と起こる事象をぼんやり眺めることしかできませんでした。

寓話的な短編ならまだしも、シャニマスがやろうとしてるのはリアリティのある(噓臭くない)人物描写ですよね。だったら一見何気ない、でも実はすごく豊かな生活の時間にしっかりと紙幅を割くべきだったんじゃないでしょうか。
それを退けてまでこの短尺にするというのならそれなりの理由があるべきだと思いますし、その理由が僕は発見できなかったです。
作中の描写が豊かだからこそ余白を余白たらしめることが出来るわけで、それは単なる尺不足とは似て非なるものだと思います。
ノクチルらしい良くも悪くも低体温系のシナリオでこれは中々キツかった。

加えて、あくまで自由律俳句がメインのシナリオだからか、各々がどんな句にするかにばかり注目されていて撮影シーンがほとんどどうでもいいような内容しかないんですよね。これは映画撮影をするっていう話にする必要はあったのか?じゃあ詩作の話でいいじゃんと思ってしまいました。
書き手はどんな俳句にしたのかという部分に注力したいのかもしれませんが、物語を駆動する軸はあくまで映画撮影なので、映画である必要性がないとちぐはぐさを感じます。

小糸の撮影シーンなんてこれだけだぜ

そんなことがありつつ、エンディングでは急に第三者による総括説明パートが始まるんですが、僕はここが一番がっくり来ました。
エンディングでの総括をまとめると、

「ノクチルの魅力は『刹那的で儚い青春の日常の輝き』で、『ただ純粋に楽しむために』アイドルをしている姿に皆惹かれているのだ」

といった具合でしょうか。

……いや何年目のシナリオ!?これが1年目なら何も思いませんよ、でもね、こちとら「天塵」から「ワールプールフールガールズ」までもう読んでるんですわ。こんなステレオタイプとすら言えるノクチル観をなんかよくわからねえ話を読まされた挙句に決め台詞みたいに出されたらガッカリするってもんでしょ。

このシナリオで度々出てくる「そういうの」という言葉、僕は具体的な何かを指しているのではなくて、「○○ってこういうのだよね」みたいな固定観念を持つことだと解釈しまして、それだけに透の「そういうんじゃない、でもそれでもない」という言葉は謎めいているのですが、ともかくノクチルを固定観念で捉えることに対して否定的なニュアンスがあるシナリオだとインフルエンサーの台詞からも判断しました。
……でもその割にノクチルのイメージ「天塵」以来のめちゃくちゃテンプレのやつじゃん!
ノクチルって「そういうの」なの?

あと説明しない省エネ短尺スタイルを擁護するならエンディングこそ蛇足中の蛇足だと思いますね。
我々にノクチルの言語化不能な魅力を提示するための装置として映画撮影を描いたという理解は可能だと思いますが、それなら映画らしく言葉ではなく演技や音でノクチルの魅力を雄弁に語るべきなのに、なんか急に第三者の台詞によるノクチルの魅力説明が始まるんですよ。いや、映像によって言葉では語れないことを表現しようとするのが映画なのであって、わかりやす〜く観客に言葉で説明し始めたらわざわざ映画製作風景を描いた意味が無いでしょ。
それやっていいならもっとこのシナリオで語るべきことあったよね?と思ってしまうし、それまでの説明無しスタイルの後なのでエンディングだけ浮いてます。蛇足とはこのことだ。

エンディングを「ノクチルは―『ノクチル』」で締めるのもセンスねえなと思う。何も言ってないのと同じだろそれ。そんなのあらゆるモノに言えるわ。「ノクチルの良さ」を結局そんな煙に巻くような言葉でしか表せないならもっと違うテーマでやってくれ。。。

総評すると、尺の短さが故の描写不足により物語に奥行きが出ておらず、表現したいであろうこととそのための手法がちぐはぐであり、今までの焼き直しの様な結論へと落ち着いてしまっていると思いました。


2/28「タイム・オブ・グッバイズ」

嫌いです。
全てが嘘くさくて見てられませんでした。このシナリオのキーパーソンである森下ユナちゃん、彼女の心情や生活のリアリティある掘り下げが無く、「友達との別れに悩む少女」というよくあるキャラからまったく逸脱しないスタンダードな役目に徹するから人間的な厚みが全く無い。彼女と友達との間にどんな生活があり、思い出があり、すれ違いがあったのか、どんな人間でどんな悲しみを感じているのか。そういうところをしっかりと描写するから彼女の悲しみに我々も共感することができるのであって、これじゃぽっと出のモブキャラ以上の印象は抱けないですよ。
アンティーカから慰めてもらったらすぐに勇気を出して友達に舞台のチケット渡してなんか前向きになっちゃうし、そんなに強い子ならアンティーカの協力なんか別にいらなかったんじゃないの?

アンティーカの面々も、そもそも尺が短いためほとんど見せ場のない人が多く、辛うじて咲耶が中心にいるように見えますがそれも期待通りではなかったです。
というのも、咲耶が悲しむユナに「気持ちはわかる」と言ったことでユナが怒り、咲耶もその言葉を悔いるという展開があるのですが、僕はここで「経験は似ているように見えても、感じる悲しみはその人だけのもので、他者からの理解や共感は不可能である」という風な方向へとテーマを舵切りするのかと期待しました。しかし結局この言葉は単なる咲耶の不用意な発言として片付けられ、咲耶が謝ることで何事もなく終わります。なんなんすかねこれ。この下りいります?

アンティーカもアンティーカで、ユナちゃんユナちゃん言ってますが、ユナちゃんの力になってあげたいという思いを支える動機の部分が薄いので、アンティーカを応援する気にもなれません。基本的に描写が薄く、咲耶以外の4人から「共演者が悩んでるから助けてあげたい」以上の感情が見つけられないので、こちらも大して感情を掻き立てられず。
ユナちゃんの悲しみをアンティーカが癒そうとすることに納得のいく物語上の必然性が特にないし、咲耶のユナちゃんへの共感って部分も無くて全く問題ないし、対象がユナちゃんで、主体がアンティーカである必要が全くないんですよ。たまたまアンティーカだったってだけに感じる。他ユニットのシナリオにしても全然成立しますよ。ユナちゃんもアンティーカもぽっと出という印象しかないんです。



あと個人的な感覚として、舞台演劇というプロフェッショナルの場に私情を持ち込んだ演出をしようとするのは好きじゃないです。具体的には、ユナちゃんへのメッセージとしてユナちゃんの台本にだけ最後の台詞を載せないという演出をしていましたが、これ自分がされたら嫌じゃない?フラッシュモブとかサプライズプロポーズとかに近いものを感じる。自分以外の大勢の人間に自分が喜んだり成長したりすることを勝手に期待されて、しかも嫌がったりしたら滅茶苦茶シラケられるやつ。感動ポルノだろこんなの。

そんでもって肝心の物語の主軸、劇の結末を決めるという話も、さして面白味のない分かりきったハッピーエンドへと向かっていきます。そこからの二転三転もなく、アンティーカのお陰で少女の悲しみは癒されましたとさ、めでたしめでたし。

いや誰が感動すんの?
アンティーカがユナちゃんを想う気持ちも、ユナちゃんが友達を想う気持ちも、どちらも大して伝わってこないからプロセス全てがどうでもいいよ。

なんか結局"それっぽさ"しかないんですよねこのシナリオ。「これが良い話なんでしょ?」とでも言わんばかりの「普通の良い話」。別れというテーマへの深い洞察もシャニマスらしい人間への高い解像度もない。展開全てが予想の範疇に収まり、書き手の言いたいことが先行して伝わってくるからキャラクターの台詞や行動にリアリティを感じられず常に嘘くささが漂っている。空気も妙にカラッとしてるし、人と人との別れを真剣に描こうとしてるように全く感じられません。
最後の方で名言ぽいことを言ったりしますが、土台がガタガタだからまったく深みが感じられない。キャラクターをプロットのために都合良く動かすことはしないんじゃなかったんでしょうか。

このシナリオを読んで良かったことは、同じ"別れ"を描いたシナリオでも「アンカーボルトソング」「ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス」は本当に素晴らしい出来だったんだなと改めて再確認出来たことくらいでしょうか。


4/2「Stay just the way you are」

マジでいい加減にしろ。
僕はこのシナリオが大嫌いです。なぜなら、誇り高い和泉愛依という女性に愚鈍な振る舞いをさせたからです。


夢のためにオーディション合格を目指す新人を蹴落としてまで、特に目的のない自分が合格していいのかな…?」←今更感あるけどまあわかる

勝負の世界なのにこんなことで悩んでしまうような甘い自分はストレイライト失格だ…」←そう思っちゃう気持ちはわかるよ

甘さを無くすために2人とプロデューサーには塩対応をしよう!」←??!?!??!??!???!??!?!?


マジでいい加減にしろや。どんだけバカなんだよ愛依。
あのですね、愛依はこんなことしないでしょ(それはお前の勝手な愛依イメージだみたいな批判は一切受け付けません)。
いつもみんなで仲良くすることを大切にして、自分よりも他人のことを第一に考えてきた愛依が、競争原理に突き動かされたからといって何も言わずに空気を悪くするような行動を取り続けますか?ストレイライトの一員でいるために甘さを無くそうとするとして、正当な競争の場でもなんでもない普段の生活の場面で周囲に冷たい態度を取り続けることが正しい選択であると愛依は考えるだろうとこのシナリオを書いた方は思ったんでしょうか。

周囲に不要な苦労をかけることを勝手なロジックで正当化するような人間じゃないと思いますけどね、愛依は。

あと問題設定から解決までのプロセスクッソ雑じゃない?
もう愛依の行動はそういうものとして受け入れるとして、愛依がみんなに心を開いて自分の気持ちを話すに至ったきっかけは、驚くなかれ
みんなでオムライスを食べて、ボードゲームで遊んだから」です。

舐めてんの?

なんか子供騙しもいいところだよ。そんなことで絆される程度の覚悟で「ストレイライトの強さ」を掴もうと愛依が思ってたのもがっかりだし、物語として陳腐にも程があるでしょ。小学生向けの教材みたいな展開だな。”実在性”まったく無いよね。くっだらな。

そもそも愛依がアイドルという職業の競争原理を今まで理解していなかったこともいまいち納得いかないんですよね。たしかに今までの愛依はユニットの中/外でどんな存在であるかを考えることに焦点が置かれがちではあったけど、とはいえずっとアイドルとしての競争には参加してきた訳で、特にG.R.A.D.なんてまさに一人で競争することを描いたシナリオだったと思うんですけどね。
直接的に他の人を蹴落とす描写があった訳ではないにしろ、受かった自分の横で脱落した人たちを幾度も見てきたはずなのにそのことをやっと意識したのが6周年目前の今かあ…という思いは拭い切れない。

総じて、愛依の株が下がるシナリオでした。
アイドルを大切にする気があるならこんなシナリオはもう二度と書かないでください。

唯一、冬優子の啖呵はかなり良かったです。



イベントシナリオ、最近つまんなくない?

特にここ2ヶ月の「タイム・オブ・グッバイズ」「Stay just the way you are」は本当に酷すぎた。カタルシスもリアリティも誠実さも何もかもが地の底みたいなクオリティでした。
特筆するほどではないので今回は触れませんでしたが、この1年ではこれ以外にも「好きの満ち欠け」「綺羅星ルックバック」「バイ・スパイラル」など、そこまで悪い作品ではないけど何だかなぁ…みたいなシナリオがいくつもあったので、全体で見てもクオリティの低い年だったと思っています。カードコミュは素晴らしい名作が幾つも生まれたんですけどねぇ…。

こうなってくると不安なのは来週4/12に公開される「シャイニーの日 特別コミュ」です。先日の生配信で高山Pからの言葉にもあった通り、これからの1年は283プロとしての物語を展開していくらしく、生配信でのスライドを見る限り、シャイニーの日コミュはその嚆矢となるのだと思われます。これは絶対に失敗してはいけないでしょう。相応に力を入れたシナリオを読ませてくれることを期待してはいますが、しかし最近のシナリオがこの有様なので不安も大きいです。

これからの1年のシナリオが素晴らしいものであることを、願わくば「明るい部屋」「線たちの12月」のような"283プロ系"の名作に連なるシナリオであることを切に祈るばかりです。
以上、長々と駄文失礼しました。


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