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医者が女優だったら最強だ

2番目の子、ニンタが1歳で発作を起こしたとき、近所の総合病院で、てんかんが見つかった。担当してくれたのは、天海祐希のようなはっきりした目鼻立ちで、柔和な先生だった。仮に、天海先生と呼ばせてもらう。

天海先生は、「うちの病院には専門医が常勤していないから」と転院先を紹介してくれ、「大丈夫ですよ、お母さん心配しないで」となぐさめてくれた。初めて会った先生なのに、まるで長年通院した患者を見送るような、涙をこぼさんばかりの眼差しだった。

ニンタは次の病院で、しばらくてんかんの治療を続けることとなる。

ニンタにてんかん以外の病名がわからないまま何年か過ぎていたとき、1番目の子、いっちゃんの5歳児検診の時期になった。

地域によって違うかもしれないが、乳児・幼児の検診は、①決められた日時に保健所で一斉に行うものと、②自分で近所のクリニックなどを予約して各々で済ませるものと、二種類ある。私の住むところでは、5歳児検診は②。クリニックに予約するパターンだった。

5歳ともなると、自分で「ココが痛い」くらいは言えるし、まあ元気そうだし…というのは親から見てわかる。生まれたてで「うちの子大丈夫ですか?ちゃんと成長してますか?」と不安げに臨んでいた乳児検診とはちょっと気持ちが違うものだ。ハッキリ言うと、この元気な5歳の何を医者に見せるのか?という気持ちさえある。

それなのに私は、わざわざ、天海先生がいた総合病院でいっちゃんの予約をとった。近所のクリニックならすぐ済むものを、なぜそんな面倒なことをしたかと言うと、その総合病院では「5歳児検診のメニューが細かくて、丁寧に診てもらえる」という、謎の噂があったからだ。

結果、内容は普通だったと思う。しかし、私にとって喜ばしかったのは、5歳児検診の担当も、天海先生だったということだ。大きな病院なので、また天海先生にあたるとは思わず、驚いた。もしかして、天海先生の「女優顔負けの優しい対応」が、謎の噂につながったのかもしれない。

さて、発達の心配がないいっちゃんの、何を細かく診て欲しかったのか?恥ずかしながら、私はいっちゃんが賢すぎるのではないかと思っていたのだ。幼稚園のとき、いっちゃんは賢いとよく誉められた。私は、いっちゃんをこのまま普通に育てて、本当に良いものかと心配した。

ずいぶん、めでたい話だ。

天海先生に、「いっちゃんに気になるところはありませんよ。この年齢で学習の程度に差があるのはよくあることですから」とにっこり言われて安心した。拍子抜けもした。先生は、いっちゃんがその場で書いた絵を、「よく描けているね、あなたはとても素敵よ」と、外国映画のように誉めてくれた。

今では、いっちゃんはフツーの小学生になり、漢字や算数の問題をエヘヘと間違えてくる。完全に親の取り越し苦労である。

時は流れ、一方ニンタは。あちこち病院を行脚した結果、病名もわかり、壮絶な食事療法の治療が始まる。そして、ニンタも5歳児検診の季節となった。

私は、また同じ総合病院を予約した。ニンタには発達の遅れもあったし、「グルコーストランスポーター1欠損症」というややこしい病名もある。近所のクリニックに行っても、混乱させるだけではないかと思ったからだった。

そして、私はまた、あの天海先生がいたらいいな、とも思っていた。

ニンタを連れて病院に行き、まず尿検査をする。待合室で呼ばれるのを待っていると、看護士さんがザワザワしているのがわかった。

「すみません、いま、風邪などひかれていませんか?」看護士さんが私のところに来て、事情がわかった。そうか。先に病名を説明しておくべきだった。

「この子には、グルコーストランスポーター1欠損症という病気がありまして、その治療のために、食事療法をしています。ケトン体を作るための糖質制限です」

看護士さんはわかったような、わからないような顔で、はああ、と返事をして戻って行った。大きな病院でも、これだけザワザワするとは、私も予想外だった。

診察室に呼ばれると、願った通り、天海先生が居た。

「私、前に一度ニンタさんにお会いしてるのね。以前のカルテを読んでわかりました。ごめんなさい、私、ニンタさんの病気の知識がありません。詳しく説明していただけますか?」

私は、遺伝子異常により、ニンタの脳には糖質がうまく届かないこと、そのために食事療法をしていること、ケトン体を体内で作ることで、発作が軽減したり、発達の遅れを多少カバーできることなどを説明した。

先生はメモをとりながら私の話を聞き、わからない部分はさらに質問をした。

「よくわかりました。ありがとうございます。では、この尿検査の結果は、ニンタさんがとても頑張っているという証なんですね」

先生が示した用紙には、ケトンの異常値がついていた。私はケトン体が今日もきちんと出ていることに安心し、「家でも簡易的な試験紙で計りますが、病院で計ってもらえると安心しますね!」と笑った。

先生は5歳児検診の「良好・要観察」の欄にはどちらもマルをせず、治療継続中、と書いた。そして「ニンタさん、またお会いできて良かった」。とニンタを軽く抱きしめた。

4年前、この病院で初めてニンタのてんかんがわかったとき、もし、天海先生にグルコーストランスポーター1欠損症の知識があったら、ニンタの人生は変わっていたのだろうか。この病気は早く見つかれば見つかるほど、発達への影響は少なくなる。産まれてからしばらくは、脳が急速に成長する大事な時期だ。この時期を逃したのは正直、とても悔やまれる。4歳で診断がついたニンタは、早かったのか遅かったのか。いや、この病院でなくとも、次の転院先ですぐにわかったら。

それは、考えても意味のないことだ。

ニンタの病気は日本でまだ100人も見つかっていない。お医者さんでもこの病気を知らない人は多い。それはもう仕方のないことだ。

時折、検診などで会うお医者さんの中には、知らないのに知っているふりをする人や、ややこしいことに関わりたくない、と言わんばかりの態度をとる人もいた。

そんな思いをしてきた中で、私は天海先生を責める気にはなれなかった。

医者という立場にある先生が、「わからないので教えてください」と、素人の私に詫びたこと。ニンタや、その前にはいっちゃんにも、とても愛情深い態度で接してくれたこと。それで十分だった。

態度や誠意なんて何の足しにもならない、病気を見つけること、治すことが、医者の仕事だ、と思う人もいるかもしれない。

もちろん、それはそうなのだが。

だからと言って、ニンタの病名を見つけてくれた先生以外は恨んでいます、というのも違うだろう。先生たちは、そのときの状況で、自分の知識で、最善と思うことをやってくれていたと思う。なにより、不安を抱える私の言葉を真剣に聞いてくれた。

もし、今まで出会った先生達の対応が不誠実で、ニンタの診断が遅れたのはこの人達のせいだ!と私が恨んだり、どこかに訴えたりしたら、私はもっともっと救われないと思う。

私は、5歳児検診で天海先生に再会して、謝ってほしかったのではない。ニンタの元気な姿を見せたかったのだ。私は天海先生が好きだったから。

人たらしとか、八方美人とか、あまりほめ言葉ではないけれど、お医者さんはそうあってほしい。何かあったときは、あの先生が頑張ってくれても、こうなったのだから仕方ない、と思わせてほしい。

医療は結果が全てだ、とは私は思わない。医療は万能ではない。全ての人を助けることはできない。だから、私たちが病気を受け入れて前を向くために、せめて、救いの言葉がほしい。お医者さんの言葉には、それだけの力がある。

天海先生みたいに女優じゃなくてもいいから、無骨でもいいから、真剣に向き合っていると、私たちに伝えることをやめないでほしい。患者はお医者さんの言葉だけを頼りに、頑張れたりもする。

ニンタの歴代の先生たちに感謝をこめて、改めてそう思う。先生たち、ニンタというバトンをリレーして、診断までつなげてくれてありがとう。先生たちのリレーを無駄にしないように、私はこれからも頑張りたい。なかなか会うことは叶わないけれど、ニンタは元気でやっていますよ、と、私は先生たちを思い浮かべる。感謝と共に思い出す。

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