何故、我々は冷笑に逃げるのか?

 SNSや掲示板ではやたら他人を「コイツは○○~」とレッテル貼りする方々がいます。特に自分から積極的に議論に参加したり意見表明するのでもなく、自分と異なる意見や対立の関係にある方々を分析し、総括してドヤ顔する方が少なくありません。

勿論この営み自体には何ら建設的な意義はありませんし、それどころか冷笑は感情的な嫌悪感を(対象に)覚えさせ、ますます意見や立場の違いが悪化していきます。

この「冷笑」によって生み出されるのは、せいぜい元々同じ立場や意見の人間と「うんうん」と頷き合う緩い連帯感と愉悦感ぐらいです。

それなのに何故、我々は「冷笑」という行為をネットでしてしまうのでしょうか?

これはネットが広大であるが故に「即物的価値基準」でのマウンティングを取りにくい側面が大きいのではないか?と推測しています。

恐怖!ネットマウンティング地獄!!

 ネットを利用する方は黎明期こそは「特殊な趣味嗜好の方々」といった印象でしたが、今では老若男女関係なく一般的なインフラとして利用されています。

そのためネットでは「上には上がいる」が明確に可視化されやすく、例えば自分の容姿、収入、学歴、社会的地位などを自慢した方が、すぐに「○○なんてクソ!俺なんか~」と更に上の立場の方から自慢のネタにされる光景がよく見られます。

 従って、今のネットで容姿や収入や学歴や社会的地位など「誰の目にも分かる基準」を持ち出して誇るand/or評価されるのは、ほぼ不可能に近いのです。

それでも人は、ネット上で「自分を語りたい」「評価されたい!」という気持ちを抑えられません。

とにかく相手より優位に立ちたいのです。

そして相手に対する「精神的優位」を安易に得られる手段こそが「冷笑」に他なりません。

他人にレッテル貼りして優位に立つ!

 まず相手に対して「冷笑」を浴びせるには「自分は相手の立ち位置を把握してるが、相手には自分の立ち位置を把握されていない(つまり逆に冷笑されることが無い)」状態を作る事が必要です。

「高みからお前を見下ろしてますよ~w」というポーズを取るためには「俺は俯瞰的に物事を見る賢者」というスタンスを取らなければなりません。

そのために多用される手段がレッテル貼りです。

レッテルを貼り、他人を分析する事によって「俺は俯瞰的に物事を見てるから、お前の立ち位置なんて把握済みだ!」という、いわば「知的nad/or精神的マウンティング」をかける事が出来るのです。

このレッテル貼りの素晴らしい点は肯定されたら「やはり俺の分析は正しかった!」とドヤれますし、否定されたらされたで「図星だから必死に否定するんだな!」とそれはそれでドヤれる点です。

(「陰キャ死ね!」的な怒りの引用RTが20以上来たツィート)

 しかし、これはやってる事は単なる「邪推」であり、邪推により膨らませた空気人形を「都合のいい誰か」に当て嵌めてるという「邪推」を重ねているだけに過ぎません。

批判でも分析でもない一方的な「モラルハラスメント」です。

お前は本当に「俯瞰的に物事を見る賢者」なのか?

 結論から言いますと、この手の「冷笑」を浴びせる方は決して「俯瞰的に物事を見る賢者」ではありません。

単なる「臆病な目立ちたがり屋」です。

安全な立場から相手に対して「レッテル」という石を投げつけ、感情的な反応を引出し、その反応を仲間内で冷笑し合う事で自分の「知的nad/or精神的優位性」を確認して悦に浸る。

 つまりコレ、やってる事は小学生の「アイツ、あんなに顔を真っ赤にしてるw」と全く変わりはないのです。

こんな幼稚な事をして喜ぶ方を「物事を俯瞰的に見ている」とも「賢者」とも表現することは出来ません。

そもそも本当に「俯瞰的に物事を見る賢者」ならば、冷笑せずに建設的な意見を出せるはずですし、そうでなくても自分が熱くなれない物事に対して「俺は全然興味ないけど、皮肉っちゃうよ!全く興味はないけどね!」とアピールする理由はありません。

冷笑の先にあるもの…

 この手の冷笑家は「怒ったら負け」的なルールを持ちだし(怒りを揶揄や嘲笑の対象とする)、あるいは開き直りでもって怒りや批判を封殺しようとしますが、「怒ったら負け」「批判しても無意味」と感じさせようとすることは、逆説的に怯えを露わにしています。

彼等は、他人を揶揄しながらも、それに伴う責任である「怒り」や「批判」と向き合う事が出来ません。

この結果、何が起こるかというと「自分を本当に賢者だと思い込む」悲劇です。

批判が来たら「怒ったら負け」「批判は図星の証」と「自分さえ」思い込んでいれば、どんなに知識不足で適当な事を言っても「主観の上では」知的and/or精神的優位性を保ち続けられます。

しかしながら結局、物事に対して「冷笑」を浴びせる態度を面白がってくれる方は、同じ「臆病な目立ちたがり屋」だけです。

そこにあるのは「再確認」だけであり、何ら建設的な意義も、知的営みも存在しませんし、「臆病な目立ちたがり屋」仲間以外から、相手より知的and/or精神的優位に立ってるとみなされることはありません。

 以上を踏まえて「何故、我々は冷笑に逃げるのか?」という問いの答えは、「臆病な目立ちたがり屋が、安全圏から石を投げ、同じ臆病な目立ちたり屋相手に承認欲求を満たしたいから」という結論します。

P・S

最後に「この記事自体がブーメランになってね?」というツッコミはやめて下さい。 自覚はありますので…。


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