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【大河予想】『鎌倉殿の十三人』は成功するのか(武者)

 『麒麟がくる』が、いつまで放送されるのかすらわからない。

 『青天を衝け』のロケも始まったばかりだ(あれは失敗します。今からでも遅くないから、制作中止すればいいのに。吉沢亮さんらは別のドラマにでも)。

 じゃあ『鎌倉殿の十三人』は?

 現時点でそんなことを考えることそのものが、ナンセンスに聞こえることはわかっております(実は初稿を書いたのは2020年春)。

 しかし、私は敢えて言いたい。

「これは外しません。傑作です」

 それではその理由を記しましょう。

背水の陣

 いわば「背水の陣」。
 放映時期的に、徳川家康も出てきていておかしくない『MAGI』の新シーズン、Netflixの伊達政宗ドラマと重なる可能性はある。(シーズン1で打ち切りでなければ、と今は加筆します)

 そして2021年『青天を衝け』は、2010年代の無様な残滓、2019年の再来となります。明治礼賛キャンペーンなんて、もういいでしょう。いつまで薩長閥大河作っているんですか?

 ここで存在感を見せねば、大河ひいては日本の時代劇そのものが滅亡に向かいかねない。そういう局面なのです。

 例年よりも早い制作発表から、そういう気合いが既に感じられるのです。

名将の布陣

 私は、脚本家決定の時点で傑作になるとは言わない。

 ひねくれた言い方をしますが、三谷氏本人の意向だけが全て反映されると、私は信じてはおりません。(と、思っていたら『麒麟がくる』からチーム体制が明かされるようになって、嬉しい限り!)

 それを踏まえて、これは外さない布陣だとは思います。ブランドネームとして流布されている彼の作風を考えると、これは絶対に外せない鉄壁の構えを感じるのです。

・三作目である
・『新選組!』、『真田丸』の評価も高い
・そしてこれが大事! 斬新で型破りでも、彼の作風であるとして受け入れられ易い

「まぁ、三谷さんだからな……」

 そう視聴者が補正をかける。これが今までは「悪ふざけしやがって」とマイナスに受け止められがちではありました。

 『新選組!』でも顕著。かつ、『真田丸』のきりバッシングも酷かったものです。けれども、実は三谷氏はふざけているわけではない。ユーモアセンスがありますが、史実で裏打ちをするから固い。三谷氏の脚本へ迂闊に突っ込むと火傷をするので、私はなるべく避けたい。

 三谷氏は、極めて良心的なのです。彼はふざけていると即座にわかる。なまじ真面目に描いてしまうと、区別がつかないので厄介なのです。

 昭和の人気歴史作家ならば、司馬遼太郎と山田風太郎の違いです。『魔界転生』なんて絶対に無理だから、誰も史実だとは思わないから、ある意味、ああいう伝奇作品は良心的なのです。このあたり、「メッケルと関ヶ原」で検索でもかけてくださいね。

◆三谷氏にある伝奇センスこそ、ワールドスタンダートになりつつある
 大河ブランドの総大将として、三谷氏以上の人材は、そういう点ではいない。
それに、彼のセンスは海外VOD黒船にも対抗できると思います。

 彼のセンスが一番発揮されていると私が思うのは、『真田丸』の最終回、最終の場面です。

 真田氏の上田藩から、吉田松陰の師匠である佐久間象山が輩出される。
つまり、真田氏は幕末維新において討幕の鏑矢を放ち、徳川への復讐を果たしたのではないかーーこう誘導したわけです。

 これはかなり無理がある話ではあります。吉田松陰が討幕思想を持っていたかどうかまで、検討の必要がある。研究者がこんなものを書いたら、絶対に通らないことなのです。

 しかし、フィクションではこういうことをしてもよいのです。

 むしろ、歴史フィクションはこういう飛躍をしてこそ、伝奇的な旨味が出てくるもの。

 嘘をつくにせよ、この場合は幕末まで調べるわけですから、無駄な手間ひまがかかります。

 歴史が好きで、ともかく眺めている。そういうセンスがないとできない。
そして今、世界規模で見ると求められているのは、まさしくこういう伝奇センスなのです。
今、海外で人気の歴史伝奇作家に、セス・グレアム=スミスがおります。

「リンカーン大統領が奴隷制に反対したのは、吸血鬼を憎んでいたからだ!」

 『ヴァンパイアハンター・リンカーン』(映画版は『リンカーン/秘密の書』)の設定です。バカじゃないのか、冗談も大概にしろ。そう言いたくなりますよね。

 でも、実はこういうことも歴史知識がないとできない。奴隷制度ゆえに、アメリカ南部は吸血鬼が栄養補給がしやすく、はびこりやすかった。こういう設定はアメリカでは定番であり、多くの作家が取り入れております。

 こうした作品を手に取る読者なり視聴者は、歴史なんて深く考えていないことはありえる。

 なんかおもしろそう。そういうゆるい動機で鑑賞して、人命軽視要素を吸収するわけです。

 お堅く教養を身につける。そういう真面目な導線ではなく、ゆる〜く誘っておいて、ものすごい問題提起をするからこそ、海外でもこういう伝奇ものが話題になるわけです。

 日本の大河は日本人だけのもの? そういう思い込みは通用しません。

 海外の人も見て「うーん、サムライの起源、おもしろいけどなんかヤバイな!」と思うところまで持っていってこそ、2020年代の大河になりえる。だからこその三谷氏である。そう思えるのです。

◆ありのままの鎌倉武士を描く、そんなリベンジを感じる

 この作品は、時代背景からみても『平清盛』のリベンジであると思える。あのドラマはわけのわからないバッシングがつきまといました。

「武士はあんなに不潔じゃない!」

 うーん、それは『タイムスクープハンター』をみてからも言えるの? あんなに昔だよ、シャンプーできないよ? そう突っ込みたかったけれども、わからなくもない。やりすぎでした。

 人と会う時でも不自然なまでに汚しを取り入れる描写がありましたね。いくら武士でも、人に会う前は洗顔くらいするだろう。ちょっとリアリティ不足かな? そういう不満はありました。

 ただ、ドラマの世界は後戻りができないくらい進歩しています。

 わかりやすい汚しでなくて、役者のシャンプー洗髪禁止とか。そういうレベルアップした汚しはできると思いたい。

 武士ファッションチェックは些細な話です。もっともっと、リアリズムに満ちた鎌倉武士の再現に期待をしたいところです。
 狂っているのは番組スタッフか、それとも鎌倉武士なのか……そう言いたくなる、殺伐とした世界観ですね。

 鎌倉周辺の史跡観光をしていると、困惑します。

「理由はわからないし、人数も不明ですが、ともかく鎌倉武士が切腹しました」

 要約すると、こういう案内版を教育委員会が立てている。

 会津の飯盛山の白虎隊は、理解がおよぶ。あれは現在の高校生くらいで若いし、台風襲来や空腹もあったし。切なくなるのですが。そもそも切腹していない隊士も含まれているとされますし。

 どうにも、結構いい年こいた大人までも、何かを訴えたくて集団切腹したらしい。そういう趣旨のことが書かれている。

 もやもやしながら、鎌倉武士団はキレやすかったのかな? そう思うわけじゃないですか。

 その認識で当たらずとも遠からずなのかな? そう思えてきます。

◆歴史観そのものと戦う前に、荒ぶる鎌倉武士を考えてゆこう

 後北条氏ではないということで、早速神奈川県関係者ががっかりしているという反応もありました。

 それはあまりに東国武士への愛が足りない! 血生臭かったり、心霊スポットにもなっている、そんな東国武士観光が期待できるのですから、神奈川県民はむしろ喜ぶしかないことだと思います。

 それに、この作品は従来の日本人が考えている、そういう歴史観を変えるものになるかもしれない。

 鎌倉武士はこういうノリがあった。
「キレたからってやたらと人を殺すのはよくないんだよ!」
「すげえ、流石兄貴、インテリは違うなあ!」

 いや、殺人がいけないというのは人として基本的なことではなかろうか?

 そう突っ込んでしまいますよね。彼らと比較すると、連歌や茶道を愛した戦国武士はジェントルマンに思える。鎌倉武士は、歌を詠む平家をチャラけたリア充だとバカにしていたじゃないですか。

 鎌倉武士からみたら、戦国武士なんて「ナメてんのかぬるい奴らだな!」でキレられかねない。

 三谷氏といえば、真田昌幸の祝言謀殺は酷かった。けれども、本作の後ではこうなる可能性はある。

「関係者数名の殺害でとどめる。真田昌幸ってインテリで紳士だな……」 

 鎌倉武士はヒャッハーだった。はいはい、リアル『北斗の拳』だね。

 それで終わらせたくなりますし、日本という国は古来から潔癖で人道的だと信じたい層からは、反発があるとは思う。

 けれどもあえて、当時のリアルに挑まなければならない。

 ナゼって? 歴史観の転換は急務。もう、これ以上待てないくらい切迫していうと思うのです。

◆人類は道徳的に進化しているのだろうか?

 鎌倉武士は一体何だろう? 私もそう思っていて、ふとあることに気がついたのです。

「時代的に近い、十字軍も酷いな。リチャード1世はクズだし、ベケット殺しはあまりにゲスい……」

 偶然ってあるね。それで終わらせたかったけれども、それだけでは済まされない共通点を感じました。

・鎌倉武士もイギリスの騎士も、文章力が低く教養があまり感じられないという
・後世の人々が逃避したくなるほど、野蛮な言動が記録されている
・「こんなのが武士だなんてやめて!」「こんなのが騎士だなんて認めない!」

 そういう困惑がある。国だけでは区切ることのできない、そんな進化ってあるはずだ! 同時代、際立って鎌倉武士だけがおかしかったわけではないのです。

  この日本発のドラマを見て、海外の誰かが、
「同時代のうちの国ではどうだったっけ?」
「違うとすればナゼだろう?」
「現代人との違いはどうして生じたのか?」

 というところまで到達させる。そこまでやらなければ、大河に未来はありません。既に『MAGI』では、東洋と西洋が共通する支配欲を持つ構図が描かれています。

 日本の、日本人による、日本人のためのものではない。
 黒船に対抗するためには、開国をする。
 そういう境地、全く新しいドラマ作りに挑むのであれば?
 もう、鎌倉武士まで遡らないといけないのでは?

 我ながら、話をすっ飛ばしすぎているとは思う。悪癖だよ!

 けれども、冒頭に書いたように、大河ドラマは従来のやり方をしていたら未来がありません。 

 そもそも大河ドラマとは、映画のようなクオリティで、斬新な時代劇を作るという志のもとで作られ始めたもの。

 その題材も、明治以来の価値観に疑問符をつける、井伊直弼でした。視聴者の意見は大事。けれども、革新と勇気はもっと大事なはずなのです。

 流されず、ぶれずに、確かなものを作らねばならない。ぼやいていたら、VODに敗北し枠の歴史ごと終わる。

 ならば刷新あるのみ。

 そういう意気込みを感じる。いや、感じられると信じたい。それが2020年代の大河なのです。

◆おすすめ文献 

細川重男『頼朝の武士団』
桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす ──混血する古代、創発される中世』
高野秀行・清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』

 「鎌倉武士すごーい、やばーい、半端なーい」
で終わらずに、人類の歴史そのものがすごーい、やばーい。そこまで頭を柔らかくというか、すっとばしてハイテンションになってみると、より楽しめるのではないかと思うのです。

 だからこその三谷氏だ。小栗旬さんだ。気合十分だと思える。題材もいい。視聴率まではわからないけれど、作品としては成功する!

 そう今のうちに、書いておきます。

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