見出し画像

小夜左文字:怪談と名刀

『怪談と名刀』本堂平四郎,羽沢文庫,1935

最近復刻版が出ました。


おそらく架空の設定ですが一番時代設定が細かくてリアル。

ちょっと概要をまとめます。

名物小夜左文字 八寸八分

・新井源太夫…北条の浪人。26歳。妻・妹と大坂をめざし天正元年10月出発。妻・牧野21歳、妹・重野17歳

・天正2年6月16日 のちに仇を討つ子ども・源太左衛門生まれる。

・天正3年6月2日 牧野「左文字8寸8分の短刀を売る外はなかった」と金谷へ行く。

『天正3年6月2日、気丈の牧野は甲斐〱しくも幼児を負ひ、小夜の中山を越して金谷;の宿に行くべく、朝早く日阪の陀住居を出立した。』

・夜泣き石のそばで浪人に首をはねられる。その後源太左衛門は浪人の妹であった重野に育てられることになる。

・天正13年の春には源太左衛門も12歳

『掛川の城下に其頃名高き研師島田助信なる者の弟子にたのんだ。島田一派の刀鍛冶であったが、今は研師になった。』

この島田助信という砥師(鍛冶師)は実際にいた人物のようで、『日本刀銘鑑』で「駿州島田住助信」という名前を確認することができます。


・天正15年~ 仕事の際には山内対馬守家来、大淀包武に剣道を学ぶ
・天正15年5月7日夕暮れ浪人が現れ、重野らとともに仇討ち。

天正15年というと秀吉が九州征伐や伴天連追放令を発布した年。
山内一豊は天正19年(1591)に掛川に入封するので、『怪談と名刀』の世界観の中では仇討ちしてすぐに献上されたわけではないことがわかる。

『名刀左文字は、掛川の城主山内対馬守(山内一豊)に献じた。対馬守は小夜左文字と号し、後之を太閤に献じたが、今は土井家に伝はったと言ふ。名物帳には細川幽斎が珍蔵したとある。太閤より以後、諸人の手に渡った様であるから、詳細の経歴は計りしれぬ。』

小夜左文字関連の書籍では珍しく一豊が小夜左文字と名付けている。
一豊→秀吉→(幽斎?)→土井家といった所有者の流れも珍しい。


基本的に記事は無料です。おせんべいが好きなのでおせんべい代にします。