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9月の正解

先日25歳の誕生日を迎え、今月は生まれてから26回目の9月となった。生まれ月である9月には多少の愛着はあるものの、すっきりしない感情を抱えている。

最適な過ごし方がわからないのだ。

25回経験しているのに最適な過ごし方がわからない。
何を着るべきか。何が旬で美味しいのか。何をして過ごせばいいのか。

そういうものの正解を見つけられないまま、四半世紀が経った。

未だに、9月の正解を知らない。


9月はなんとなく過ごされがちだ。カレンダーにも主張の強い絵は使われない。キャラの濃い月ではないのだ。誰も9月のことをよくわかっていないのかもしれない。夏と秋の間の月、ぐらいの認識なんだろうか。

9月が位置する季節は、日本(少なくとも僕が住む関西)では秋雨にあたる。春夏秋冬に収まらないこの季節は、無視されがちだと思う。もう一つの雨季である梅雨に比べても知名度が低い。梅雨のように入っても明けても宣言されないし、そもそも明確な区切りがあるのかも知られていない。

秋雨を使わず四季で9月を表現しようとすると、伝統的には秋と捉える人が多いと思う。しかしながら、半袖で過ごせる暑さを考慮すると、まだまだ夏だと感じる人もいるだろう。

夏のように暑い秋。おまけに雨も多い。夏の名残は8月下旬に十分楽しんだし、秋の始まりにはほど遠い。こう書くと全く良いところがないが、この気候が9月のぱっとしなさを表している。


「夏のように暑い秋」の弊害は、特に服装に現れる。夏のセールを終えた店のショーウインドウはすっかり秋冬ものだ。あたたかなウールのセーターや落ち着いたブラウンのコートが、秋が来たと急かす。もう軽やかな夏服を着ている場合じゃないんだな。街を歩いているとき、あるいは雑誌をよんでいるとき、そう思う。

しかし、昼間はエアコンを使う暑さ。天気予報は来週以降もずっと夏日。衣替えどころか長袖を着ることすらできていない。でも夏の気分は終わっているから、夏服は着れない。

かと思いきや日が沈むとぐっと冷えて、上着を持ってくればよかったと後悔する。昼は昼で、片手に持ったジャケットが邪魔に思える。

毎日、着る服に悩む。うまくいったためしがない。


「食欲の秋」というが、意外にも秋が旬の食べ物は少ない。新米のおいしさだけで言っているのではないだろうか。サツマイモに栗にきのこ。数少ない秋が旬のものたちも、本格的に出回るのは10月以降だ。9月はこれといって安い食材はない。

特に野菜は深刻だ。毎日値上がりしていく夏野菜と季節を先取りした冬野菜を眺めて、今日も献立に悩む。


9月だからこそやってみたいことってあるだろうか。夏にやりたいこと。秋にやりたいこと。これらはいっぱいあると思う。梅雨の季節だって、アジサイを観たり、雨の景色を写真に収めたり、前向きな楽しみ方ができる。

じゃあ、9月は?9月のイベント、特にアウトドアは積極的か?「まだ暑いうちに」「もうちょっと涼しくなったら」がお決まり文句になっていない?それって9月以外にベストな時期があるってことかい?


そんなことをうだうだと考えていたら、もう9月が終わる。気づかぬうちに陽が短くなって、余計なことに気をとらわれてしまう。秋分の日が来ると、いつもなんとなくさみしい。

未だに、9月の正解を知らない。

それがちょっと悔しくて、スーパーで値引きされた葡萄を買った。

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