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オール1の成績表にある価値

障害のあるニンタは、公立の学校に通っているが、その半分くらいを障害や苦手なことがある子たちの集まる「支援級」で過ごす。今のところ、国語と算数は支援級。それ以外は普通級。その区分はその子その子で違って、普通級でついていけるようだったら、そっちでやりましょう、という感じ。

先日、諸般の事情で延期になっていた支援級の懇談会で、初めて成績表のことを説明された。
「今までは、支援級に在籍している生徒は、成績表の評価は空欄のまま、というルールになっていました。今年度からはこれを選択制にして、希望する生徒には、普通級で授業を受けている科目には、成績をつけることになりましたので、希望するかどうか、お配りした用紙に記入して提出していただけますか」

私は少々面食らった。ニンタに成績をつける、ということなど考えたことがなかったからだ。普通級で一緒に受けている体育や音楽など、おそらく、全て最底辺の評価がつくだけだろう。それをもらって、ニンタは嬉しいのだろうか。いや、そもそも成績表の意味をニンタがわかるかどうか。

「何か質問のある方はいらっしゃいますか」
私は手をあげた。
「それぞれのご家庭で考え方は違うと思うのですが、先生の考える、成績をつけるメリット、デメリットはなんですか?」
「メリットは、自分の頑張りを見てもらえている、という張り合いだと思います。デメリットは…いや、すみません、考えたことがなかったです、僕はあんまりないんじゃないかな、と思うのですが」。

先生はにこやかに答えた。そうなんだ。デメリットはそんなにないんだ。体育や音楽は最低ランクの評価で、国語と算数は空欄の成績表、私だったら欲しいかなあ。でも、全部空欄なのも寂しいのかなあ。先生の言葉を聞いても、私はまだ決めかねていた。

そのあと、支援級の中でも上級生のお母さんが、自己紹介のときに成績表の話に触れた。
「昨年まで、成績がつかないということはルールで仕方ないと思っていたのですが、今年度から成績がつくということで、嬉しく思います」

私はびっくりした。嬉しい、とこんなに瞬時に思う人がいるんだ。

が、そうだ、支援級にはいろんな生徒がいる。ニンタのように運動も苦手、知的にも遅れがある、という子ばかりではない。得意な科目があって、普通級でもひけをとらないということだってあるだろう。それなのに、成績表が空欄、というのは自分の努力が宙に消えたような感覚があるのではないだろうか。

それを思うと、今まで支援級に在籍すると成績がすべて空欄、ということの方が異常に思えてきた。そうだそうだ。おかしいんだ。ニンタがまだいろんな面でかなり幼く、成績表なんてあってもなくてもいいと思ったけれど、ニンタだって数年後には成績表の意味するところをわかってくるだろう。

最底辺の成績でも、それはニンタが毎日頑張った証なのだから、堂々と受け取ってくればいいんだ。

どういう経緯か知らないけれど、学校が「成績表をつけるべき」という結論に至ったことは、英断なのだと、私は遅ればせながら理解した。

ニンタはフツーの人生を送ることは難しいし、フツー基準の評価などいらないと思っていた。しかし、物事はそんなに単純じゃないんだな、私はまだまだ知らないことが多いんだ、と改めて思った。

それにしたって、この学校にはいったい何があったのだろう。今年度から、支援級の先生が一新されて、散らかり放題だった教室がピカピカに片付けられ、成績表までつけると言う。支援級の上級生からも、「去年までは学校はなんとか行けば良い、と我慢の日々だったのに、今年からは学校がある日の方が安心だ」という声まであった。

ニンタの給食の問題で、ルールを変えることの困難さに直面した私からすると、狐につままれたような気持ちになる。できるんじゃん、やればできるんじゃんよー。

良いも悪いも、力のある人の意志次第で、大改革のあった年に入学できたニンタはただのラッキー。それまで大変な思いをしてきた人の話も聞いているし、なんだか手放しでは喜べない。

といって、裏の事情など保護者に話してもらえるわけもないし、どうしてこうなったのかは謎のまま。改善されたことは「よくわかんないけど良かったね!」ということになり、こちらの申し出が通らないときは「よくわかんないけど、仕方ない!」と泣くしかない。

巨悪に立ち向かっているわけではない、学校は敵ではない、ということはわかっているのだけど、教育委員会を含めた組織があまりにも巨大過ぎるし、先生も保護者にありのままを話すわけにいかない、という事情をわかった上でこちらも話をしていて、とにかく、お付き合いするだけで疲れてしまう。

でも、学校は親のためにあるわけじゃない。子のためにある。

親が疲れようがどうしようが、こどもが楽しく通えていれば、それでいい。それに、たまに会う保護者とは違い、長時間一緒にいる先生と生徒では血の通った関係があるに違いない。

私は「成績表の評価を希望する」にマルをして提出した。よくわかんないけど、頑張ってくれた人、ありがとう。学校の裏の景色は私には一生見えないけれど、生徒のためを思って仕事をしている人が、大勢いるのだろう。

応援する相手が誰なのかわからない、という歯がゆさを残しつつ。
頑張れ、ありがと、どこかの誰か。
ニンタに成績表をくれて、ありがとう。

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