『ゴールデンカムイ』の尾形はなぜああなったのか? 考えてみた
『ゴールデンカムイ』の作者は歴史修正主義者なのか? そういったモヤモヤ感が募っているかと思います。その補足をまだまだやります。
野田先生は「完璧ではない」と認めている。これはあえてアイヌ抜きで考察しますが、実は伏線がちゃんと回収されていない人物が複数名います。和人からあげますと、尾形と鯉登です。
イギリスのフィクションでインドの扱いをどうするのか?
『ゴールデンカムイ』の終わり方には納得いかない! それはわかる。では他国の似たような事例はどうしているのか? イギリスで考えてみましょう。
たとえばシャーロック・ホームズシリーズ。現代に舞台を置き換えた作品が増えています。なぜか? 面白いし普遍的ということもあるのでしょうが、インドはじめ植民地支配回避として機能しているということもあると思えるんですね。原作をそのまま再現すると、人種差別がどうしたって入りますから。
イギリスではナポレオニック(ナポレオン戦争)もののフィクションは人気です。これはイギリス側から描いても正義となるということはあると思います。インドに攻め込んで暴れるような話は、そりゃ問題あるし、需要もないだろうし。
チャーチルものでも、対ヒトラーに焦点を絞っています。チャーチルの対インド観なんて、今どき映像にしちゃいけないものですから。戦争後は選挙で負けますし。人格的にも問題が色々あるし。
そういう回避から、近代史ものの手法でも学びましょう。
尾形ファンに勧めたい、それがシャープだ!
尾形ファンの皆様、まだ胸が痛みますか? 実は尾形に似た設定の軍人で、ハッピーエンドを迎える人気キャラクターがいます。
リチャード・シャープです。
イギリスの作家バーナード・コーンウェルのベストセラーであるシャープシリーズの主役です。コーンウェルは文体が簡潔で読みやすく、ハリー・ポッター以前はイギリスの中学生読書定番でもありました。日本の作家では古いけれども、吉川英治あたりに近い作風ですかね。
このシャープは、娼婦の子として生まれ無学ながらも、兵卒から将校になります。当時のイギリス陸軍では貴族しかなれない将校になったのだから大出世です。尾形がもしも将校になれたら……そう想像するのもありかも。
しかもシャープは、世界史上初の狙撃兵部隊・95連隊所属です!
私生児出身で平民から将校になるシャープは、尾形が夢を叶えたような人物なのですね。尾形は勉強熱心で狙撃手の歴史は知っているから、95連隊も知っていることでしょう。
「ああ、知ってるぜ。フランス軍の将校を狙い撃ちにして、ナポレオンに泡を吹かせた連中さ」
こんなかんじで。
シャープはドラマ化された際、負傷降板した俳優に代わり、ショーン・ビーンが代役起用されました。これが彼の当たり役となり、「全イギリスの恋人」とまで絶賛されたのですね。ドラマは日本語版もあります。
原作も日本語版はあります。古い本ですが、古本屋や図書館にはあるかもしれません。
どうです? イケメンセクシー狙撃兵で、兵卒から将校にまでなって、恋人とフランスに引退して、子孫がアメリカに渡り南北戦争に従軍する。そんなシャープは! まるで尾形が夢を叶えたみたいだ!
シャープはドラマもあり、大人気となりました。当初は半島戦争(ナポレオン戦争のイベリア半島での戦い)からスタートしたシリーズですが、前日譚が追加されます。これがインドでのお話です。
どうすんのよ。インドを植民地にする戦争じゃないか!
ここで、解決法はありました。
ラスボスを極悪非道、下劣なイギリス人にする。で、シャープがそいつを倒そうとする。そう因縁を作ります。極悪非道なので、インド人女性を性的暴行するわ。インド人を虐待虐殺するわ。戦友殺しはするわ。そういう下劣なイギリス人を別のイギリス人が倒すことで、バランスをとっています。
なんか既視感がないですか?
尾形と鯉登の対比
これって『ゴールデンカムイ』が半端になった、できなかったことだと思います。
鶴見なり、尾形なり、悪役側の和人を徹頭徹尾下劣にすること。そんな悪役を杉元や谷垣、鯉登と月島のような、まだしもマシな和人が打倒すること。
説得力を持たせるために、鶴見や尾形が積極的にアイヌを迫害するとか。彼らが勝利すれば現実以上に悲惨な未来がアイヌにあると示すとか。そこまですれば、もうちょっとスッキリした気がします。それでも苦しいと言えばそうなんだけども。
しかし、なまじ鶴見と尾形の悪役に魅力があり、ファンもつき、情けもうつったから、半端になった感はあります。
特に尾形の場合、鯉登と対比的にされていました。
非嫡出子の尾形。嫡子の鯉登。
弟を失う尾形。兄を失う鯉登。
名前も百之助と音之進。士族出身とわかります。
維新に埋没した水戸藩ルーツ。維新の勝ち組薩摩藩ルーツ。
そしてどちらも第七師団長の座を争う。
こうなると、尾形と鯉登をもっと対立させ、かつ、鯉登勝利でよかったと思わせることが必要だったと思えるのです。鯉登が第七師団を率いても歴史は変わらないけど、それでも尾形勝利よりはマシだった。そう思えるようにしたら、もうちょっとスッキリしたかも。
ついでにいえば、鯉登は樺太のエノノカと絆がありますよね。エノノカとチカパシは、第二次世界大戦後、樺太から北海道へ移住するしかありません。そんな彼らを鯉登が救うようにすれば、もっとスッキリしたと思えるのですが。
それが尾形は杉元やヴァシリとの方が対峙として強く、鯉登は土方と対決するようになって、曖昧になってしまった感はあるのです。
伏線未回収ではないけれど、ちょっととっちらかったなと。
私の文章も大概とっちらかっていますけれども、どうにも尺が十分に取れなかった感はあるのです。作者の意識とか、それ以前に、スケジュール管理に問題があったんじゃないかなと。
尾形はなぜ死なねばならなかったか?
野田先生は映画や小説が好きだというのは感じていまして。シャープシリーズを知っているかどうかまではわかりませんが、狙撃兵の歴史を調べていて95連隊を無視したとはちょっと思えないのです。
そして軍隊もののセオリーも、『ゴールデンカムイ』には反映されていると思えます。鯉登は軍隊ものの「少尉あるある」が結構反映された人物像です。
尾形にもそれがあると思えます。
尾形はなぜ、死んだのか?
生まれのせいではありません。
戦友殺しです。月島が激怒していましたが、軍隊もので戦友殺しをした人物は、死ぬことがお約束なのです。最も重い罪ということなのでしょう。
個人的には、尾形の死は仕方ないと思う。
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