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おまけ 「読書」について

「他者」のおまけ、読書について

この投稿の番外編である。もちろんこの記事単体でも完結するように書いたつもりではあるので、そうお気になさらず。
元はと言えば自分のために書いた文章である。さして面白いものでもないかもしれないが。

早速だが、一つ問いたい。

あなたはなぜ、本を読むのだろうか。

「『他者』について」で引用したツイートの中に、こんな文言がある。

本を読むとは他人(登場人物)のことを考える行為だ。
(中略)
本には他人がいる。

これはまさに、わたしが読書をする主な理由である。
読書とは、テキストを通して他者に出会い、視野を広げ、知見を深める体験だ。

もちろん、単に知識を仕入れるために本を読むことだってある。褒められたものではないが、レポートに都合の良い引用をつけたいがために、関連書籍を漁ることもしばしばである。

しかしそれ以上に、本を通して著者や登場人物と対話することは、エキサイティングなものだ。

こんな経験をしたことはないだろうか。
気の合う友人と食事に出かけ、関心事についてどっぷりと話し込む。酒も回って終電間際、白熱した議論の中になにか新しい発見を見出す。「あ、この人はこんな風に考えているのか」そう気が付いたときに、「わたしはこの人とは違う考え方をしているな」と思い至る。
誰にだって一度や二度は心当たりがあるはずだ。
わたしはこの瞬間が好きだ。このために友人と酒を酌み交わすといっても過言ではない。以下、「居酒屋談義・ハイ」とでも呼ぼう。

ただ悲しいかな、こんなご縁に恵まれることはそうそうあるものではない。なかなかここまで深い仲に踏み込むのは有難いものだ。
もし「そんなことないヤァ」と感じたのであれば、是非その仕方を教えてほしい。

話を戻そう。

この「居酒屋談義・ハイ」をいつでもどこでも、それも自分のペースで味わう最適の方法こそが、読書だ。

小説であろうとマンガであろうと学術書であろうとそれは変わらない。「こんなことを描こうとしている人がいるんだ」「こんな風にものを考える人がいるんだ」という素朴な驚きを積み重ねることで、次第に自分の考え方もアップデートされていく。

一篇の小説を読み終えることで、はじめて目に見えるようになる風がある。一本の論文を理解することで、日常の「風景」が一つの意味を持って浮かび上がる。小さな変化が連なって、世界をあざやかに彩っていく。

だからわたしは、今日もページを繰る。

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