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台湾をちゃんと知ろう!台湾語を身につけよう!と思ったきっかけ。

そもそも台湾をもっとちゃんと知リたい、台湾語を身につけたいと強く思ったきっかけは35年前に前妻と結婚した時に新婚旅行として初めて台湾を訪れ、台北市に住んでいた前妻の親戚のおばさん達三人が、当時まだ存在した中華商場に連れて行ってくれたことだ。

中華商場へ行く前におばさんの一人が僕に語ったある一言が頭の中に焼き付いた。その一言というのは「今日はこれから私達が中華街というかチャイナタウンみたいな所へ連れて行ってあげる。でもね、あそこは言葉が通じにくいからちょっと不便なのよ!」だった。

僕は「台湾語が通じないんですか?」と聞き返すと「台湾語だけじゃなくて、中国語も通じにくいのよ!中国人の町みたい所なんだけどね。」と話してくれた。でも初めて台湾へ行って、台湾のことを何も知らなかった当時の僕にはその状況がどういうことなのかわかったようなわからないような何だかモヤモヤしたものだった。(後になって知ったことだが、中華商場の住民や店主は中国出身者が多かったが中国各地方の訛りや地域言語の影響があって中国語でのコミュニケーションも難しい場合があったそうだ。もちろん中国出身者は福建省南部や広東省東部の閩南語が使われている地区の出身者でなければ台湾語は通じない。)

だいたい台湾は中華の国じゃないの ?中華の国になんで中華街があるの?中華街、チャイナタウンというのは海外にあるものじゃないの?台湾人は中国人じゃないの?という疑問も湧いた。(これも後になって知ったことだが、先祖代々台湾で暮らしてきた家系で育った人は自分を中国人だと思っていない人が多い。)

そして台北市の後に台中市の親戚達にも会いに行ったのだが、台中市ではホテルではなく、親戚の家に泊まった。そこで台湾のテレビでニュースを親戚と一緒に見ていた時にニュースで使われていた言葉と親戚達が話している言葉が全く違うことに気がつき、親戚に皆さんが話しているのは台湾語で、テレビに出ている人が話しているのは中国語なんですか?と尋ねたら、初めて台湾に来たのによく気がついたね ! と親戚からすごく褒められた。 多分この二つの出来事が台湾の歴史と台湾語に強い興味を持つ直接のきっかけになっているような気がする。

当時、台湾の親戚の叔父さん、叔母さん達のほとんどの人達が日本人並の日本語が話せたので、僕は台湾の歴史や実情、台湾語を日本語で教わった。前妻の父方も母方も日本植民地時代の台湾では裕福な家系だった(特に母方の家系は戦前の台湾で一、二を争う富豪で、親戚には日本の貴族議員になった人、世界一周旅行をした人がいる)ので、日本語をちゃんと習得している人達が多かった。

当時は日本人に台湾の実情を紹介する本や日本人向けの台湾語の学習書も非常に少なかったので、日本語が流暢な親戚や知人がいたことが多いに助かった。

親戚達は日本に遊びに来た時には台湾の歴史に関する話を僕にいろいろ話してくれるのに、僕が台湾へ会いに行った時には台湾の歴史をあまり語りたがらなかった。きっと戒厳令が解かれて数年しか経っていなかったから、台湾で政治や歴史に関する話をするのは、まだ怖かったのだろう。実は戦後の国民党独裁政権の中で起こった228事件や白色テロの犠牲者が家族(前妻の祖父)や親戚達の中に何人もいる。






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