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はじめましてのご挨拶、長すぎるプロフ(3)
注)タイトル上部の画像は私の当時の写真が全く無いため、幼い頃のアメリカでの写真を載せております。
お店を閉めたあと、暫くの間は実家に暮らしながら仕事もせずにフラフラとしていたのですが、前職のカラオケBOX付きカフェバーの常連さんから、コンサートやイベントの仕事をしないかという話が来ます。お断りする理由はどこにもなかったので2つ返事で仕事を受けることにしたのです。
芸能界の仕事
仕事は完全にフリーランスの状態でした。週に4日ある時もあれば、1日の時もあります。仕事を紹介して頂いた方は、その時、主に日本のシャンソン業界におり、コンサートの仕事は主にシャンソンで単独のリサイタルから、色々な歌手の方が出演する大小イベントのような企画と様々でした。
その他にも、企業の展示会、エレクトーンの発表会、はたまたジャニーズの運動会のような大きなイベントもありました。
それでも安定して暮らしいけるほど仕事の量はなく、ある時と無い時の差が大きく、とくにイベントが多い春夏秋と、少ない冬とのギャップはすごいものがありました。これでは生きて行けないと考え、苦肉の策で友人の紹介により、キャバクラ嬢を深夜に自分の車で家まで送り届ける「送り」という運転手をして凌いだりもしていました。懐かしい。
シャンソンについて
フランス語で「シャンソン」とは「歌」という意味です。日本の「シャンソン」は日本の聴き手に対して発展し、リスペクトもありながら日本語詞をのせたフランスの懐メロ的な曲を指しています。少なくとも私が携わっていた時は…。
本場フランスの有名な歌手ではエディット・ピアフ、ジュリエット・グレコ、シャルル・アズナヴールなどは1度は名前を聞いたことがあるでしょう。
特にエディット・ピアフの「愛の讃歌」は有名ですね。それらに憧れて戦後、ラジオ放送の普及や、銀座の「銀巴里」というライブハウスなどで様々な曲が日本語の詩で歌われました。ちなみに「銀巴里」では先日お亡くなりになった、若かりし日の教授こと、坂本龍一氏もピアノ伴奏のアルバイトをしていたと聞いたことがあります。
仕事によって大好きになった日本のシャンソンについては別の機会に詳しく書きたいと思います。
(4)につづく。
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