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【ウェア・ザ・ナイフ・ハド・ゴーン】

【ウェア・ザ・ナイフ・ハド・ゴーン】

「いいか、腕を構え、意識を集中し、カラテを込めて振り下ろす。それだけだ」ジュー・ウェア姿の男が身振りを交えながら語る。同じくジュー・ウェア姿のもう一人の男は頷き、腕を構え、振り下ろす所作をした。

 手入れの行き届いたタタミ敷きのドージョー。それはシュギ・ジキと呼ばれるパターンで、十二枚のタタミから構成されている。四方は壁であり、それぞれにはナギナタ、サスマタ、ソデガラミ、ハンマーの見事な墨絵が描かれていた。

「それでいい。見ていなさい」男は腕を構えた。「スゥーッ……ハァーッ……」目を閉じ、瞑想めいて意識を研ぎ澄ます。「……イヨーッ!」そしてその男、フジマ・テルヤキは容易くカワラを砕いた。

 もう一人の男も拳を構える。「スゥーッ……ハァーッ……」呼吸を整える。今見たフジマの動きをなぞるように構え、腕を振り下ろす。「ケオーッ!」ぴるすシャウトと共に勢いよく振り下ろした拳が、1枚のカワラを砕いた。

「ヤ……ヤッタ!割れたんですけお!」「ここまでが基本だ、後は鍛錬次第で2枚でも3枚でも割れるようになる。……おめでとう」歓喜に震えるぴるすへフジマは右手を差出し、強く握手をした。「……センセイ、これからもお願いしますなんですけお!」



 重金属酸性雨を降らせる分厚い雲の向こうから弱々しい朝日が差し込み、フジマを目覚めさせる。「……夢か」フジマはのそりとベッドから起き上がり、洗面台で顔を洗った。鏡を見ると、鏡像の自分が無感情にこちらを見つめている。タオルで顔を拭う。

 あれは重金属酸性雨が強く降りしきる夜であった。怒り、恐怖、悲哀、そういった感情を混ぜ合わせながら小ぶりのナイフを握りしめるぴるすを打ち倒し、捕らえた日。あの日、同情めいた感情に動かされ拾い上げた彼は今、ドージョーにはいない。

 2年ほど前のある日。それは奇しくも、出会いの日と同じように重金属酸性雨が強く降りしきる夜だった。フジマが仕事を終えて帰宅すると、ドージョーは既にもぬけの殻となっていた。争った形跡や盗まれた物は無し。ただ忽然と消えてしまった。……あの日取り上げたナイフただ一つと共に。

「……もはや懐かしい夢だ」ブレッドを一枚トースターに詰め、一杯分のコーヒーを淹れてリビングへと向かう。ソファに腰を下ろし、コーヒーを一啜りするとテレビの電源を入れた。「……以上、タマ・リバーのラッコのニュースでした」くだらぬ朝のニュースをオイランキャスターが告げている。

 ニュースをBGMに、フジマは手元のIRC端末を眺めた。今日は非番だが、それでも確認すべきメッセージは入ってくる。未読は3件。「……続いて、痛ましい事件のニュースドスエ」一件は来月の舞台予定。目を通すのは後で良いだろう。「……同一の手口から、NSCCは一連の事件を同一犯による連続ツジギリ事件として……」もう一件は昨日の業務報告。気を揉むべきインシデント報告は無し。

 そしてもう一件。……それは果たすべき業務の通達。「……一連の事件で使われてた凶器は、小ぶりのナイフ……」『一連のツジギリ事件はぴるす案件の可能性有り。マッポよりも先に始末してください』

 チンと音を立て、焦げたトーストが跳ねた。



「ハァーッ……ハァーッ……」夜も眠らぬ街ネオサイタマといえど、深夜の、それもメインストリートから外れた路地裏となれば人通りは無いに等しい。このような場所では浮浪者やヤクザ、ジャンキー、時にはツジギリに遭遇する危険すらもある。マトモな者は寄り付こうとしない。

「ハァーッ……ハァーッ……」その路地裏を、たった一人の通行人は息を乱れさせ歩く。ニット帽とサングラスで顔を隠し、興奮したように呼吸を荒くさせるその様子はどう見てもマトモではあるまい。そして、その手に握られているのは……おお、ナムサン……!小ぶりのナイフだ!彼が世間を賑わす連続ツジギリの犯人であることはもはや疑う余地もあるまい……!

「ガーッ……グガーッ……」「……!」男はイビキを元に、大型業務用ポリバケツの傍らで眠る浮浪者を見つけた。運の無い浮浪者へと足音を殺しながらにじみ寄り、男は握りしめたナイフを心臓めがけて振り下ろす。また一人、罪も無き哀れな被害者がここに生まれるのだ。……ナムアミダブツ。

 ……だが、その時!「イヨーッ!」ポリバケツの蓋が吹き飛び、中から男が飛び出した!「ケオーッ!?」男のトビゲリがナイフ男の顔面にめり込み、サングラスが砕けた!ナイフ男は路地裏を転がりながらウケミを取り、バク転めいて着地!「ア……アイエエエエエエエエ!?」悲鳴を上げ逃げる浮浪者!

「ゲホ……何者!」ナイフ男は咳込みながら襲撃者を見た。そして震えた。「……ア……アア……アナタは……」ジュー・ウェア姿の男は鋭い眼光でナイフ男を睨み、口を開く。「……ドーモ、久しぶりだなぴるす君」「……ドーモ、フジマ=サン」

「……こんな所で、そんなオモチャを握りしめて、君は一体何をしているのかね」落ち着きながらも冷たく鋭い声が路地裏に響く。「お……俺は……」「……何を!しているのかね!」「仕方……仕方無かったんですけお……!」ぴるすは顔を覆い、嗚咽した。

「……急に……急にワケの分からない力に目覚めて……カラテが溢れて……今の俺ならなんでも出来る、そんな気持ちが湧いて……誰かを今すぐカラテしてやりたくて……でもそんなの駄目だって……思って……」叱られた子供のように、たどたどしく言葉を紡ぐ。

「……でも……でも、俺は気付いたんですけお……!抑えきれぬこの嗜虐欲求!これは食欲と同じ……!」嗚咽はいつの間にか、狂気じみた嗤いへと変わっていた。「ハハ……食うために殺すように、殺すために殺す……!ハハハ……!これは仕方のないことなんですけお!」ぴるすが顔を上げる。その瞳が狂気に光る。口元を金属質のメンポが覆った。

「ハハハハ!俺は変わったんですけお!俺はニンジャ!圧倒的カラテ強者!弱者共をどう扱おうが強者である俺の自由!ハハハハハ!」「……ニンジャソウルの闇に落ち果てたか、愚か者が!」「なんとでも言ってくだち!」ぴるすがナイフを構えた。その刃は超常の力を受け、赤らんで輝く。

「フジマ=サン!俺は変わったんですけお!あの日とはもう違う!今度こそアンタのような老いぼれは大人しく死んで道を空けてくだち!ケオーッ!」ぴるすがナイフを腰だめに構え、突進する!それは恐るべきバッファローの角刺突に等しい危険なカラテ!危うし!フジマはこのまま明日の紙面を飾るゴア死体となってしまうのか!

 ナイフがフジマの心臓を抉る寸前!「イヨーッ!」フジマは右手親指と人差し指で挟み込み、ナイフを止めた!「ケオッ!?」ナイフはフジマの胸元寸前で静止し動かぬ!「ケオォォォーッ!」ぴるすは更に力を籠める!ナイフを包む赤らんだ輝きが増す!だが!「軽い!君のカラテは軽い!万事が軽いんだ!」もはや1寸たりとも進まぬ!

「君は何も変わっちゃいない!そう簡単に変われるものか!思い上がるな!」「バカな……まさか……」フジマはナイフを押さえたまま、左手を構えてスイとオジギする。「ドーモ、カブキニストです……!」

「ド…ドーモ、カブキニスト=サン、ペティナイフです」ナイフの力を緩め、咄嗟にアイサツを返す。そのオジギが終わった瞬間!「イヨーッ!」カブキニストの掌打がペティナイフの胸を打つ!「ケオーッ!?」ペティナイフは怯み、たたらを踏んだ。

「バカな……アンタは……貴方もニンジャだったのか……!」「君よりも遥か前から私はニンジャなのだよ。分かったかね、自分の思い上がりが」「ほざけ……!俺にセンセイ面をするな!ケオーッ!」叫び、ナイフを突き出しながら跳びかかる!「イヨーッ!」「ケオーッ!?」ナイフを掌で逸らし、拳を顔面へと打ち込む!

「……分かったかね」倒れたペティナイフへと歩み寄りながらカブキニストは再度尋ねる。それは最終通達であった。……己の罪を認め、コウライヤへと下る最後のチャンス。「……」ペティナイフは起き上りながらカブキニストを睨む。

「……俺はもうぴるすじゃない!ニンジャなんだ!アンタもセンセイじゃないッ!俺を蔑むな!」「……そうか」「ケオーッ!」跳び、逆手に握ったナイフをカブキニストの肩へ振り下ろす!「イヨーッ!」「ケオーッ!?」カブキニストは手首を蹴り上げ、ナイフを叩き落とし、そして流れるように首を締め上げた。

「君は……君は何故……」首を締めながら、カブキニストは憐れむような目でペティナイフを見た。「何故、何も告げずに……」だが、その言葉の先を言うよりも早くカブキニストの背中を痛みが襲った。「……!」赤らんだナイフが超自然の力で宙を舞い、彼の背中に突き刺さる。

「……」カブキニストは目を閉じた。ナイフはカブキニストの体を貫通せんと、強力な力で背中に抉り込む。「そうだな……もう終わらせよう」カブキニストの背中がパンプアップし、背筋が刃を白刃取りめいて挟み止めた。そして、電撃めいたローキックが駆ける。「ケオーッ!?」ペティナイフの両足は膝関節から無残に折れ曲がった。

「イヨーッ!」もはや立つこともできぬペティナイフの首元を掴み、カブキニストは後ろへ倒れ込みながら投げ飛ばす。アイキドーの禁じ手として知られる危険なカラテ、カタパルト・スローだ。「ケオアバーッ!」射出されたペティナイフはロケットめいた速度でビル壁に激突し、濡れた路地裏の地面に落ちた。

「……これで終わりか」「ケオッ……アバッ……」「ハイクを詠め、ペティナイフ君」カブキニストは水たまりに倒れるペティナイフを、その瞳をじっと見つめた。「セン……セイ……」ペティナイフも、焦点の定まらぬ目でカブキニストを見返した。「……ニンジャになっても……所詮は自分……か…………」

「……」カブキニストは腕を構える。「スゥーッ…ハァーッ…」目を閉じ、瞑想めいて意識を研ぎ澄ます。「……イヨーッ!」振り下ろした拳が、ペティナイフの頭蓋を砕いた。「サヨナラ!」



 あの日、ニンジャとなったぴるす君がドージョーから逃げ出したのは万能感に浮かされてか。あるいは、また別の意味があったのか……。(……今となっては、もはや知りようも無いこと……考えるだけ無駄か)

 彼のナイフは何処へ行っただろうか。フジマは辺りを探したが、見つかることはなかった。恐らくは誰も近寄らぬこの路地裏のどこか片隅で、誰に省みられることもなく重金属酸性雨に溶けて消えていくのだろう。ネオサイタマの流した涙が彼の痕跡を洗い流す。それはどこか、彼への救いであるようにフジマには思えた。

 ペティナイフの居なくなった路地裏に背を向け、カブキニストは歩き出した。そして誰もいなくなった路地裏には、弱まることも無く降り続く雨音だけが、ただしめやかに響き続けた。


【ウェア・ザ・ナイフ・ハド・ゴーン】終わり



カブキ名鑑

◆歌◆カブキ名鑑#28【ペティナイフ】◆舞◆
深夜のネオサイタマ路地裏に出没し、毎夜ツジギリを行う邪悪なニンジャぴるす。彼が手に持つナイフはニンジャソウルの力でエンハンスされ、多少の戦闘ではその切れ味が鈍ることも刃が欠けることもない。



K-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)

短編集「ザ・ファイブ・フォー・シックス・ストーリーズ」から抜粋。フジマ・テルヤキという男と一匹のぴるすの縁、ニンジャソウルに翻弄された彼らの行き着く先を描く。時系列としてはカブキニストの時代である。

主な登場ニンジャ

ペティナイフ / Petit knife:野良ニンジャぴるす。ハガネ・ニンジャクランのグレーターソウル憑依者。愛用する得物の小ぶりなナイフをカラテでエンハンスし、その切れ味と強度を強化するほか、単距離であればキネシスめいて遠隔で動かすことも可能。

彼はかつてカブキニストの弟子のような存在であった。世界に、そして自分自身に絶望し、ナイフによる無差別殺人を行おうとした所をカブキニストに阻止され、そのまま成り行きで彼の元で修行することになる。その鬱屈した精神はカラテ修行により次第に改善され、カブキニストとも良好な関係を築いていた。だがある日、ニンジャソウルが彼に憑依し、そのまま失踪した。

ニンジャの全能感に浮かされてドージョーを飛び出したのか。……あるいは己を苛むニンジャの嗜虐性をセンセイへと向けぬために一人で姿を消したのか。それを知る者はもはや存在しない。



メモ

これはカブキスレイヤー本筋とは関わる事のない、いわゆる短編としてのエピソードだ。カブキに聡明な皆のことだからもう分かってはいるだろうけれど、タイトル、そして本編の内容の通りこれはかつて放送されたドラマ、『ナイフの行方』を元に作られている。僕はあの話が好きだ。かつての活力を失い時代に取り残された老人と、生きる理由を見失い行き場を無くした若者。そんな二人がどこか分かり合えたような、でも全く分かり合えていないような共同生活を経て、何かが変わる……いや、何も変わっていないのかもしれない。そんなちぐはぐとした空気が色々と考えさせる。今となってはもう見返す方法が無いのがちょっと残念だね。

今回チャレンジした内容はカブキニストの生活感を表現することだったりする。実際、彼を描くときは基本的に戦場の姿だ。それはカブキスレイヤーという話が『ぴるすによって引き起こされた問題を解決するカブキアクター』という物語なのだから当たり前といえば当たり前かもしれない。あるいはプロローグやエピローグでそういった部分を描けるかもしれないが……そのパートは真っ先に文字数削減の対象となって丸々カットされる部分だ。だからこそ最初から最後まで短文で突っ切る短編で挑戦するしかなかった。その結果がどうなのかは……皆の感想次第だね。

ペティナイフは実際アワレな男だ。彼は世に絶望し、カブキニストと過ごすうちに絶望から救われた。けれどその一度手に入れた幸せな平穏すら不意に訪れた力によって失ってしまう。そういう悲哀を今回は主軸に置いてみた。
彼は結局、何を思いカブキニストの元を去ったのか、それは作中の誰にもわからないし僕にも分らない。でもそれでいいと思う。重要なのは真実以上に他人がどう考えるかであって、そこにワビサビがあると僕は思うんだ。

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