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土曜ドラマ『わげもん〜長崎通訳異聞〜』第一回「父を探して」

 黒船来航前夜、嘉永2年(1849年)。伊嶋壮太は、オランダ通辞であった父を探しに長崎にやって来る。そこにあった出会いは?

幕末前夜長崎と今の日本って実は重なるのでは?

 すごい時代劇がきた。
 『花燃ゆ』という貧乏くじを引いてしまったかのような宮村優子さんですが、ちゃんと彼女は勉強していたんだとしみじみとわかります。放映時は何の躊躇いもなくぶっ叩いたあのドラマではありますが、誠実だったんですよね。誠実であるがゆえに、松下村塾がテロサー(テロリストサークル)にちゃんと見えてしまった。彼女の降板は数字云々以前に、譲れないプライドゆえじゃないかと思うわけでして。きっと何か書き直しを迫られたんじゃないかなと。

 本作はそんな『花燃ゆ』でも垣間見えた誠意が素晴らしい形で輝いています。本作で描かれる長崎は国際色が豊かです。トリという女性は唐人と遊女の間にできた子で、そんな自分は長崎だからいられるというセリフがあります。そんな存在のことを恥ずかしながら想像したこともなかった。いなかったわけがないけれど、そういう存在がどうして生きているか考えもしなかった。
 このドラマを見ながら、いたはずなのに見えないことにされる人々のことを考えてしまう。確かに時代ものでもルーツが混在する人物がいなかったわけではない。でも眠狂四郎みたいな特異な存在にされたりとか。そういう扱いで、地に足のついたルーツ設定ではなかったんじゃないかと思わされたのです。

 公式サイトを見ると、またまた考え込んでしまう。時代ものに、こんなに色々なルーツの役者さんが揃っている。そういうことも本来できたはずなんだ。きっと気づかなかっただけなんだ。日本の姿を日本人自身が一番知らなかったんじゃない? そんなことを思い出してしまう。以前読んだBBC出版の本で、葛飾北斎の浮世絵が紹介されていました。傑作であるとか、これぞ日本人の感性云々とか。そういうことに主眼は置かれていない。ベロ藍、つまりはペルシアンブルーを使ってあること。日本はそうして実際には世界とつながっていたと説明される。鎖国だなんだのいうけど、本当にそうだったのか? そう突きつけられたようでスカッとしました。そのことを思い出す。長崎というのは、北斎の絵におけるベロ藍みたいなもので、日本はもっと開かれていたと突きつけてくる。
 そんな導入の初回からして見事でした。

情報量が多いけれど整理されていて、役者の魅力も出ている

 オアフ島出身のカイ。カイを取り巻くアメリカの人種差別や意識。
 じゃあ日本にないかというとそんなこともなく。実力者の森山が発言できない構造。
 そういう舞台背景を見せつつ、メインとなる壮多の父探しも小出しに見せてくる。おまけに解決したかのように見えたカイのことも次回以降に引っ張られるようで……。

 舞台設定のみならず、プロットの組み立ても見事。そして演じる役者の個性を引き出す設定もよい。永瀬廉さんの持つ誠意という持ち味を引き出す脚本と演出が素晴らしい。永瀬さんを大河主演にするつもりかという記事も見かけました。和装所作もできるし、髷も似合うし、それもありかと思えます。主演はせずとも、ここ数年以内には大役を得るのでは? NHKが大事に育てるつもりだということはわかります。

 ものすごく面白いし、現代社会の抱える問題も見えてきそうで素晴らしい。こういうドラマが見たかったと思えます。私たちだって一世紀後、こんなこと言われているんじゃないですか?
「令和の日本人って、単一民族だのなんだの言っていたけれど、移民大国でさ。そういう国だから多様なルーツを持つ人が苦労していたんだよ」
 本音と建前の使い分けが滑稽ってことですね。

 朝ドラもこうなって欲しいんですよ。おかしいもん。海外のルーツを持つ人は日本にずっといたのに、それを消してきた。本来、『パチンコ』のような作品こそ、朝ドラ枠で取り扱うべきだと私は主張していきますからね。

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