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細川家の刀剣:飢饉と小夜左文字との関連性

刀剣乱舞というゲームのなかでの小夜左文字の特徴。
それは「仇討による復讐」「飢饉による売却」のニ点だと思います。

この記事ではそのうち「飢饉による売却」について関連するのではないか?と思われる事柄と資料についてまとめています。

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詳註刀剣名物帳


まず最初に。
『詳註刀剣名物帳』では、小夜左文字が細川を出た経緯が明らかにされていません。小夜左文字について項目がある『怪談と名刀』『刀剣談』などもしかり。
これまで目を通した書籍で飢饉についてふれていたのは『日本刀物語』「寛永の頃飢饉で売られたかもしれない」と個人の憶測としての記述のみでした。
ちなみに『日本刀物語』と著者を同じくする『日本刀大百科事典』でも飢饉のことについて触れていません。
『日本刀物語』の記述が広まり、通説になったのかもしれません。

小夜左文字とおなじく、細川家の刀剣である清水藤四郎は『詳註刀剣名物帳』をはじめ『英雄と日本刀』などで、忠興が飢饉に困窮する民を救済すべく所持している名物を京都にて売却し国の危機を救った、という旨が記載されています。
おなじく「中山肩衝」という茶道具も寛永4年(1627)、土井利勝の仲介を経て売却され、飢饉を救ったとされる逸話が残っています。
このことから、小夜左文字が飢饉によって売却されたか否かは分からないが、飢饉による売却は、細川家を出た経緯としては大いにありうるルートであることがいえると思います。

また、これらの茶道具・刀剣が手放されることになった最大の要因である飢饉が起こった背景を調べてみました。

『日本災変通志』の記述

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