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【書評】山田風太郎/勝田文『風太郎不戦日記』2

 昭和20年5月――東京大空襲後、医学生・山田誠也の日々は? 人生を変える出来事がこれから起きてゆきます。巻末の協力にある「山田啓子」の名前をご確認ください。

学校一の幸福者――この世代の絆

 この回は、当時の青年が抱いている性的な欲求や関心、それに山田自身のトーサク気味のそれがチラッと出てきます。細菌学で淋菌だの、交接だの、単語だけでニヤニヤし、笑い出す医学生たち。しょうもねえな、もう! ここで性病を天罰と表現し、その標本を見るわけです。
 当時らしいなぁ。昔は性病罹患蝋人形なんでものが啓発として使われていたそうで。これを見ながら、蝋で絶世の美女を作り出す妄想に耽る山田。忍法帖はじめ、エロチックな倒錯趣味は医学生時代に標本を見て練られていったのでしょうね。

 山風をエロいとみるか、なんか薄ら気持ち悪いとみるか、なんかようわからんとみるか。これは個人差が大きいものでして。私はみょうに解剖学的で、なんだか距離感があって、独特のものがあると思います。凝り性だから、ともかくいろいろ調べていますし。

 そしてこの回は、同級生の柳が「君は学校一の幸福者だ」と指摘するのです。なんでも読書家だからだとか。確かに山風、どんだけこの状況で読書したのかと思うほど読んでいますからね。そんなことを柳に言われて、皮肉ぽく返す山風。それにしても、作画がやっぱりいい。山風本人の若い頃に似ていて、皮肉屋っぽくて、それでいて若さと魅力がある。実写化するなら柳楽優弥さんだな! 本気で実写化して欲しい。山風日記に動きがつくだけで、こんなにいきいきと若さあふれるとは! すごい世界が展開されています。

 そしてこの、山風と柳のやりとりには、どこか甘ったるい何かもあると言いますか。この回は、若者同士の関係性がクローズアップされています。柳の熱気、それを受け流す山風のけだるさ。手紙をやりとりしたりして、山風が幻滅するなら勝手にどうぞと突き放すあたりが、実におもしろい。味わいがある。ずっとずっと、柳の言う幸福者という言葉を考えてしまうあたり、若さがまぶしいほど。

 その青春も空襲と隣り合わせで、ついに山風も順番が巡ってきます。そこでB29を赤い巨大な鰹節とたとえるあたり、柳青年の気持ちはわかります。
 山田青年は、特別な目と頭脳と知識を持っている。文才も。こんなふうに青春を残せる者はそうそういないのだから。

 そしてこの回に漂う、山風と柳の間にある絆が……。
 昔、山風と高木彬光の『風さん、高木さんの痛快ヨーロッパ紀行』を読んだ時のことを思い出しました。大正生まれって、いわゆるBLぽい気風が濃いんですよ。そういう男性同士の絆を共同生活に生かす試みはあったわけですし。機械的同性愛に陥りやすかったし。彼らの上の世代は男色を賛美していたし。
 なんでこういうことを言うかといいますと、山風世代の歴史時代作家は、男色描写が艶っぽい。うまい。山風も美少年をしょっちゅう出していますが、その描き方が細やかで美しいのです。
 男色も性愛のバリエーションとしてあったことを踏まえた描き方を、山風はきっちりしています。けれども、女色ばかりが取り上げられがちなんですね。一例として、『柳生忍法帖』の漫画化『Y十M』です。あの作品そのものは傑作ですが、実は際立った変更もあります。
 原作では、加藤明成の「雪地獄」には美少年も拉致されて閉じ込められていました。男女が抱き合った形で凍死させられていました。けれども漫画では、女性のみになっているのです。
 男性読者にとって、男性が同性から性的搾取される様子は、耐え難いのかもしれないと推察します。実は現代の男性って、そういう目線からそっと守られているとも思えるのです。『Free!』や『anan』sex特集の表紙がいろいろ言われておりますけれども、あれよりも過激なモノも世の中にはあったわけでして。そういうことを踏まえた議論ってあってもいいと思うんですけどね。

目黒焼ける――隣家のジャンヌ・ダルク

 5月末、ついに山風の下宿である高須さんの家にも焼夷弾が降り注ぎました。用水桶に飛び込み、焼夷弾の中を逃げ惑う山風たち。いざとなったら河に飛び込めばいいと思いつつ、一時間あたり周囲が燃えるのを見ていたとのこと。
 でも、これ、流しそうになるけれども。あっさりしているけれども、どんだけ壮絶なことだろう……。
 なんとかやり過ごし戻ると、下宿はほぼ焼け落ちておりました。ここでうつむく山風の顔よ。
 高須家の防空壕が埋まっています。節ちゃんという隣家の少女が埋めたと判明します。これに高須さんが怒るのなんの。元に戻すのが遅いとなると、また怒る。
 この節ちゃんという子は、美少女ではないと思われます。他の少女と比較するとわかる。平凡で、山風も特に強調しない程度なのでしょう。

 このあと、その節ちゃんの見せ場があります。ついに、山風も空襲に遭遇! バケツで火を消すために奮闘します。負けるな! 火に負けるな! 悲壮な英雄の気分になっていると、節ちゃんが消化を手伝う。その瞬間の顔が、ジャンヌ・ダルクのように山風には見えたのでした。
 山風の美形描写って、パーツ単位での具体性が実はそこまでない。その姿を見た瞬間、魂まで助けて見えて、鷲掴みにされるような。そういう書き方です。彼の目には、世界がそう見えたのかもしれない。悲壮な覚悟で消化する中で、隣の家の少女がジャンヌ・ダルクに見えてしまうのだから。
 彼の目からみた空襲の夜。幻想的で美しい表現を用いながら、絵にしてゆく。疲れ切った山風は、大邸宅炎上を見たいというよりもともかく眠いと思う。そして冷静に、こんな火の中じゃ強盗も強姦もできると分析してしまう。この悲惨な状況の中、彼の目はどんどん冴えてゆくのです。

 そんな空襲のあと、山風は高須夫人の実家のある山形庄内地方に向かうこととなるのでした。

愛すべきもの――運命に近づいてくるひとりの少女

 かくして山形についた山風。ここで出迎えた一家が出てきますが、啓子ちゃんという女学生が出てきます。ここから先は、戦争末期とは思えないほど穏やかな日々が続きます。とはいえ、まだ幼い兄弟の心根の壮烈さに時代感が出ています。
 とはいえ、この回はやはり啓子ちゃん。彼女なんですよ! 高須夫人の弟である勇太郎から、啓子ちゃんは高須夫人の娘だと知る山風。高須さんと結婚する前の夫とのあいだに生まれた娘とのことでした。
 おどろき、幼くして父を失った啓子ちゃんに想いを馳せる山風。一人の少女が自分の運命に突如接近して来たのを感じた――と、たんたんと描かれますが。
 はい、この啓子ちゃんがのちの山田風太郎夫人です。

 このあと、啓子さんが年頃になって上京するようになってから、運命はさらに近づいてゆくのです。お写真も見たことがあります。なんだかこちらまで照れてしまう。
 というのも、山風の日記に書かれている彼女のイメージは、彼の小説に描かれている純情系ヒロインにそっくりなのです。疑うことを知らなすぎて不安になるような、善良でまっすぐな少女。忍法帖だろうが死亡率が比較的低い系統のヒロインですね。
 啓子ちゃんがせがわまさき版の作画になったら、『バジリスク』の朧あたりに近いんじゃないかと思ってしまいますが。けれども、小さくさりげなく描いているところが、この作品のよいところ。人物から受けた印象の強さが、作画と比例しているわけです。現時点では、ジャンヌ・ダルクのような節ちゃんよりも啓子ちゃんが目立たないのは、適切だと思います。

 山風はそれから故郷まで、深夜の列車で向かってゆくのです。
 京都駅で軍服姿の、中学時代同級生と出くわす山風。南方に転任するから、最後の別れを告げにきていると語るその田島。同級生はもう2、30人は死んだという。それでも勝つ! そう淡々と描かれてはいます。麻痺していて、もう喜怒哀楽が壊れてしまっている。山風の書き残した文章に、同級生がこうも大量死した無念と憎悪が出てくるのは、もっとあとのことなのです。

 忍法帖はじめ彼の作品では、忍者がどんどんと機械的に死んでいっても、ある程度当事者は動じないように思えることがあります。あの流血に麻痺しきった感覚を、山風自身も、彼の周囲も味わっていたのでしょう。
 勝田文作画の何がすごいって、そういう深みまでわかるところで。こんな悲しいことって、あるか……? 読んでいてそう思ってしまいます。

 山風は山形にいたときよりも、故郷でのほうが寂しそう。自分の居場所はないと叔父の家族に対して感じてしまうのでした。その叔父に、今後会うことはないだろうと誓いあい、また東京へ戻る山風です。

飯田の青春――自分も嘘つきなのか?

 東京まで戻ると、学校ごと飯田へ疎開することが決まっていました。愛する母校に別れを告げ、自分自身の愛国の情に迷いを覚えつつ、彼は飯田へ向かいます。
 学校附属食堂の紅茶ゼリー。駅の切符売りに立つ美少女。下宿屋の老夫婦。飯田は食糧事情はよいとはいえ、流言によって人心は荒れているようです。
 医大生どもは、駅の美少女の話で盛り上がったり。一方で日本は滅びないと語り合ったり。葡萄酒を飲んだり。軍医である親のことを語ったり。精神の理想を語り合う姿はまさに青春なのですが、山風の心は揺れている。国を愛しているけれど、迷信は信じられないのです。
 ホテルで珍しく素直になって語る山風なんて姿も。そうか、珍しく素直ってことは、普段はひねくれているということか。彼の性格がどんどんわかっていって、こんなの山風ファンになるしかないでしょう。ほんとうにチャーミングな作品です。

八月十五日――帝国ツイニ敵二屈ス

 8月。粗末な食事をしつつ、校長の講義を聞く。降伏するよりも全滅した方が幸福だと思いつつ、この夏を山風は生きているのです。
 8日、広島空襲に関する大本営発表。9日、飯田も建物疎開開始。ソ連参戦。
 新型爆弾の話をデマだと信じたい。ソ連と日本政府のやりとりとは? 暗中模索をし、懊悩する山風。日記を書いている場合なのか? 敗戦論などありえない! なんとしても戦争を継続させねばならん! そう妄想し、我にかえり、呆然とした顔になる山風。ああ、この夏、こういう顔をした青年がいたんだ。きっとたくさんいたんだ。そう思える作画がすばらしい。
 この若い日の疑念の答えるような『同日同刻』を彼はのちに執筆します。

 そして運命の日、日記にたった一行しかない、あのことをどう漫画にするのか? これはずっと気になっていました。
 カラーになり、真っ赤に燃えるひまわり、その背景の穏やかな緑の山、無念の背を見せる。そんな絵で、あの衝撃を描き出しました。圧巻です。

 けれども、そんな衝撃のあと、路上の灯りを見てはしゃぐ子どもを見て、彼は新しき世界を見出す。2巻はここで終わります。

漫画になってほんとうによかった……そう思える傑作

 絵がつくことで、より印象的になることはたくさんあるはず。当時の風景を再現するには、かなりの苦労があったと思います。
 のみならず、山風の目が見た世界を再現する。これはとてつもなく大変だろうとあらためて思えてきます。2巻は1巻以上に、山風というひとりの人間のもつ感覚が研ぎ澄まされていくようで、ただただ、圧倒される。山風の世界観がどうしてできあがったのか、その解明にも役立つという意味でも貴重だと思えるのです。
 紛れもなく大傑作です。

1巻の感想
B29が来襲してもどこかノホホン~漫画『風太郎不戦日記』には何が描かれてる? https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/05/23/148046 #武将ジャパン

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